先日スウェーデンの新聞を読むまで、ベルギーの高校生が温暖化対策の生ぬるさに抗議して、毎週デモを組織していることを知らなかった。当初、環境問題に熱心なスウェーデンの高校生の話かと思って読み始めたのだが、実はベルギーのことだった。
スウェーデンの新聞がとりあげているのは、単純な「ニュース」としてではなく、実はスウェーデン人の若い女性活動家Greta Thunbergを、デモの主催者が呼ぶことになっているからのようだ。2003年生まれのグレータは、オペラ歌手の母親と俳優の父から生まれたが、アスペルガーや緘黙症で、やがて不登校になる。他方環境汚染問題に先鋭な意識をもち、様々な活動を始め、外国でも演説にでかけたりして、今や若者の環境活動家として有名な存在である。彼女は、スウェーデンでも地球温暖化対策を訴えたデモを呼びかけている。そして、私が読んでいるスウェーデンの新聞Svenska Dagbladから、表彰されているのである。
しかし、「 生徒たちの気候の抗議が、ベルギーの学校世界と政治を分断している Elevers klimatprotester splittrar skolvärlden och politiken i Belgien 2019.2.16」と題する記事は、ベルギーの高校生たちのデモに対して、全面的に肯定的な評価をしているわけではない。
毎週木曜日にデモが行われているが、一万を超える高校生が授業を休んで参加しており、ますます拡大している。本を詰め込んで、外に出て、デモに参加しようという呼びかけが活発に行われており、これは、グレータがスウェーデンで始めた運動を、ベルギーでも行っているとしている。
記事によれば、しかし、学校は、おおっぴらに援助したり、生徒たちと一緒になって気候変動の活動を支持しようということには躊躇の姿勢を示していると指摘し、当然支持している校長もいるが、就学義務に関する法の規定や学校の試験を無視することはできず、警告を発する校長もいる。そして、教師たちに単位認定等で圧力をかけられているという生徒の声も紹介している。
この記事を読んで、かなりきつい状況でデモをしているのだと思い、日本の報道を確認すると、毎日新聞が、1月28日に、「3万5000人の中高生が授業ボイコット 温暖化対策を訴え ベルギー」と題する記事を載せていた。はっきりと35000人という参加者数が示され、「気候変動対策をサボることは、学校をサボることより悪い」という高校生の声を紹介し、SNSが活用されて参加者が増えているだけではなく、「授業ボイコットに理解を示す大人たち」という見出しで、デモに共感の言葉を投げかけているという。ベルギーでは、選挙後政治が混乱し、なかなか政府が安定的に組織されていない状況に、温暖化政策も進まない高校生のいらだちがあると分析している。毎日新聞は、あわせて、主要国の温暖化への取り組みで、日本が最低レベルであることまで指摘している。
毎日新聞は最後に、ベルギーのグレータというべきアヌナ・デ・ウェーフェル(17)のスピーチをあげ、「クライメート・ジャスティス」の理念を解説している。そのまま引用しよう。
グレタさんやアヌナさんたちに根ざすのは「クライメート・ジャスティス」という理念だ。化石燃料の大量消費で経済成長を遂げた先進国と、温暖化による被害を受けやすい途上国や将来世代の間との不正義を人権問題として捉え、それらを正すことを求める考え方である。日本では「気候の公平性」や「気候正義」と訳されるが、浸透しているとは言い難い。ベルギーの中高生たちのデモでは「私たちが求めるのは何?」「クライメート・ジャスティス!」「いつ?」「今すぐに!」という掛け合いが繰り返されていた。
スウェーデンの新聞と毎日新聞とでは、あまりにトーンが違うと感じるだろう。(もっとも、私のスウェーデン語の読み取り能力が、ニュアンスまで理解できないので、勘違いもありうることは感じている。)では、現地のベルギーの新聞はどうなのか。
ベルギーのオランダ語の新聞であるDe Standaardが、2月15日(金)に高校生デモを報道している。
「来週グレータが来る en volgende week komt Greta」と題する記事である。
最初に運動の中心になっている高校生の声を紹介しているが、それは、たくさん集まっているが、まだまだ足りないという反省を述べながらも、参加してくる高校生たちが、気候変動に真剣に取り組み、考えていることを知って安堵していると述べる。当初は、学校をさぼりたいから来るのかもしれないという不安があったそうだ。そして、次に、代表がスウェーデンにいってグレータと会う計画だったが、グレータが来ることになった喜びが語られている。大人たちが、高校生の運動を支持し励ましているのか、あるいは、出席や試験で注意をしているのかについては、触れていないが、大人の世界においても、どのように温暖化対策をしていけばいいのかについて、コンセンサスが形成されていないことが指摘され、政治家が対立していることを嘆く声を紹介している。
しかし、車がガソリン車やディーゼル車から、ハイブリッド、電気自動車に転換しているように、進歩もあるし、また、仕事の無駄を省くことで温暖化対策をしようという小さな動きもあることで、運動の成果を実感しているという評価になっているように思われる。
単純に新聞の差なのか、あるいは国によって見方が変わるのか、簡単にいえないが、少なくとも、ひとつの運動に対する評価に大きな違いがあることがわかる。ただ、ヨーロッパでは、高校生が明確な政治的、社会的主張を掲げて、継続的なデモ行進を組織することが、決して珍しいことではないことに注目すべきだろう。この分銅とは別であるが、フランスでは昨年の12月に、高校生がマクロンの教育改革に異議を唱えて、デモをしている。このことは、フランスの教育事情として、別の機会に紹介したいが、やはり、日本の高校生の対照的な姿を考えざるをえない。この点と、「クライメート・ジャスティス」についてどう考えるか、できたらグレータがベルギーにきた記事が出たあとにでも書いてみたい。