『教育』を読む 2019.4号 「わからない」の克服

 私は、大学勤務時代(今でも勤務であるが、特別の定年延長で特任なので、半分は勤務状況から脱出している)は、外部の研究活動をせず、大学の教育活動に専念していたが、昨年初めて「教育科学研究会(以後「教科研」)に加入した。しかし、まだほとんど活動をしておらず、どういう活動が可能なのか、これから考えていこうという段階だ。教科研には、『教育』(教科研の機関誌)を読む会があるのだが、私の居住している千葉県にはない。将来的には、「千葉県『教育』を読む会」をつくっていきたいと考えているが、その前に、このブログで、自分で『教育』を読むシリーズを書いていこうと思う。
 教科研を紹介する立場にはないので、興味のある人は、ぜひホームページをみてほしい。『教育』は、以前は国土社からでていたが、今はかもがわ出版から出ている。なかなか入手しにくい雑誌だが、興味のある人は、ぜひ注文して読んでほしい。アマゾンでも購入できる。

 今回は、「わからない」を克服するための工夫をしている実践をふたつ紹介する。
 まず、川淵和美さんの「『わからない』から始まるぼうけん」。
 川淵さんの「『わからない』と言うことは、子どもたちにとって、ハードルが高い。バカにされたらどうしよう、恥ずかしい・・・」という言葉は、教師をしている人にとっては、誰でも、常に感じていることだろう。大学などは、これは小学校以上で、よほどの工夫をしないと、授業中に何を聞いても発言などなく、反応もないような授業が多い。幸い、私の授業では、特に教育学関連では、内容の親しみやすさもあるが、それなりに発言はあるし、また、討論になったりもする。しかし、それもこちらから発言を求めた場合にほぼ限定され、自分から挙手して意見を述べたり、特に、「質問」は出ない。まだまだ工夫が足りないということだろう。

 川淵さんは、「わからない」を克服するために、「にゃんじ」というハンドパペットを使っているそうだ。算数の教科書によく出てくるキャラクターが、説明的であるのに対して、「にゃんじ」は、困った状態で登場させる。「お金を払わないといけないのに、わからないよう」「○○のやり方、忘れちゃったよう」「こんなの習っていない」などと嘆く。そうする、子どもたちは、「こうすればいいんじゃない?」などと自然に見通しをつけたり、説明したりを始めるのだそうだ。
 プリントも、「にゃんじの冒険シリーズ」などとして、子どもたちが、より興味をもってくれるようだ。
 残念ながら、「にゃんじ」によって、子どもたち自身が、「わからない」と気軽にいえるようになっているかは、よくわからないのだが、「にゃんじ」が「わからない」を代弁してくれているために、「わからない」をだすことによって、授業がより面白く、かつわかりやすくなっていく、という実感をもたせることに成功しているのではないだろうか。

 次は、竹澤さおりさんの「ここからはじまる保護者会」を紹介する。
 保護者会をどのように運営するかが、主題だが、最初に、子どもたちとの最初の出会いに、話すことが紹介される。そのポイントは、「失敗はダイヤモンド」「失敗や間違いをどんどんしよう。失敗や間違いは、自分をさらに輝かせるもの」と話す。単に「間違っても大丈夫だよ」などといっても、効果はないので、竹澤クラスでは、間違えると「ダイヤモンド・ゲットー」と言う。それを続けると「自然と前向きな雰囲気」なって、子ども同士でも使うようになるという。更に、教師自身が間違えたときには、「先生もダイヤモンド・ゲントしちゃったよ」などといって、安心して失敗できるぞという雰囲気をつくっていく。
 反対の取り組みとして、「こころ賞」をわたす。帰りの会に、その日、ある子どもがやったいいことを、メモにして、発表しながらわたす、子どもはそれを連絡帳に貼り付けるというものである。連絡帳に貼るので、保護者も反応してくれる。
 なかなか、こころ賞がみつからない子どもについては、「今日はこの子」とねらいをつけて、「先生の荷物、重いんだよね。もってくれないかな?」などと、甘えるようにしていい、だいたいはもってくれる。それをこころ賞にするわけだ。高学年は、「グリーンカード」という、サッカーのフェエプレーに提示されるカードの名前にしているそうだ。こうしたこころ賞は、教師がやるだけではなく、子どもたち同士でもする。
 このあと、最初の保護者の取り組みにはいるが、子どもの写真をみせたり、「男の子あるある・おんなの子あるある」などのテーマを決めて、男子の保護者、女子の保護者にわけて話し合いをするなど、保護者会でも、発言が自由にできる工夫をしている。

 小学校などでは、教師が工夫すると、子どもが素直についてくるという点では、大学生よりは、効果をだしやすいのだろう。私のある講義で、シルバー対象となっていて、10人くらいの高齢者が参加している授業がある。3年間継続し、今年度も予定されているが、シリバーの人たちは、この授業を選んできたこともあるし、ま、様々な知識をもっているために、よく質問してくれる。そうすると、授業が本当にやりやすくなる。そういうことを、学生にも発明するし、また、シルバーの人たちも、質問したほうがいいよ、と語りかけてくれるのだが、質問はほとんどでない。ある程度の知識がないと質問はでないものだ。
 今年は、大学での最後の講義なので、もう少し工夫をしてみたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です