子どもの放置と虐待 埼玉の条令問題

 埼玉県が、9歳以下の子どもを「放置」すると虐待になるという条令を検討しているとされていたが、結局は自民党が提案を取り下げるということで、現在では決着がついている。しかし、この問題はやがて再び起ることは、当然予想されるから、この際、考えておくことにする。
 毎年のように、子どもを車のなかに残してパチンコに興じているうちに、子どもが亡くなってしまうような事故がある。これはあきらかに虐待だと思うが、議論が分れるのは一人で留守番させることだろう。ヨーロッパに始めていったときに、子どもだけを家において、夫婦ででかけたりしてはいけない、と注意された。だから、子どもに留守番をさせて買い物にもいけないわけだ。日本では、ごく普通に行われていることなので、そのつもりで生活していると、近所の人に通報されて逮捕されることもあるということだった。もちろん、子どもだけをおいて夫婦ででかけるということは、留学という特殊な一年間の生活だったので、なかったけれども、それでも、ベビーシッターを雇って、一年間さまざまなときに面倒をみてもらった。もっとも、ベビーシッターといっても、語学の上達のためということのほうが大きかったのだが。

 ただ、このときの経験は、子どもの虐待ということにたいして、日本と西欧とはずいぶん違うことを認識させられたし、また、柔軟に考える必要があることを知ったのだった。
 
 さて、当初埼玉県の自民党が、提出していた具体的な案は、条令の第6条の次に次の1条を加えるということだった。
(児童の放置の禁止等)
第6条の2 児童(9歳に達する日以後の最初の3月31日までの間にあるものに限る。)を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない。
2 児童(9歳に達する日以後の最初の3月31日を経過した児童であって、12歳に達する日以後の最初の3月31日までの間にあるものに限る。)を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置(虐待に該当するものを除く。)をしないように努めなければならない。
3 県は、市町村と連携し、待機児童(保育所における保育を行うことの申込みを行った保護者の当該申込みに係る児童であって保育所における保育が行われていないものをいう。)に関する問題を解消するための施策その他の児童の放置の防止に資する施策を講ずるものとする。
 
 つまり、9歳以下は放置の「禁止」、9歳から12歳までは、しないように「努力義務」ということだ。ただし、罰則がないので、ほとんどあまり実効性は望めない規則であるように思われる。
 そして、どのような行為が「放置」と認定される対象となるのかは、以下のようなことだとされていた。
 
▼子どもを車の中に置き去りにすること
▼子どもたちだけの自宅での留守番
▼未成年の高校生に小学生などのきょうだいを預けて買い物に出かける行為
▼子どもだけ家に残してゴミ捨てに行く行為
▼子どもたちだけで公園などで遊ぶこと
▼子どもたちだけでの登下校
▼子どもにおつかいさせる行為
 
 最初の「子どもを車の中に置き去りにすること」などは、ごく当たり前に禁止すべきことで、すでに何度もおきている事故であり、実際に置き去りにした親は罰せられているから、ここでは問題にする必要はないだろう。しかし、それ以外の項目は、多くの人にとって、それを虐待とすることには、抵抗があると思われる。大きく分けて、
ア 子どもだけで留守番をさせること(子どもだけを家に残して、親・大人が外出すること)
イ 子どもだけで外出させること。(外遊び、登下校、おつかい等)
 たしかに欧米社会と日本とでは、こうした子どもを一人にすることについての感覚がまったく違う。娘が北米への留学を考えていたとき、ホームステイを引き受けてくれるという家庭を訪問したときのことだ。小学生の息子さんが友達の家に遊びにいっているのだが、帰るので迎えにいくというので、母親と一緒にいったことがある。すると、道々会うひとと、いちいち親密な挨拶をするのだ。そして、その理由を説明してくれたのだが、アメリカでは、子どもの誘拐、あるいはトラブルに巻き込まれるおそれをつねに考えている。親と一緒ではないときにそういう目にあっても、近所のだれかが助けてくれるためには、できるだけ親密になっておくことが必要なんだ、ということだった。そもそも、ほんの近所の友達の家にいる子どもを、親がわざわざ迎えにいくということにも驚いたのだが、このような対応には更にびっくりした。日本であれば、普通に一人で遊びにいくだろうし、一人で帰ってくると思う。そういう感覚が背景にあって、子どもを一人にしておくことが、虐待であるという感覚になり、それが法的に罰則つきで禁止されることになるのだろう。
 
 アについて。
 
 子どもの頃の思い出
 小さい子どもの一人の留守番というのは、私自身がかなり長期にわたって経験したことである。正確にはどの程度の回数だったのかは覚えていないのであるが、私がおそらく4歳くらいのときに、父が結核になった。前からその徴候があり、そのために徴兵検査で甲種合格にならず、派兵されることなく、工場勤務になったために、戦死せずに済んだという前歴があった。(同時に検査して合格した人は全員戦死したという)かなり重篤で、当時は死ぬ人が多かった病気だから、当然長期入院になった。母は、おそらく毎日のように病院に通って世話をしていた。家が世田谷にあり、バスで渋谷にでて、地下鉄にのり、たしか虎ノ門に病院があった。兄は福島の田舎(母の実家)に預けられ、私は、ときに母について病院にいき、ときに家で一人で留守番をしていたわけだ。おそらく、片道1時間半くらいかかるので、でかければ5~6時間はかかるわけである。その間4、5歳の子どもに一人で留守番をさせるのだから、母としてもかなり不安はあったはずであるが、幸いにも、なんら事故もなく、私は大人しく留守番をしていた。大抵汽車ごっこというのをやっていたように記憶している。部屋中に糸をはって、それを電線として、その下をポッポーといいながら、電車を走らせるのである。おそらく、糸をはるのにかなり時間がかかり、それから電車を走らせていたので、あまり退屈せずに過ごしていたように思う。
 しかし、欧米なら、そして、埼玉の条令が可決して執行されていれば、ごく当然のごとく虐待認定されていただろう。近所の人に預けられるということもなかった。
 病院に連れて行くといっても、やはり、それはそれで問題があるのだから、どちらにしても、母としては大変な思いだったろう。
 兄が小学校入学の時期になって、帰宅し、私がかわりに田舎に預けられることになって、私の一人留守番は終わったわけである。
 
 たしかに、子どもだけで留守番を、長時間させることは、親としても最大限避けたいと思っているだろう。もし、そういうことがあるとしても、それはどうしても仕方のない状況で、そうせざるをえなかったということが、ほとんどであるに違いない。子どもだけで留守番をさせることは危険だからである。泥棒等の侵入者がある危険性、あるいは、火器の間違った扱いで火事になる危険、危ない行為をして怪我をすることなど、いろいろなことが考えられる。だから、好んで子どもに留守番をさせる親は、ほとんどいないはずである。とすれば、社会、特に政治の側でしなければならないことは、こうしたことを禁止することではなく、こうしたことをしなくても済む仕組みをつくるか、あるいは、危険が生じないような工夫を普及させることだろう。
 火器による危険をさける工夫などは、子どもだけではなく、一人暮しの高齢者にも同様に重要なことである。
 
イについて
 登下校については、普段から考えることがある。既に、現在の日本でも、登下校は「安全」とはいいきれない状況である。まずは交通事故の危険があるし、子どもへの犯罪に遭遇する危険もある。したがって、先進国では、登下校について、誰が安全保障の義務を負うのかについて、明確に定めている場合が多い。義務教育を課している行政側に責任を負わせている場合には、スクールバスを配備することで、安全を確保している。また、単純に安全配慮義務を学校内の正規の教育活動に限定している場合には、保護者が登下校への安全の責任をもつことになる。私が、オランダで子どもを現地校にいれていたときには、毎日子どもの登下校の送り迎えを、私と妻で分担していた。小学校の下級の子どもで、一人だけで登下校している者は、確かにいなかったように思う。親が働いている場合には、近所の子どもが数名で一緒に登下校するなり、上級生がついていたりした。
 日本は、この点があいまいである。誰が責任をもっているのか、はっきりしないのである。スクールバスを導入している地域は、ごく稀であるし、親が送り迎えする例もあまりない。主婦である場合でも、子どもだけで学校にいかせるのが普通だ。それだけ、まだ日本は安全だということだが、それでも、信号のところには、ボランティア等が交通整理をして、子どもが事故にあわないようにしていることが多い。集団登校は、交通事故などに関しては、かえって危険となる場合もある。そして、下校は、登校のように集団下校は難しい。登下校の安全責任は、今後議論されるべきである。
 
 地域によって異なるだろうが、私が住んでいる「住宅地域」では、子どもだけで、外で遊んでいる姿は、めったにみない。数年間、かなり広い空き地があったが、まだ囲いがつくられない時期であっても、その空き地で子どもたちが遊んでいることは、私が見る限りなかった。公園などでは、子どもだけで遊んでいる場面はあるが、むしろ、私の地域の公園は、小学校入学前のほんとうに小さな子どもを、親が遊ばせていることがほとんどである。だから、実態として、子どもだけで、外で遊ぶことはたいへん少なくなっており、それは、おそらく子どもたちの生活スタイルの変化(習い事、塾)と、自由に遊ぶことができる環境がなくなっていること、等によると思われる。
 
 提案者である自民党が引っ込めてしまったので、とりあえず議論がなされることはなくなるのだろうが、しかし、提起されている問題は、解決されねばならないことを含んでいる。小さな子どもを一人留守番させて外出するなどということは、だれでも好んでやっているわけではないだろう。子どもを託せる施設があるとか、あるいは子どもをつれてでかけることで、不便がない環境にする。子どもたちが安心して、遊べる公園などが整備される、など、改善しなければならない点は、いろいろと提起されていることは間違いない。提案をとりさげたことは、現在の日本の状況からみれば、当然だったと思うが、問題の改善の意識までは取り下げるべきではない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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