未来の教育研究1 最初のメモ

2016年に「未来の研究に関する研究1」を『人間科学研究』(紀要)に書いて、その後、2、3と書きついでいく予定だったが、研究が膨大に膨らんでいったために、書かずにきた。定年となるので、その後にじっくり取り組もうと思っていたのだが、事情があって、今年書くことになった。未来の教育の構想がさかんに出ているのだが、実は、それほど革命的に新しいものではなく、過去の教育論とつながっていることを示したのが、1だった。しかし、現代の科学技術の発展を踏まえて、当然装いは新しくなっているし、学ぶ内容も変わっていく必要があると思われている。そうした動向が、顕著になる80年代、90年代に、教育制度の世界では大きな変化があった。それを扱うのが2で、いよいよ21世紀にはいって、21世紀の教育構想がだされ、実際に変わりつつある面と、そうそう変わり得ない部分がある、それを踏まえてどこに行こうとしているのか、あるいはいくべきなのか、そこに踏み込むのが3の予定であった。
 膨大なものになってしまったのは、戦後改革も経過せざるをえないと考えて、資料を集めだしたからだ。私の博士論文は、大戦間の教育制度改革(統一学校運動)だったので、やはり、その後の戦後改革があって、80年代につながることを無視するわけにもいかないと考えた。今年書かねばならないことになり、とりあえず、一番大事な21世紀に焦点をあてた考察にしようと考えている。時間があまりないので、ここに草稿を書きながら、完成させることにした。これまで書いたような内容から、急にアカデミックな研究の舞台裏のような文章が多くなる。

 まず、20世紀を、乱暴になるが簡単に整理しておく。(ただし、いわゆる先進国の動向。途上国は、これまでの研究対象ではなかったので、触れないが、今後はじっくりと勉強していくつもりだ。)
 20世紀は学校制度拡張の時代であり、21世紀は教育内容と方法の革新の時代になると考えている。
 19世紀末に、先進国はほぼ一斉に「義務教育制度」を実質的に成立させる。18世紀にプロイセンで義務教育が施行されたり、また、北欧の国ももっと早いが、現在のように、事実として国民全体が就学するに至ったわけではない。そして、整備された義務教育法が成立し、実際に国民のほとんどが就学するようになるのは、19世紀末なのである。最大の要因は、先進国が帝国主義段階に入り、帝国主義的な競争の一環としての富国強兵政策が、競争的に実施されたからである。その政策の一部が義務教育制度であったといえる。
 義務教育制度成立以前は、どこでも身分的、あるいは階級的に分離した学校システムが成立しており、そこに連絡はほとんどなかった。しかし、国民全体が学校に通うことを、政策として実行する段階になると、そうした分離した制度は批判の対象となり、義務教育の部分(当初は初等教育)は、国家として統一した状況にすることが追求される。アメリカやスウェーデンのcommon schoolが参考にされる。20世紀前半で、先進国の多くで、初等学校の統一を模索し、実行にいたる。もっとも、日本のように、国家的な学校制度を創設する最初の段階から、初等学校は単一なシステムにした国もある。
 戦後になると、中等段階の議論に移っていく。しかし、ここでは、基本的に異なる発想に基づくふたつの制度が分離していく。一国内にふたつが同居する場合もあるし、また、国家的にはどちらかに統一される場合もある。
 ふたつとは、ひとつが三分岐制度と言われるもので、年数と教育内容が異なる三種類の学校種に分かれるシステムである。典型的には、ドイツのギムナジウム、レアルシューレ、ハウプトシューレという三種類に分岐する制度がある。それに対して、中等学校をわけずに、ひとつの学校種に編成する例である。典型的には、フランスで、前期をコレージュ、後期をリセという名称の中等教育機関とした。そして、この二種をともに一国内にもつイギリスやドイツでは、三分岐に分けずに、すべて含むとする総合制学校を成立させ、それが並立することになった。イギリスではコンプリヘンシブ・スクール、ドイツではゲザムト・シューレという。しかし、総合制学校の場合は、そのなかにある程度分離を含むといったほうがよい。三分岐になるか、総合制になるかは、設置する自治体、州の方針によって決まることになる。私が扱う国家(日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、デンマーク)のなかで、国家的に三分岐制度に統一されているのは、オランダだけである。
 三分岐か総合制かという問題は、個々人の能力、資質の相違を、学校というシステムのなかでどのように、分けて教育する、あるいは一緒に教育するのが正しいのか、という原則が反映したものであり、従って、どこでも激しい論争の対象となった。
 このような制度の変革が中心であったために、教育の内容については、比較的等閑視され、学校に任されていた面が強い。しかし、制度が固まってくるにしたがって、学校で教えることに関する国家的基準が強く意識されるようになる。そこで、80年代からナショナル・カリキュラムを制定する国家が多くなってくる。オランダやイギリスは、公立学校で教えるべき国家基準は、まったく存在しなかったのだが、イギリスでは80年代、オランダでは90年代に国家基準が制定される。ドイツやオランダでもスタンダードが設定されるようになってくる。ただし、フランスや日本は早い時期から基準が存在したし、スウェーデンなども、戦後の比較的早い時期に制定している。
 国家基準が制定されると、その運用のチェックが始まる。視察である。そして、インターネット時代になると、視察の結果は、公表されるようになる。更に、教育の水準を確保するための全国試験が実施されるようになるわけである。もちろん、学校に試験はつきものだから、試験は様々な形態で実施されていた。だから、試験の形態は国よって様々であるが、全国的な統一試験が実施されていくようになるのである。
 そして、試験は、21世紀になってPISAという国際的な試験、しかも経済の先進国の組織によって行われるようになり、各国の教育政策に多大な影響を及ぼすようになる。PISAは、それまでの通常の学力試験とは異なる発想で問題が作成されており、未来の学力を模索する試みとして行われ、21世紀が、教育内容と方法の時代となっていく動因となった。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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