「小説とドラマの相違」は一回とばして、「誤認逮捕」に関連する作品を扱う。これは、現代的テーマでもある。
原題が「鈍牛(のろうし)」で、ドラマでは「男のまごころ」。
平蔵が留守のときに、放火犯が捕まり、捕まえたのは、普段手柄のない田中貞四郎だった。自白しているので、平蔵帰宅の2日後に火あぶりの刑が執行されることになっていた。しかし、帰宅の夜、酒井同心が密かに平蔵に、粂八がきいた噂として、自白した亀吉が放火などするはずがないし、盗んだという8両も出てこないので、まわりの町民たちがおかしいといっている、ということを伝える。そこで、平蔵は翌日、さらし者になっている亀吉と、見つめる見物人の表情をみて、亀吉の犯行に疑問をもち、次々と手をうつ。町奉行に処刑の延期を頼み、亀吉が奉公していた柏屋にいって、話を聞き、そして、亀吉を捕まえて尋問した田中貞四郎の手下の源助を呼んで、「俺に対して、亀吉が犯人だと断言できるか」と詰問すると、うなだれてしまうので、源助を役宅の牢にいれる。そして、亀吉がいれられている牢に出向き、平蔵が、当日のことを聞くと、柏屋も罰せられるというと、自分はやっていないこと、当日は、柏屋の女主人の病気回復の祈願をして神社にいっていたこと、犯人をみたことを白状する。誰であるかは言わないので、翌日から平蔵と酒井が、晒されている亀吉の見張り役を務め、数日後、亀吉がじっと見つめていた人物安兵衛を逮捕すると、自白した。
原作とドラマでは、小さな描き方の違いはあるが、大筋ではほとんど相違がない。
簡単に整理すれば、部下田中貞四郎の誤認逮捕で、処刑寸前であった亀吉を、平蔵の奔走と調査で冤罪であることを明らかにし、真犯人を捕まえることで救ったという話である。
この話で当然気になるのは、誤認逮捕をした二人がどう扱われるかだが、逮捕し、拷問して自白させた源助は遠島、源助を使っていた同心の田中貞四郎は、お役召しあげの上、江戸追放となっている。
父宣雄の実話 慎重な捜査
実は、鬼平犯科帳の小説で、容疑者として捕まえた者が、真犯人であるかどうかを、なんども慎重に吟味するという話は、これだけである。しかも、これは、平蔵が不在中のできごとであり、市井の噂話聞きつけた密偵の粂八が、酒井同心に訴え、酒井が江戸に帰った平蔵に告げたことがきっかけになっている。これは、おそらく、平蔵の父宣雄が、火付盗賊改め方長官だったときの取り調べを、平蔵に置き換えて、脚色したのではないかと思われる。鬼平犯科帳は、父宣雄も同じ役職についていたことについて、まったく触れることがないのだが、実は、宣雄が優れた長官であったことを示す逸話が、放火犯の吟味だったのである。既に逮捕され、自白もした容疑者の話に、多少の疑問を抱いた宣雄が、なんども当人を現場につれていって、現場検証をして、間違いなく真犯人であるという確証をえられるまで、慎重な捜査をしたという事例が、いくつかの研究書や歴史書に紹介されている。放火犯は、江戸時代の犯罪として、最も重罪として扱われ、確実に火あぶりの刑になり、また、家族等も罰せられたのである。だから、宣雄は慎重になったのだろう。
「鈍牛」では、平蔵は現場検証まではやらないが、とにかく、自白をひっくり返すわけで、そこに至るまでの手続きは、非常に丁寧なものである。他の話は、ほとんどが盗みを実行する段階での現行犯逮捕だから、疑いもないというように処理されているわけだが、実際には、平蔵自身が逮捕することはあまりなく、同心が逮捕してくるわけだから、慎重な取り調べはしたのではないかと想像する。また、長谷川平蔵の研究書で、誤認逮捕した者に、平蔵が私的に金銭的な補償をした例があることが紹介されている。
冤罪の補償
さて、最も考えたいのは、事後処理である。
真犯人が逮捕され、有罪になるのであれば、まったく問題はない。しかし、犯人ではない者が逮捕されたり(誤認逮捕)、あるいは有罪になる(冤罪)のは、当人にとって酷い損害であるし、また、社会的にそうしたことが頻繁に起きるのでは不安に生きなければならない。それは現代でもないわけではない。捜査で科学的手法が導入され、証拠を積み重ねる。そして、弁護士もつくわけだから、以前から比べれば、誤認逮捕や冤罪の可能性は少なくなっているだろう。
もちろん、そうしたことを無くす捜査が必要であるが、もし起きてしまった場合、
1 誤認逮捕されたり、冤罪で罰を受けた場合の補償
2 誤認逮捕した警察官の処分
3 間違った判決を出した裁判官の処分
などはどうなっているのだろうか。
刑事補償法があり、拘置されていた者が無罪となったときの補償、あるいは、有罪となって服役したあと、無罪であることが認定されたときに、拘留期間に応じて補償がなされるものである。詳しくは条文を参照してほしいが、整理すると以下のようになる。
抑留・拘禁:日数×1,000円~12,500円以下
死刑:3,000万円以内+本人の死亡によって生じた損失等の額
罰金・科料:支払った金額+支払った金額×年5%の金額
没収:没収品の返却、処分していた場合は時価相当の金額を補償
もちろん、国家賠償法を請求することもできる。したがって、補償に関しては、江戸時代よりも、現代はずっと進んでいるといえる。平蔵が個人的に補償したのは、制度によるものではない。
冤罪に関わった人の責任は?
しかし、誤認逮捕の警官等や冤罪となった判決を出した判事の責任を問う法律はないようだ。
江戸時代には、誤認逮捕や冤罪であったことがわかった場合、関係した役人を罰する規定があった。もちろん、江戸時代は、弁護士もつかず、審議のやり直しがあるわけではなく、しかも、取り調べは、今日的な意味では、拷問に近いものが普通だったろう。町奉行所や火付盗賊改方の捜査は、同心が中心になるが、とてもたりないから、岡っ引きなどが私的に同心に雇われて捜査にあたったし、逮捕もした。鬼平犯科帳でいえば、密偵たちである。彼らは、多くが犯罪者すれすれの者だったといわれており、(平蔵の主な密偵は全員元盗賊である)そして、犯人逮捕することによって、謝金を得る仕組みだったので、かなり安易に逮捕がされ、そして、拷問に近い取り調べで自白させ、それによって有罪となる。だから、冤罪はかなり起きやすい環境だったわけである。(拷問は自由にできたわけではなく、許可が必要だったとされるが、それは、いわゆる拷問器具を使った特別な拷問のことで、殴る蹴る等は、許可が必要な拷問とは見なされていなかったようである。鬼平犯科帳では、平蔵みずから、かなり過酷な拷問を加えているが、戦時組織という性質をもった特別警察だから許されていたのか、フィクションであるか、正確にはわからないが、おそらくフィクションではないだろうか。)
誤認逮捕が処罰の対象となるということは、警察だけではなく、逮捕状を出した裁判所の責任も問われるし、また、取り調べを継続した検察の責任にもなる。絶対に犯人以外の者を逮捕してはならないということになると、逮捕に過度に消極的になり、真犯人を逃してしまう可能性も高まるから、誤認逮捕されただけの者は、補償をすることに限定されるのが妥当かも知れない。
しかし、実際に判決を出した者はどうなのだろうか。
私は一度だけ刑事裁判を傍聴したことがある。そのときは、知的障害者が放火の罪に問われていた判決公判だった。友人が弁護士だったので、傍聴にいったのだが、判決を聞いていて、明らかに論理に無理があるように感じた。最初から結論が決まっていて、証拠や状況証拠で、容疑者に都合が悪いものを採用し、容疑者の犯行を疑わせるものは不採用として、とにかく、有罪にもっていくというような論理だったのである。だから、私は強く冤罪だと思った。知的障害者が放火を疑われたというのは、「鈍牛」とよく似た事件だったのである。裁判官が、本当にしっかりと証拠などを吟味して、論理整合性をもたせるような判決を書いていると、安易に思い込むことはできないのだ。トルストイの『復活』のように、裁判官のいいかげんさを告発する文学も少なくない。
かなり重大な冤罪であったことがあとでわかり、裁判記録が検討された結果、提出された証拠の扱いに、重大な過失があったと認定されたような場合には、何らかの懲戒があってもかしかるべきではないかと、私は考えるが、少なくとも、そうした検討が社会的に必要なのではないだろうか。
もうひとつ、町奉行内部には、「赦帳撰要方」という役職があり、与力と同心が配置されている。恩赦が行われるときに、誰にするかを調査する係であるが、当然、依頼する窓口が設けられていた。だから、家族などが冤罪であると確信している場合に、恩赦に託けて再調査を依頼することもあったらしい。
小説であって、あくまでフィクションだが、鷹井伶『ご赦免同心辻坂兵庫』という作品がある。この小説では、辻坂が冤罪を暴いていく。
現代では、三審制であり、かつ判決が確定しても、再審請求などがだせるから、赦帳撰要方などよりは、確実な冤罪防止システムがあるとみることもできるが、しかし、多少目的が違うとはいえ、罰の見直しを専門とする部署があるという意味では、三審制とは異なるといえるだろう。そうした部署が、警察内部にあると、どう変わるだろうか。