来年度から、東京港区の公立中学では修学旅行に海外にいくのだそうだ。私立高校などでは、海外の修学旅行はめずらしくもないが、公立の中学となると、これまで聞いたことがない。9月19日の毎日新聞の報道によると、都内では初、全国的にも珍しいという。しかし、このニュースには、いくつか驚くことがある。
1 24年度の港区の公立中学の3年生は760人しかいないそうだ。私の近所の市立の大規模中学では、一校一学年で、そのくらいの人数がいそうだ。いくら少子化といっても、ひとつの区の中学生の一学年の人数としては少なすぎないか。
2 生徒の自己負担は、おそらくこれまで積み立てているだろうが、それは通常の京都・奈良想定だろう。7万くらいなのだそうだが、当然、海外であれば、それではとうてい済まない。不足分は区が補填するという。
3 港区では小学校一年から「国際化」という授業があり、英語教育に力をいれているという。
さて、港区の状況をまったく知らない人には、これらのことは驚きだと思うが、事情を知っている者にとっては、自然に受け入れられるだろう。私がまだ大学に勤めていたころ、港区の出身の学生で教育実習をするので、訪問をしたことがある。その学生は、最初出身小学校で実習をする予定で、打ち合わせもしていたのだが、急遽、事情はわからないが、変更になり、別の港区の小学校で実習をした。そしてふたつの学校の違いを聞いたのだが、最も違うのは、中学受験事情で、一方では、2、3割の子どもが受験するが、他方では9割近くが受験するというのだ。9割といったら、ほとんどが小学校の後半を受験勉強して過ごすということだ。これが、先の1番に直結するわけである。別に港区全体の中学三年生が760人しかいないということではなく、かなりの数の子どもが、私立や国立の中学校に進学するので、公立中学にいく者がそれだけ減ってしまうということだ。先のふたつの小学校のどちらが全体の傾向に近いのかわからないが、おそらく、全体として、半数以上、公立以外の学校に進学するのではないだろうか。つまり、公立中学は、「選ばれない学校」ということになっているということだ。
だから、こういう形で、公立中学の魅力をアピールすることによって、公立離れをなんとか是正したいという意識が、かなりみえてしまう。これが、公立回帰の要因になるかどうかは、今後注意すべきであるとは思うが、それがいいかどうかは別問題として、都立高校の復権が、公立回復の最も大きな要因になるとは思う。
小学校一年から英語教育をしっかりやっているといっても、私立中学に受験する者にとっても、それは大きな利益であって、けっして公立回復の決めてにはならない。
さて、もし、6割以上の子どもが、公立中学、つまり、本来進学するはずの学校ではなく、私立や国立にいくとすると、彼等にとって、公立中学での海外修学旅行はどう映るのだろうか。かなりの額の旅行費用を税金で補填するというのだから、当然私立や国立にいった家庭が支払った税金が、自分たちはいかない修学旅行のために使われることになる。異論はでないのだろうか。港区という、極めて裕福な階層が住んでおり、その結果として私立に進学するのだから、多少の税金の使われ方に不満があっても、鷹揚に構えているにちがいないのだろうか。それとも、金持ちほどお金にはシビアというから、かなりクレームが寄せられるのだろうか。税金の使い方という点では、かなりいびつなことになるから、議論になってもおかしくない。
この記事を読んで、私のような立場からすると、やはり、修学旅行などが、あまり意味がなくなっているのではないか、というところにいってしまう。だいたい港区のひとたちは、海外旅行などを多くの人がしているにちがいないし、わざわざ学校単位の宿泊旅行をする必要もない。学校の教師にとっても、修学旅行というのは、かなりの負担である。まして、海外への修学旅行とすると、事前の調査や、実施中の事故対策など、神経をすり減らす思いだろう。まれには、調査のために海外にいくのは、ラッキーだと思う若い教師もいるだろうが、毎年やっていれば、うんざりする時期がやってくる。旅行などということは、やはり、家庭がやることではないだろうか、と思うのである。