札幌殺人事件の子育てを考える1

 札幌の殺人事件は、動機をめぐって日々報道が続いているが、私が注目するのは、やはり、この父と母の子育てである。報道によれば、他に子どもはいないようだから、一人っ子の娘を育てていたことになる。そして、娘は、30近い年齢になっても、まったく定職もなく、なにか決まったことをするでもなく、親と同居していたという、少し前によくいわれた表現だとパラサイトということになる。

 父親は評判の医師だったわけだから、経済的にはまったく不自由ない生活をしてきたのだろう。そして、経済的だけではなく、生活全体において、娘は自由に、自分の意思を通すことができたということらしい。
 小学校のころから不登校になり、中学も高校も、通して通学、卒業には至らなかった。多くの時期に、やはり不登校であった。
 私が、注目したニュースは、比較的年齢が高くなってから、おそらく20代になってからだろうが、ある習い事をする教室に、比較的熱心に通っていたのに、ある時期からばったりいかなくなった。担当の講師から、母親に電話があったときに、母親は、我が家では子どもの意思を尊重しているので、行きたくないときには、行かなくていいようにしています、という親としての方針を語ったということだ。
 明確なことはわからないが、父親はリベラルな考えの精神科医だったというのだから、そうした姿勢を共有していたのだろう。

 これらは、報道によって知ることができることで、私自身が直接調べたことではないので、あくまでも、報道等によって知り得た断片をつなぎ合わせての推測である。そのことをまず断っておきたい。

 まず、私は子どもの意思を最大限尊重するという姿勢には、基本的に賛成である。子どもの意思に反することを、親が強制しても、親の期待することが実現することは、おそらくあまりないだろうと思う。とくに、社会が多様化し、親が子ども時代に育った環境と、子どものおかれた環境は非常に異なっているから、親の判断は、社会からずれていることもあるわけだ。だから、やはり、将来を生きる本人の意思を尊重することは、子育てにおいて、不可欠のことであると思うのである。

 しかし、そこには勘違いしがちなことも多い。そこで、子どもの意思を100%尊重する教育を行っているサドベリバレイ校の教育と対比してみよう。ここでも何度か紹介しているが、サドベリバレイ校の教育とは、子どもは登校してから、下校するまで、行うことはすべて自分で決めるという学校である。なんの強制もないのだ。
 最初に、サドベリバレイ校を卒業したひとが、サドベリバレイ校で何を学んだかを語る映像があったのだが、そこでは、「問題を解決する意思を学んだ」「そのために必要な忍耐力も学んだ」と述べている部分がある。つまり、同じように自由にさせても、一方では忍耐力がほとんど欠けていると思われる子どもが育ち、他方では、困難を解決できる力と困難に耐える力を培われたと自覚している卒業生を生んでいる教育がある。その違いはどこにあるのだろうか。そのことを考えてみたいと思う。

 最大の違いは、サドベリバレイ校では集団のなかで学ぶのに対して、不登校だった娘には、属する集団がなかったということだ。小学校時代から不登校なのだし、特別習い事で集団にはいっていたようにも報道されていないから、非常に狭い人間関係のなかで、子ども時代から30歳近くまで生きてきたことになる。おそらく集団から学ぶ経験はほとんどないに違いない。
 サドベリバレイ校でもっとも重視していることは、自分が本当にやりたいことは何なのかを見つけることである。自由にやりたいことをさせるのは、本当にやりたいことであるかどうかは、かなり徹底してやってみてはじめてわかるものだからだ。
 では、最初の出発はどうなのか。普通は、親が、これをやったらどうかと勧めるのだろう。しかし、親が勧めることは、非常に狭い視点、あるいは自分がやったこと、やりたかったことが対象であることが多い。それが子どもにもマッチすることもあるだろうが、子どもにとっては押しつけられたという感覚をもつことも多い。
 それに対して、サドベリバレイ校には、4歳から18歳の子どもたちが、好きなことを面白そうになっている。個人的にやっているものもあるし、あるいは何人か一緒にやっている場合もある。それが通常の勉強だったり、あるいは遊びだったりする。遊びでも、干渉されることなく、思う存分できる。だから、みな、楽しそうなのだ。そういうのをみていて、自分もやってみたいと思うだろうし、やってみて、興味がもてれば深く追求できる。
 しかし、どんなことでもやがて壁にぶつかる。より高度なレベルになれば、そうそう楽しんでばかりでは上達しないからである。そこで、先輩たちの助けを借りることもあるだろうし、先生たちの助言を求めることもできる。壁につきあたって乗り越え、さらに深める子どももいるだろうし、これは違うと考えて、他のものをさがす場合もあるだろう。とにかく、12年間の間に、おそらく3つか4つのことを徹底的にやってみることになる。そのなかで、これこそ社会にでたらやってみたいことだ、というのを発見し、そうした進路をとっていくことになる。
 札幌の娘は、不登校になったことによって、仲間から学ぶという契機を自分で放棄してしまった。結局、自分で何かを見出して、努力するということが、ほとんどないままに子ども時代、青年時代を過ごしたことになる。徹底してやったこともないから、忍耐力もないし、また、集団のなかで生活していないから、コミュニケーション能力も低かったに違いない。集団のなかで何かをする場合には、困難を乗り越えやすいものだ。

 近年不登校に対して、学校に行くことを絶対視しなくなったことは、基本的によいことであるが、しかし、学校にいけるようにする努力までしなくなることについては、大きな疑問がある。学校には、いろいろな問題があるにせよ、学校という組織には、他にはない教育力があることは否定しようがない。それは、集団の教育力である。もちろん、教師の適切な指導力がない場合には、それが充分に発揮されないこともあるし、逆に集団にいじめが横行してしまうこともある。だが、教師の力量が高く、適切な指導がなされている学級には、学級そのものの中に人間を成長させる力がある。それをまったく無視して、不登校を許容してしまえば、学校にかわる集団の教育力を子どもに保障することを、親はおそらく考えないに違いない。

 第二の相違は、「責任」の問題である。この点は長くなったので、次回にする。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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