失業は今でも大きな人生上の困難である。失業保険や生活保護などがあるけれども、それでも、失業すれば生活の保障がなくなる。江戸時代は、多くの者は生まれついた職業、身分をもっており、ほとんどの者は一生変わらずそれを保持する。農民などは飢饉で苦しむことはあっても、それは一時的であるし、農業そのものが倒産したりということは、おそらくあまりなかっただろう。しかし、武士には、失業の危機は少なくなかった。自分の家だけではなく、主家が潰れてしまう。家の跡取りがいなければ、家そのものがとりつぶされるし、また、主人に不祥事があれば御家断絶となる。その場合、家来や家人は、生活の糧を失うことになる。失業である。
武士が失業、つまり浪人になるとどうなるのだろう。鬼平犯科帳には、多数の浪人が出てくる。そして、その生きざまは実に多様である。しかし、犯科帳であるから、犯罪者を扱った小説なので、当然、悪の道に落ち込んだ浪人が、たくさんでてくる。しかし、ここでは、そうではないふたつの物語を考えてみよう。「乞食坊主(ドラマでは「托鉢無宿」)」「用心棒」のふたつである。
用心棒
「用心棒」は、強そうにみえるが実際には、ほとんど剣術のできない浪人高木軍兵衛の物語である。身長は六尺もある。
小説では、最初にお熊の茶店に立ち寄るが、記憶力のいいお熊が軍兵衛のことがわからないという場面から始まる。本来肥前唐津藩六万石の家臣だったが、父親の不始末(軍兵衛がいうには、他人の不祥事を押しつけられた)で、浪人となって、江戸に戻ってきたのである。そして、巨体で強そうだということで、佐野倉勘兵衛という店の用心棒をしていると語る。若いころは江戸詰めの父とともにいたが、弱虫でさんざん泣かされていたと、お熊は店にやってきた平蔵に語る。
ある時軍兵衛は、絡まれた3人の浪人にさんざんやられてしまい、たまたま通り掛かった馬越の仁兵衛が、佐野倉に10人もの浪人に囲まれていた女を助けたと、嘘をついてくれる。実は仁兵衛は、賭場でこまっていた軍兵衛を助けてくれたことがある、謎の人物なのだが、本当に盗賊の一味で、軍兵衛に佐野倉に盗みに入るから手引きをするように、圧力をかける。引き受ける気がないのだが、決心もつかず悩んでいたときに、たまたま、平蔵が絡まれている人を助ける場面に遭遇し、平蔵を追いかけて、盗人の手助けを強要されていることを白状し、助力を乞う。そして、当日、平蔵が盗人たちを蹴散らし、集めていた火付盗賊改めの与力同心の活躍で、一網打尽にする。その後、役宅に呼ばれた軍兵衛は、剣術を学ぶことを平蔵に約束させられる。
ドラマも大筋では同様だが、印象を変えるような変更がある。
まず、盗賊一味で軍兵衛を引き込もうとする仁兵衛は、盗賊の頭で、ドラマでは、佐野倉で働いているが、実は盗賊の一味で引き込みの文六が、軍兵衛に働きかける。つまり、佐野倉はずっと狙われていたことになる。原作では、軍兵衛は、特段親しい者がいないが、ドラマでは佐野倉の奉公人のお民という女性が、何くれと軍兵衛の世話をし、弱いことを知っても、励ます。ドラマとしては、お民の存在と活躍が、味付けをしている。
乞食坊主
「乞食坊主(托鉢無宿)」は、若いころに、平蔵と同じ高杉道場で修行した井関禄之助の物語である。題名からもわかるように、乞食坊主になっている。浪人になったきっかけは、貧乏御家人であった井関の父親が吉原の女郎と心中して死亡、当然のこととして家がとりつぶされて、浪人となった。大坂に流れていき、親類の世話になりながら、道場を開いたが、厳しい稽古のため門人が集まらず、食べるものもないときに、暗殺の依頼を受け、一時引き受けるが、前金を返して、強引に断ってしまう。仲介人は殺され、また井関自身も狙われるが危ういところを助かって江戸にもどり、乞食坊主となって、暮らしている。そんなときに、盗賊の相談を聞いてしまい、聞かれた盗賊が、井関の住処を確認して襲うが、散々やられてしまう。そこで、暗殺を依頼するのだが、依頼された暗殺者菅野伊介もまた高杉道場の門人で、井関の後輩だった。菅野は井関に押さえつけらて、暗殺は失敗する。井関は、役宅にやってきて、菅野のめこぼしを頼むが、平蔵は即答しない。井関はその後、自分を襲った者が盗賊ということで、捕り物の協力をする。菅野の扱いは、事件が済んでからという約束をしていたが、事件が済んで、これから会いに行こうというそのときに、菅野が自ら命を絶ったという知らせが来る。
原作では、菅野の出番は、井関の暗殺場面と、暗殺が成功したと依頼主に偽の報告に行く場面だけだが、ドラマでは、井関と語り合う場面が設定され、また、なんとか自分も平蔵の捕り物に協力をしようと、勝手に動いている。しかし、平蔵はそれを認めない。
井関に協力させるときに、平蔵は、「命懸けの仕事だ」と念を押すが、井関は、それをこそ20年探していたのだと感激して、活動する。その言葉を、井関は菅野に伝えるのだが、その言葉が、暗に平蔵は、菅野を許さないという意味を含めたのだ、と井関が菅野自殺のあと、解釈して、抗議ともつかない無念の気持ちを、平蔵に伝えるところで、ドラマは終わる。このような場面は、原作にはない。
なお、菅野が浪人になったのは、嫡子ではなく、妾腹だったために、正妻に追い出されたとしか書かれていない。
浪人になると
さて、ここには3人の浪人が登場する。二人は父親の不祥事で家がつぶされ、浪人にならざるをえなかった。そのうちの一人高木軍兵衛は、弱いにもかかわらず、用心棒となり、ばけの皮が剥がされそうになったが、平蔵の計らいで、今後もうまくやっていけそうである。井関は、逆に強すぎたために、道場経営もうまくいかず、結局乞食になってしまうが、汚い身なりをして裕福な家の前にたつと、追い払うために、かならず小銭を包むというのを逆手にとって、不自由はあるが、本人は満足した生活を送っている。「乞食3日やったらやめられない」としきりに平蔵に語り、平蔵の仕官の世話を断ってしまう。この後も、平蔵への協力者として、何度も現われる。やがて乞食はやめるが、坊主家業は続けている。江戸時代の特に後期は、盗賊はけっこういたので、軍兵衛のように、用心棒として雇われた者は少なくなかったのではないだろうか。善良な用心棒は、他の話にも2、3登場する。武士だから、武芸を活用する用心棒は、希望者も多かったのではないだろうか。
もう一人の菅野は、家が潰れたわけではなく、正妻によって追い出されてしまうのだが、正妻が死んでしまったあと、江戸を出奔したと書かれている。その後は、殺しの依頼を引き受ける辻斬りに落ちぶれているわけである。
江戸時代の浪人は、もともとは武士の身分だから、現代でいえば、エリートサラリーマンが失業したようなものだろう。企業が潰れたり、あるいは免職になったりする。現代なら、再就職の道があるが、江戸時代は、安定した社会で、戦闘で力量を示す武士としての活躍場はほとんどない上に、武士階層が増大していく社会でもないので、一端失業したら再就職の道はほとんどなかったようだ。もちろん、特別に何かに秀でた人材であれば、新規に雇われることはあっただろうが、ここに登場する人物、特に、武芸で生きている人たちには、再就職の道はほとんどなかった。プライドを捨てれば、商人に仕えて、そのなかで出世することは可能だったろうし、新田開発などに従事して、新たに農民として出発するという人も、いたようだ。しかし、多くは、武士は当時としての教養層だったので、寺子屋などで子どもに教育することで、生計を立てる者が多かったのだろう。更に、優れた知的能力をもった者は、大人相手の塾を開いたり、あるいは、芸術分野で活躍する者もいた。ただ、そういう人たちは、当然のことだろうが、「鬼平犯科帳」には登場しない。
結局、本来の武芸で生きるためには、道場などでの剣道指南、用心棒が表街道で、その機会がないと、脅しから暗殺までの犯罪に生きることになる場合が多かったのだろうか。