未来の教育研究4 教養論・国民的教養・多文化・階級文化

 21世紀の教育で最もシビアに問われているのは、教育内容である。学校制度をめぐる論議は、20世紀で完全に済んだわけではないが、21世紀になると主要な争点ではなくなっている。制度的な争点は、むしろ学校制度の運用、管理の面で残っている。しかし、AI技術の実用化という状況、そして、多数の職業が消える可能性が指摘されているなかでは、何を教え、何を学んでいくのかが、より重要な論点となっている。
 19世紀から20世紀にかけて、教育内容は、その主体と内容に区分されて議論されてきた。歴史的に、身分、階級、階層的に、学ぶべき教養、内容が異なっていたからである。エリート層は古典文化(日本では漢学、ヨーロッパではギリシャ・ローマ文化)を学び、一般大衆は3Rであった。義務教育が成立すると、初等教育では、3R中心の教育内容が教えられ、中等教育では、古典文化や職業的な実科内容が、分岐した学校に割り振られる形になっていく。従って、中等教育の教育内容の分化は、20世紀前半は、統合されることはなかった。(1)

 教育内容を検討する際には、言葉の問題が重要である。
教養・教育・文化
 まず英語の culture という語に、「文化」という訳語が通常あてられるが、実は「教養」という語を英語にすると、culture が当てられる。しかし、日本語の「教養」と「文化」はかなりニュアンスが異なる。
 「教養」という語は、日本語としては古いが、現在のような意味で使われるようになったのは、大正時代からという。(小学館『精選版日本国語大辞典』)「学問・知識などによって養われた品位。教育・勉学などによって蓄えられた能力・知識。文化に関する広い知識」となっている。(2)
 「文化」は、明治初期に civilization の訳として使われたが、大正期にはいって、culture の訳になっていったという。 
 更に、和英辞書で「教養」をひくと、education という語が出てきて、例文は多くがこちらである。(3)
 つまり、「文化」は、社会的に蓄積されたものであり、それが個人のなかに教育や学習によって内面かされたものが「教養」であるというように、日本では、このふたつが分離して考えられている。ドイツ語は、Kultur と Bildung で、日本語に対応する。日本語は、むしろ、ドイツ語を意識した訳語が定着したのかも知れない。 
 そして、日本語の場合には、社会的に存在する「文化」を、個人に「教養」として内面化させる「教育」という実践を別に意識する。ドイツ語の場合には、Bildungは、教育という意味でも使うが、日本語の教育に相当する語は、通常 Erziehung という語を使用する。 
 明治からの歩みを見ると、日本語は、教育内容は統一的に考えても、その内面化、教育の場は分けることによって、階級的な知的領域を形成した。従って、学校そのものを段階的に分けていけば、学ぶべき内容は、特に分ける必要はないと意識されたのだろう。しかし、ヨーロッパでは、特にイギリスでは、学ぶ内容と学びの場とは、もともと融合したものであり、それぞれの総体として分化していたと考えられる。
 
 しかし、いずれにせよ、高度な科学技術を駆使した第二次世界大戦を経たあとでは、伝統的な古典文化を中心とする教育内容には、エリート層も肯定することはできなくなる。
ランジュバン・ワーン計画の教養内容
 戦後最初に現われた「教養論」の改革提案は、反ナチのレジスタンスを背景としたランジュバン・ワロン計画である。「教養は人を結びつけ、職業は人を分ける」という言葉で有名なように、人々を結びつける要素として教養を重視した。(4)「国民的教養」と言われる所以である。ランジュバン・ワロン計画は、学校制度改革の提言が主なので、学ぶべき内容については、簡単にしか触れていないが、次のような原則が掲げられている。
・最初の初等段階は、共通で、第二段階で部分的に特別化され、第三段階では、特別の部分に焦点が当てられる。そこでの共通は、フランス語、実践的外国語、歴史、美術、音楽のみである。
・最初の6-11歳の共通は、必須の知識(読み・書き・算)に、美術と言語を加え、直接的方法による外国語も可能なら加える。
・第二の11-15歳の段階では、フランス語、外国語、数学の直感的教授、自然の観察、歴史、地理が共通で、3年目からは、科学、文学、技術、芸術という主要選択領域を設定し、古典語、外国語を文法、哲学、文学、歴史的な方法によって教授する。更に、選択科目として、数学、観察技術、各スキル等を学ぶ。
・第三の15-18歳の段階では、各人が選択して、重点的に学ぶ。更に健康教育が重要である。
 以上でわかるように、教育内容については、それほど詳細な提案がなされているわけではない。重要なことは、少しずつ「選択」することによって、学ぶ内容が多様になっていくという原則である。
 フランスでは、ランジュバン・ワロン計画が、常に背景にある形で、具体的な制度改革が以後進行する。
 フランスは移民政策における典型的な同化主義政策をとったと言われる。その中心はフランス語の修得である。そして、フランス語は長い国家的研究の成果として、標準語化が徹底している。公立学校中心で、しかも世俗化が徹底しているために、多文化教育は、他国に比較して重視されていなかった。そのために、「国民的教養」の修得の水準によって、差が出てくる。学力問題は、フランス的国民教養の水準で測られ、学習困難地域への対策が行われる。

イギリスのナショナル・カリキュラム
 他方、イギリスは、文化の中核である言語そのものが、階級的方言に分化しているといわれ、中産階級の言語に基づく学校文化に対して、労働者階級の言語による対抗文化が、比較的長く続く。(ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』)そこに、移民が多数移住してくることによって、「国民的教養」が意識されにくい状況が生まれた。イレブンプラステストが、知能テストを使用したことも、その現われであるように思われる。サッチャーが、イギリス国民が学ぶべき内容として「ナショナル・カリキュラム」という名前のカリキュラム案を提示したのも、そのためであろう。1987年ナショナル・カリキュラムの柱は以下の通りである。
・初等段階では、数学、英語、科学がコアであって、そこに、現代外国語、技術、歴史、地理、美術、音楽、体育を加える。初等の間は、コアを重点とする。
・義務就学の中等段階では、初等の科目を引き続き学ぶが、GCSE(義務教育修了試験)を意識して学習する。
・中等段階の後期は、基礎科目:英語、数学、科学、技術、現代外国語、歴史・地理、美術・音楽・ドラマ・デザイン、体育。(・はいずれか選択)
 選択科目として、科学、第二現代外国語、古典語、国内経済、歴史、地理、ビジネス、美術・音楽・ドラマ・宗教
 これらは、科目名だが、ナショナル・カリキュラムの規定は、学ぶべき内容を具体的に提示している。日本のような教科書検定は存在しないが、GCSEでチェックが可能である。
 イギリスでは、増大した移民とその子弟のために、多文化教育が国家的政策として採用されることはなかった。それは、イギリスにやってくる多文化の種類があまりに多かったためではないかと考えられる。ドイツやオランダのように、トルコという中心的な移民源がある場合には、政策的に多文化教育(バイリンガリズム)が容易に行われる。しかし、多数の植民地を抱えていたイギリスは、対応するには、文化の種類が多すぎたといえる。あるいは、英語は事実上国際語となっているので、移民段階で英語を修得している者が少なくなかったという事情もあるだろう。

(1) 例外はアメリカと日本である。日本は、義務教育段階が成立した段階で、江戸時代までの漢学が、学校教育の主要な教育内容として組み込まれることはなくなった。和魂洋才という欧米文化の摂取においては、科学文化が重視され、ギリシャ・ローマ文化を重要なものとして取り入れることは意図されなかった。また、従来の江戸時代の武士が学んだ漢学も、明治政府が倒幕の結果成立した事情もあったためか、漢学を主体とする手法も捨てられた。その後、武士道徳は、国学と結びついた形で、歴史や修身の内容として復活するが、それは漢学とは異質なものだった。アメリカでは、ギリシャ・ローマ文化を重視する教育は、ハーバード大学のような、古い教育機関では重視されたが、高等教育の一部として残っただけであり、アメリカ教育の実科的性格と、コモンスクール・ムーブメントのような学校制度の拡大から、古典文化は中等教育でも重視されなかったといえる。
(2) 大正時代の小説で「教養」という言葉が使われた例はあまりなく、徳田秋声の「黴」で使用されている。「君の心持で、細君を教養するよりほかないだろう。世間には、細君を同化していく例がいくらもあるんだからね。」ここでは、教養=教育というニュアンスで使われている。だから、英語では cultivate に近い。
(3) ランダムハウス辞書には、education にはわざわざ「解説」があり、主として教育によって得られた知識に重点が置かれる。それに対して、culture は教育によって助長された考え方、感じ方をいい、高度の知的・美的理想を熱望し、重視する含みがあるとしている。The level of culture in a country depends upon the education of its people. という英文に、「一国の文化の程度は、その国民の教養によって決まる」という訳をつけているが、多くの場合、この英文を訳すときには、「教養」ではなく、「教育」を当てるのではないだろうか。
(4) 実際には、「教養」こそ人を分け隔てする媒体であり、「職業」は多様な階層の人たちを結びつける場面が多い。現代の職業は分業を前提として成立しているから、自身の職業が他のどのような職業と結びついて、全体としての結果を生んでいるのかを、理解していれば、結びつける媒体になるわけである。ランジュバン・ワロンの意図は、人を分ける要素となる教養を、国民的教養の中心から外し、国民全体に深く関与している教養を軸にするという、教養内容の転換を意図しているといえる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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