現在の民放の方式はいつまで続くのか

 あまりテレビをみない、というより、食事のときだけテレビをかける。そして、だいたいはニュース色の強いワイドショーだけだ。ジャニー氏の問題への弱腰など、あるいは木原問題もそうだが、ジャーナリズムとしての弱さはさておき、最近、CMが変化しているようにおもわれてならない。単純な感じ方に過ぎないが、とにかくやたらとCMの本数や時間帯が長くなっている。羽鳥モーニングショーのあとに、高田純次の自由散歩という番組が続くのだが、この番組は約30分なのだが、半分程度はCMのような気がする。そして、さすがに何度もというのではないが、あるとき、取材のような宣伝を10分くらいやっていた。高田の番組が終わって、次の番組になっているのかとおもったほどだ。しかし、それは単なるこの高田純次の番組内のコマーシャル放映だったのだ。その証拠に、そのあとで高田によるエンディングがあった。その前の羽鳥モーニングショー内でも、以前よりずっとCMの種類と時間が拡大しているように感じる。

 羽鳥モーニングショーは、人気番組であるにもかかわらず、スポンサーがつかない番組として有名だった。遠慮なく、社会的な問題にたいして批判的な見解を、コメンテーターが発言するので、スポンサーとしては、いつ自分たちの関連することで批判されるか、と不安におもうのかも知れないと感じていた。しかし、最近は、けっこうCMが増えてきたなあとおもったのだが、あきらかに人気番組らしくないのである。まずメジャーな企業のCMはあまりない。そのためなのだろうか、内容もいかにもお金をかけていない感じがする。番組視聴者が高齢者が多いということもあって、健康にかかわる内容のCMが多いことは、自然なのだろうが、子どもが大人にむかって、けっこう難しいことを説明しているようなものも目立つ。こういうCMはみていてあまり気持ちのいいものではない。
 つまり、スポットCMの単価をかなりさげて、これまでテレビ広告をひかえていた企業などをとりこんで、企業側もそれほどの費用をかけずに制作しているという感じなのだ。
 
 昼間の番組は、かなり印象が異なるCMが多い。時代が変ってきたということもあるのだろうが、何の商品の宣伝なのか、さっぱりわからないCMがたくさんあるのだ。ただ、企業名を連呼するようなものも少なくない。また、その商品とはまったく関係ないような映像を流して、最後に企業名だけだす。なんの企業なの?という感じなのだ。昼間だから、それほど若者が多数みているわけではないだろう。だから、若い人ならわかるのかという感じでもない。想像するに、とにかく、企業名を連呼して、印象づければ、何の会社?とおもったひとが、すぐスマホを手にとって、検索して、企業について調べてもらうことを期待しているのかも知れないとはおもう。私ですら、そうして調べたことが数回はある。だが、それでその企業によい印象をもったとか、その企業の製品を買ってみようかとおもったことは一度もない。
 これは、CMをつくる企業の力量が低下したのか、CMの機能そのものが変化しているのかはわからないが、やはり、CMである以上、その製品を買ってみようという気持ちをおこさせることが必須のことだろう。そういう気持ちをおこさせるCMはたしかにある。だが、私が短い時間ではあるが、みているもので、その製品を買いたいと思うものは、ほとんどない。
 
 つまり、感じるのは、テレビという媒体そのものが、やはり、衰退しているのだということだ。当然、インターネットがかなりの部分を受けとるのだが、インターネットはまだまだ広告の扱いが模索段階のような気がする。
 最近ヤフーニュースをみていると、とくにスマホの場合は、やたらとCMが割り込んでくる。記事を読んでいると突然CM画面に変化して、当然すぐに消せるのだが、通常のウェブページを読んでいるときに、自分に関心のある領域の宣伝が、脇に掲示されるような洗練されたものではない。いつにも闖入された感じなのだ。内容もまるで無関心なものが多い。こうしたやり方で宣伝効果があるようにも思えないのである。やはり、まだスマホ業界の広告手法は熟達していないのだろう。
 youtubeは、有料会員になっているので、一切CMがはいらないので、快適に見ることができる。youtuberは閲覧によって収入があるわけだが、それも広告が流されることが前提になっていると思われるから、有料会員がみている場合はどうなるのだろうか。youtube側としては、広告収入は減るとしても、会費収入があるので、利益が確保される。こうした有料と無料の会員のサービスを区分することで、広告主、媒体、視聴者がそれぞれの立場で、利用・提供できるシステムが、今後伸びていくことは、明かだろう。
 
 ところで、以前は、非常に印象に残るCMがけっこうあり、それが確かに商品の販売に効果をもたらしていたと思われる。しかし、そういう印象的な広告が少なくなったのだろう。それとも、日中はないが、夜のゴールデンタイムにはあるのだろうか。
 これまで、私が接したなかで、感心することの多かったのは、オランダのテレビCMだった。かなり前のことだから、今でもそうかどうかはわからないのだが。何が感心したかというと、ドラマのようになっていることだ。日本でも、同じCMが複数回流れることがあるが、オランダの場合には、同じ企業の同じ製品のCMなのだが、ドラマ建ての内容が、続いていくのだ。そして、かならず落ちがある。そして、製品も記憶に残るようになっているわけだ。日本でも物語性のあるCMもあるが、複数回にわたって、続き物になっているものには、ほとんど接したことがない。もちろん、好みはひとによって異なるので、こういうようなCMが万人うけするかどうかはわからないが、ただ、当時は国際的なCMコンテストで上位をとっていたようだ。
 
 結局何がいいたいかだが、スポンサーのCM収入にたよるやり方は、今後発展する余地はあまりないのではないかということだ。とくにテレビの場合には、これまでNHK以外は無料で見ることができたわけであり、NHKはみなくても視聴料をとられるという、極端な形が併存し、見たいひとはお金を払ってみるが、お金をはらってまでみる意思がないひとには、みる手段が提供されない、つまり、料金を払ってみる、というやり方が、インターネットで普及しているが、テレビ業界でそうすることは不可能なのだろうか。もちろん、技術的には可能である。そうしたほうが、確実に番組の質は高くなるような気がするのだが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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