インドと日本の男尊女卑の形

 「“女児が生まれる前に殺される”インドで、家父長制と闘う父親が社会を変える」という記事がヤフーニュースに掲載されている。元の記事COURRiER掲載で、ニューヨーク・タイムズがさらに元記事になっている。
https://courrier.jp/cj/335533/?utm_source=yahoonews&utm_medium=related&utm_campaign=335533&utm_content=society

 インド社会では、男尊女卑の風習がいまでも強く残っており、妊娠中の胎児が女の子だとわかると、中絶してしまう場合が少なくないという。そういうなかで、ある男性の子どもが誕生したとき、子どもをとりあげた看護婦が、非常に申し訳なさそうに、暗い表情で「女の子です」と父親に告げたのだそうだ。その言葉をきいて、男性は切れたと書いてある。そして、そのとき「ご自身のことも、恥だと思うのですか?」と聞いたそうだ。
 そのことを後年思い出して、なんとかそういう風習をやめさせようと、市長になり、大胆な政策を推し進めたという記事だ。
 その政策の柱は出生前診断をやめさせることだった。出産前に男女がわかるから中絶をする。もっとも、出産後も女の子に対して、事実上の殺害行為をする場合もあるが、さすがに、それは罰せられるのだが、中絶はそうではない。すると、中絶を防ぐためには、出生前診断を受けさせないことが重要だというので、出生前診断を受けないように、情報網を築き、そして、受けさせた場合、夫や家族を罰するような方向にもっていこうとしたという。妊婦本人ではない。中絶の意思は家族によるものだという判断があったからだ。
 かなり手荒い方法だが、確実に女子の胎児の中絶は減り、人口構成も是正されていったという。そして、同様な方法、あるいは改善バージョンが広まりつつあるという。

 なぜ、インドではさほど女の子がうまれることを厭うのか、それはいくつの理由があるようだが、宗教的感覚に加えて、結婚の際に、女性側から男性側に多額のお金をわたす風習があるからだとされる。男性の初任給の100倍以上にもなるという。かつては、お金もちの風習だったというが、それが次第に貧困層にもひろまり、女の子がうまれることは、家庭の経済が破綻することだ、という意識になってしまう。
 
 さて、インドでは、こうした女性差別の改善の取り組みがなされているが、日本ではどうなのだろうか。もちろん、日本は、インドのような悲惨な状況はないが、しかし、「先進国」と思っているわりには、女性の地位が低いことは、国際的常識になってしまった。私は、国際ランクほどに、日本の女性の地位が低いとは思わないのだが、女性が活躍しにくい状況にあることは否定できない。
 そして、日本国家の象徴とされる皇室で、女性の皇位継承権が認められていないことは、やはり、「象徴的」意味をもっていると思われる。雅子皇后が、皇太子妃であったときに、ひどいいじめにあい、それが原因で精神的疾患を患ったことは、周知のことだが、そのいじめの原因は、男子を生まなかったことが、最大のものである。そして、うまれた愛子内親王も、学校でひどいいじめを受けたことも、よく知られている。そして、大手メディアが、そうしたバッシングをとくに問題視したようにも見えない。煽っていた側面もある。
 とすると、男子にだけ皇位継承権を認めているというのは、単なる皇室の狭い社会での意識ではなく、ある程度の広がりをもっている意識であることがわかる。
 しかし、さすがに近年は、男系である秋篠宮家のさまざまな問題もあり、また、民主主義的な感覚が育っていることもあって、女性天皇容認が国民の多数になっているが、それでも、政府は決して、国民の意識にそった改革を進めようとはしない。
 そして、インドの女性蔑視感覚がヒンズー教によるものだというが、日本の男系男子派の感覚も、まったく宗教的な執着心である。あるひとたちの宗教的熱狂が、国政の重要な柱を支配していること自体が、日本の国家をあやうくしている。自民党の女性局メンバーの研修(観光旅行)にもみられる。

 国民の象徴である皇室で、男女平等が実現することが、国全体の男女平等の実現のために、大きな意味をもつと思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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