鬼平犯科帳 事実と小説とドラマ1

 森鴎外に「歴史其儘と歴史離れ」という短い随筆があり、歴史小説を書く際の事実をどのように扱うかを、自作について説明している。鴎外は、基本的に事実を自然に書くようにしていたそうだが、「山椒太夫」では、事実と伝えられる(といっても事実かどうかは分からないのだが)内容の不自然な部分を訂正して、変更をしたが、それは自然さを意識したものだという。実際の鴎外の小説が、かならずしも事実と合致しているわけではないことは、「阿部一族」などがあげられるが、鴎外の姿勢は「自然」の重視であると確認できるだろう。
 鬼平犯科帳に描かれた長谷川平蔵は、実在の人物であって、実際の功績も記録にある程度残されており、研究書から小説まで、様々なジャンルで扱われている。小説仕立てではあっても、長谷川平蔵の筆によると思われる『御仕置例類集』を素材にした『長谷川平蔵仕置帳』(今川徳三)のような書物もある。残念ながら、長谷川平蔵自身の「著作」は存在しないようで、当時の記録としては、『御仕置例類集』として残されている長谷川平蔵の扱った事件の裁きの記録が、彼の仕事を知る上で最もよい材料のようだ。当時の老中松平定信が書いた書物や、定信が調査させた記録(『よしの冊子』)他若干の記録等があるが、いずれも適切な人間長谷川平蔵を表したものではないようだ。歴史に埋もれていた人物である長谷川平蔵を世に知らしめたのは、池波正太郎で、池波は最大限歴史的事実を尊重したが、事実と明らかに異なる面もたくさんある。それが、資料の読み違い、あるいは資料を入手できなかったためとされる例もあるが、知らないはずがないのに、事実と異なる面もあり、それは池波による「歴史離れ」と考えざるをえない。

 また、「鬼平犯科帳」は4回、シリーズとしてドラマ化されたが、最後の中村吉右衛門主演のドラマの進行中に池波はなくなった。したがって、多くのドラマは、作者である池波の了解の下に制作されていたはずであるが、小説とドラマには、かなりの相違がある。鬼平ファン以外には、あまり興味がないと思われるが、こうした「事実と小説」「小説とドラマ」の相違がなぜ生まれ、何を意図して変更がなされたのかを、しばらく考えてみたいと思った。

小説と歴史的事実が異なる点
 主なものをあげておく。
 最大の違いは、母親の扱いと生い立ちである。平蔵の母が父宣雄の正妻でなかったことは事実であるが、正確な出生などはわかっていないようだ。小説では、巣鴨の豪農三沢家の娘、園で、長谷川家に奉公にでていたときに、宣雄の子どもを宿した。宣雄は跡継ぎではなかったために、園と結婚して巣鴨で生活することを考えていたのだが、跡継ぎだった修理が亡くなり、急遽跡継ぎとなり、修理の妹の波津と夫婦になったわけである。そして、園は落胆して間もなく死んでしまうという設定になっている。しかし、実母は、長谷川家の領地であった千葉の出で、長生きしたようだ。平蔵の晩年まで生きていた。ということは、息子の活躍も知っていたわけだ。
 そこから第二違いになるが、小説では義母の波津にひどく邪険にされ、家出同様の生活をして、「飲む・打つ・買う」の自堕落な放蕩生活をしたことになっている。しかし、正妻に子どもがいない以上、妾腹であっても、男子は大切に扱われるのが当然で、義母にいじめられたというのは、事実ではないとされる。しかも、波津はかなり若くして死んでしまったようだ。だから、小説で描かれた平蔵の若き時代は、事実とはまったく異なるといってよいのである。しかも、小説では、波津が亡くなり、平蔵の勘当が解かれて、将軍にお目見えして跡取りとなることがきまった段階で、放蕩生活はきっぱりとなくなったことになっているが、実際には、父宣雄が死んで、江戸に戻って跡目を継いだあとも、(あるいはあとになって)かえって放蕩生活をしていたのが事実らしい。つまり、旗本といっても、役職につかない者も多く、平蔵も役職につく前の暇な時代に、放蕩生活を送っていたようなのだ。 
 小説では、巣鴨の三沢家で送った少年時代のことは、一切出てこないが、実際には、父親の家で、長谷川家の跡継ぎとしてふさわしく育つように、武士としての教育と訓練を受けていたようだ。長谷川家は、基本的に武官なので、確かに剣術などを小さいころから学んだはずである。
 第三は、松平定信との関係である。小説では、平蔵は定信の信頼が厚く、重用されていたからこそ、火付け盗賊改め方長官を長年にわたって勤めたが、実際には、松平定信は、平蔵を相当に嫌っていたらしい。確かに、謹厳実直そのものの定信と、放蕩無頼の生活をしていた平蔵があうわけもないのだが、何よりも、長谷川平蔵は、父とともに、田沼意次に高く用いられた人材で、たぶんに田沼的な資質をもっていたのである。定信は平蔵を嫌いながらも、実力は認めざるをえないことと、田沼的資質を利用して、長官職を継続させていたふしがある。火付け盗賊改め方の仕事は、かなりの費用がかかり、持ち出しが多いので、通常短期勤めて、栄転していくものだったが、平蔵は、経済感覚に優れ、費用を巧みに捻出していたので、人足寄場の運営や火付け盗賊改め方の仕事をこなせた。逆に、もそういうやり方には、定信は不快感を隠していないわけである。
 話がそれるが、松平定信という人物は、日本の歴史教育のなかで高く評価されすぎている。寛政の改革と称して、徳川時代の3大改革のひとつを担って、幕府を建て直したかのように教えているのであるが、時代の進行を遅らせた単なる伝統主義者に過ぎない。仇敵である田沼意次への対抗意識が強く、田沼の逆をいこうしたのだが、実は、田沼政治の象徴のようにいわれている「賄賂」を、定信も自分の立身のために使ったことがあるという。賄賂なしに、老中にまで登りつめることはできなかったともいえる。もちろん、老中となったあとは、賄賂政治を排除しようとしたろうが、その代わり、必要な財政措置をすることなく、有効な幕府の打開策も充分にはできなかったのが実情であった。
 第四は、役宅の問題である。小説では、私邸として目白に屋敷があり、息子の辰蔵が守っている。そして、役宅が江戸城清水門外にあり、与力・同心はそこに出勤してくる。しかし、歴史的な研究書によれば、火付け盗賊改め方は、加役(建前としては、臨時の付加的な役目)なので、役宅は存在せず、私邸を役宅として使ったとされている。小説では、若いころ本所に私邸があったが、父宣雄が京都奉行になったので、別の人に渡り、帰ってから目白に私邸をえたことになっている。実際には、平蔵が小さいころは、築地に家があり、そのうち本所に比較的大きな屋敷を手に入れることができて、その後ずっとその屋敷を使っており、そこを役宅にしていた。因みに、旗本の邸宅は、幕府から支給されるもので、今でいう私邸ではない。後にその屋敷は、遠山の金さんこと、遠山金四郎が住むことになったということだ。ただし、遠山は江戸町奉行なので役宅は別にあった。平蔵は、屋敷を役宅にするために、白州や牢をわざわざ作ったのである。あるいは、父宣雄も、小説ではまったく触れられていないが、火付け盗賊改め方長官をしていたので、父が既に作っていたかも知れない。
どんな効果を狙ったのか
 ではなぜこのような変更をしたのだろうか。興味深いのは、義母との関係と定信との関係を逆転させている点である。義母にいじめ抜かれたわけではないのに、また、実母が死んでしまったわけではないのに、実母が死に、義母に冷遇されるというように変更し、他方で、実際には、冷遇された老中定信とは、良好な関係をもっていたかのように描いているのは、やはり、「ドラマ」的面白さをだすためなのだろうか。
 江戸時代の「時代劇」の大きなフレームとして、権威があって、基本的には「正道」が行われている幕府政治と、その下に蠢く悪党という設定は崩せないのかも知れない。しかし、「鬼平犯科帳」の魅力は、何よりも、勧善懲悪的な切り方をしておらず、悪と善の相互浸透のような現実、「人間とは・・悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。こころをゆるし合うた友をだまして、そのこころを傷つけまいとする」ものだということを、基本の見方にしていることにある。だから、ときどき、そっと妻の久栄に、老中定信の批判をいったりもするのだ。
 義母波津の描き方は、そういう「魅力」の例外となっている。義母は平蔵を徹底的に嫌い、平蔵も同情的な見方はまったくしていない。盗賊から足を洗った鶴の忠助の酒場に寝泊まりしているときに、義母との関係を話すと、忠助が長谷川邸に忍び込んで、波津の髪の毛を切り落としてしまう。夫の宣雄も含めて家中のものが笑い、忠助にいわれて帰宅した平蔵も笑う。そして、あるときには、義母を殺害しようとまで思うのである。義母との関係は、まったくの創作なので、ついついひとつの方向に突っ走ってしまったのだろうか。
 私邸と役宅を別のものとしたのは、何故か。小説では、何度か平蔵が長官を解任されることがあり、そのことが物語として、重要な意味をもたされている。平蔵に恨みをもつ盗賊が大がかりな闘いを平蔵に挑み、関係者を多数殺害しつつ、盗みにもはいる。なかなか解決できないので、幕府は解任を決めるのだが、そのときには、最後の詰めで、逮捕寸前の状況だったので、若年寄京極備前守の責任で逮捕を許可するが、直ちに、平蔵は盗賊逮捕後、私邸に謹慎の形をとることになる。確かに、そのような設定は、事態の緊迫度を感じさせる効果がある。役宅に対して、池波が誤解していたなどということはありえないので、こうした効果を狙ったのだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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