働き方改革なるものが進んでいるようで、そのなかの重要なひとつが、「超過勤務」の削減である。しかし、学校教育の中では、そうしたことは、掛け声はともかく、実質的には進みようがない。現在の公立小中学校は、ほんとうに危機的状況にあると思う。
今日、「餃子の王将」に関する記事で、次のような社長の言葉が引用されていた。
「『企業は人なり』って簡単に言うけど、そんな生やさしいもんじゃないですよ。社員は企業の命ですよ。社員が疲弊したら、いつか会社は悪くなってしまう。わたしは社長になって、もっとも大事なのは社員の皆さんだと思いました。それもあって、店で餃子を巻くのをやめたんです」1
今のままの状態が改善されなければ、教師は疲弊し、学校が悪くなってしまう、といわざるをえない。文部科学省もそれなりの案をだしているが、私からみると、とうてい改善が期待されるようなものではない。いじめによる深刻な事態が、最近増加していると思われるのは、ひとつには、教師たちの疲弊が大きく影響しているといえる。そして、いわゆる働き方改革が、学校に対して、少しも効果を生むように思われないのは、学校の教師には「超過勤務」という概念そのものが無くされているからである。一応「勤務時間」なるものは存在する。しかし、勤務時間を超過して勤務したからといって、「超過勤務」とは位置づけられないのが、学校での勤務の位置づけなのである。確かに、教師の仕事は、時間で切れる内容と、そうでない内容とを両方含むから、通常の労働者のように、労働を時間で管理することは適切とはいえない。それならば、本当に教師がやらなければならない仕事に限定して、それ以上の仕事をむやみに増やさないような行政をしなければならない。しかし、実際には、教師の仕事は、長い目でみれば、どんどん増えている。私が小学校に通っていたころ(半世紀以上前だが)に比べると、今の小学校の教師は、倍くらい働いているのではなかろうか。
これから、少しずつ、どうやったら、削減したほうがよい仕事を、考えていこうと思う。今回は、その第一段階である。
何故、教師の仕事が、そんなに増えてしまうのか。法的歯止めがないことが基本だが、それ以外にも要因がある。
行政側の要請がある
・学習内容の増大
最近だけでみても、小学校では、生活科、総合的学習、外国語、英語、道徳などが教科、あるいはそれに準ずるものとして増加している。また、特別活動についても、学習指導要領には個別に規定されていないから、学校によって異なると思うが、確実に行事も増えている。
・報告、対応の幅の増大
管理職、教育委員会への報告、保護者への報告などは、管理上の要請とともに、何かトラブルがあった場合の「責任をとった証」として義務づけられていることが多い。クレームを主につけるのは保護者だから、小さなことでも保護者に連絡することが要請される。こうしたことに、多大な時間がとられる。
親の側の要請
私の子ども時代には、学校は、実はそれほど大きな期待をかけられる存在ではなかった。学校の成績に今ほど拘らないし、また、教師のやり方にクレームをつけるようなことも、ほとんどなかった。今は、子どもの成績、あるいは学校で快適に過ごせているか、いじめられていないか、等々、親はシビアに目を向けているし、更に、学校に対する要求の内容も増えている。もちろん、親が、子どもの成長に熱心になるのはよいことであり、批判される内容ではない。
しかし、学校は、「健常児」という概念でくくられる子どもを前提にして、組織が成立した。しかし、今では、様々な相違をもった子ども、外国籍、障害をもった子ども、アレルギーをもった子ども、他動の子ども等々が教室に存在している。私の小学校時代には、そのような子どもは、まず教室にいなかったのである。もちろん、そうした子どもたちを排除すべきではないし、きちんと学校は対応していく必要がある。だが、そのためには、「健常児」を前提にした教師組織では充分対応できないことは明らかである。だが、そのための教師の配置は、ほとんどなされていない。そうすれば、結果として、充分な対応ができなくなり、様々なトラブルが起きても仕方ないわけである。
何を削除できるのか
とするならば、教師の増員、それも、それぞれの必要性に対応できる教師が配置されることか、あるいは、「仕事」を削減するかのどちらかしかないのである。この間、何人かの現場の教師と雑談するなかで、何が減らせるのか、何を増員する必要があるのか、いろいろと考えてきた。ところが、この点でのコンセンサスを形成することは、極めて難しい。教師はある情熱をもって職業を選んだのであって、ぞれぞれにこれをやりたいという思い入れがあり、しかもそれが人によって異なるのである。教師が一致して、これは絶対にいらないと思い、それを行政や保護者が同意すれば、無くすことは容易だろうが、なかなかコンセンサスはえにくいのである。
学校によって異なると思うので、ホームページ上でどんな行事が行われているか。ある有名な公立小学校(活発だという評判)の行事をみてみよう。
4月 始業式、入学式、県学習状況調査、発育測定、視力・聴力測定、授業参観、懇談会、避難訓練、
5月 遠足、離任式、古人面談、色覚検査、尿検査・内科検診、歯科検診、体力テスト、プール清掃、心臓検診、市内陸上大会、
6月 委員会活動、知能テスト、PTA理事会、交通安全教室、出前コンサート、ドッジボール大会、授業参観・懇談会、林間前検診、
7月 PTA常任理事会、終業式、林間学校、プール学習(6日)、計算マスター教室(6日)
8月 プール学習(3日)、インターナショナルプログラム、親子清掃
9月 始業式、小中合同避難訓練、発育測定、委員会活動、PTA常任理事会、運動会準備、運動会、市内科学典、
10月 遠足、教育相談日、社会科見学、修学旅行、元気さわやか集会、
11月 市内音楽会、かるた大会、インターナショナルプログラム、中学出前授業、研究発表会、
12月 市内美術展、中学校1日体験入学、授業参観、持久走大会、理科見学、終業式
1月 始業式、社会科見学、学力テスト(全学年)、市内かきぞめ展、教育相談日
2月 新入時入学説明会、市内学力向上テスト模擬テスト、通学班編成、授業参観・懇談会、英語教育交流会
3月 お別れの式、卒業式準備、卒業式、見送り式、修了式、
他に随時クラブ活動がはいる。
さて、このなかで、不要だと思うものを考えてみよう。今後詳細に研究していこうと思っているが、今は大胆に私案を提起しよう。コメントなどいただければ幸いである。もちろん、そんなことは、自分は望んでいないという、多くの教師が考えていることも、まずは提起してみる。
1 小学校の担任教師は、基本教科に限定し、他は専科教員として、専科教員は、数校掛け持ちの勤務形態にする。
日本では、小学校教師は、すべての教科を教えるというのは、これまでの「伝統」であるが、ヨーロッパでは決してそうではない。担当は主要教科のみで、音楽、体育、美術、宗教などは、専門の教師が教え、体育は、市の体育施設を使い、そこにいる指導員が教える。芸術教科や、宗教などは、巡回教師が教える。数校掛け持ちする巡回教師は、現在の日本の法律で認められているが、ほとんど使われていないようだが、もっと活用されていいのではないだろうか。そして、芸術科目等は、週の時間を減らす。これで、大分通常の教師の仕事量は減るだろう。また、専科教師も、自分の専門で教えられる。プログラミング教育などの担当者も、巡回指導教員が適切であろう。義務教育で、本当に皆が学ぶ必要があることは、もっと精選すべきであり、個々人の趣味にかかわるようなことは、学校外教育に委ねるほうがよいのである。
2 学校行事を大胆に減らす。
学校行事は、教師の負担を増やすだけではなく、授業時間を減少させると点で、本来の学校教育の中心的目的にあわない。
私が減らせると思う行事
始業式、終業式、市内スポーツ大会、林間学校、修学旅行、合唱コンクール(音楽祭)、持久走大会、クラブ活動
3 中学校以上は、これに加えて部活を無くす
4 諸報告書の削減
通知表、いじめアンケート、市や県の学力テスト、報告でのインターネットの活用
通知表は法的にはなくてもよいもので、学校としての義務ではない。しかし、通知表作成のためのエネルギーは膨大で、年1度でよいのではないか。
教師から保護者への連絡は、原則、電話か文書で行われているところが多いようだ。学級、学年通信のような文書か、日々起こることについては、電話でというやり方だが、電話は、学校で使える電話に限りがあること、また、保護者が留守など、無駄な時間が多くなってしまうこと、そして、後々電話のやりとりそのものが問題になることがあるなど、私は、電話が必要かつ有効である場合を除いて、原則メールの連絡のほうがよいと思っている。ヨーロッパは小さな小学校が多いこと、保護者が送り迎えすることが少なくないことなどで、送っていった際に、直接話すことも多いが、そうした手法は、日本ではほとんど実現性がない。メールは、書く方も、読むほうも都合がよいときに、すればよいし、時間に無駄がないことと、文章が残っているので、水掛け論議にならない。怪我をしたというような緊急事態を除けば、メールで充分に報告ができるはずであるし、今は、固定電話がない家庭は少なくないが、形態電話、スマホはほとんどの家庭にあるのではないだろうか。
5 超過勤務手当を支給し、教職特別手当を廃止する?
私自身は、これには反対である。教職は、基本的に勤務時間で決めるべきではなく、精選した上で仕事内容を決め、校務分掌等については、手当を至急するのが、教職のあり方に適合していると思う。(次回から、個別に検討する)