思い出深い演奏会 マイナスイメージで

 思い出深いといっても、とてもすばらしくて感動的だった、というものばかりではなく、逆の場合も多々ある。だれかが重大なミスをして、それが否応なく目立ってしまったとか、演奏の解釈があまりに強く違和感を感じるものだったとか、その他さまざまな要因がある。今回は、そうした演奏会をとりあげたい。
 
 最初にとりあげるのは、自分たちの演奏会で恐縮だが、エルガーの「威風堂々」をアンコールで演奏したときだった。正規のプログラムは、とくにそうではなかったのだが、アンコールは、練習段階から、団員たちの不満が募っていた。こんな風にやるのは絶対に嫌だという雰囲気に包まれた、と私は思う。アンコールの練習は、そんなにたくさんやるわけではないが、最初からみんな驚いてしまった。「威風堂々」というのは、よく知られていることだが、一種の軍隊行進曲だ。軍隊が威風堂々と行進するさまを描いている。そして、いかにも威風堂々という雰囲気の活発な部分と、非常に叙情的なやわらかい部分とに別れている。一般の前を堂々と歩くのに対して、王の前で粛然とあるく部分からなるというイメージだろうか。だが、行進曲だから、通常一定のテンポで通して演奏される必要がある。

 ところが、頻繁に私たちのオーケストラを指揮しているその指揮者は、活発な部分を通常の2倍くらいの速さで演奏させ、そして、叙情的な部分を通常のテンポで演奏させたのだ。活発な部分は、それなりに演奏が難しいのだが、2倍もの速さになったので、みんなてんてこ舞いという感じになり、そして、いかにもその音楽にふさわしくないので、怒りすら感じていた。威風堂々ではなく、まるで「一斉逃亡」のような感じだ。聴いていたひとたちも、最初何をやっているのかわからなかったそうだ。
 しかし、指揮者は、実に満足したように、満面の笑みを浮かべていた。プロオケだったら、指示通りに演奏していただろうかと思われるほどの、誰もやらない解釈だった。
 ちなみに、その指揮者は、その後呼んでいないのか、呼んでも応じていないのかどうかはわからないが、現時点では、それが最後の共演となっている。
 
 さて、私の聴いた演奏会で、名誉のために演奏家の名前は伏す。先日、偶然そのプログラムを見つけたので、名前はわかっているのだが。
 東京都交響楽団の演奏会で、指揮は渡辺暁生だった。そして、ショパンのピアノ協奏曲2番が演奏されたときのことだ。特別に印象的な演奏ではなく、まあ、普通というのがもっともふさわしい形容だろう。しかし、演奏後の拍手が異常に少なく、ピアニストが、カーテンコールででたくないという雰囲気がありありとしていて、なかなかでてこないのを、渡辺暁生が手をひっばるようにして、登場させて、さかんに拍手を要求していたという状態だった。
 なぜそんなことになったのかというと、理由ははっきりしていた。そのピアニストは、楽譜をみて、かつ譜めくりをつかって演奏したのである。もっと大分あとになると思うが、かのリヒテルは、晩年楽譜をみながら演奏していたから、そのあとなら、また聴衆の反応も違ったのかもしれない。しかし、それでもリヒテルが楽譜をみるようになったのは、晩年のことだったろう。そして、その都響の演奏会が開かれたのは、1980年代のはじめ頃で、ピアノのソリストが譜めくりをつかって演奏するのは、みたことがないし、私自身は、それ以後もない。しかも、コンチェルトだ。しかも、ショパンである。だから、ソリストが登場したときに、指揮者のあとから、もうひとり出てきたときには、あれなんだ?という驚きがあり、そして、譜面を並べて、演奏が始まったときには、譜面をみながら弾くのかという、正直それだけでがっかりしたのは、私だけではなかった。それが驚くほど少ない拍手にあらわれたわけだ。演奏が格別すばらしいと感じさせれば、結果も違ったのだろうが、演奏も比較的平凡だった。だから、やはり自信がないのだ、という印象を強めてしまったのだろう。
 
 しかし、よくよく考えれば、大事なのは演奏のみごとさであって、楽譜を見るかどうかではない。暗譜でまずい演奏を聴かされるよりは、楽譜をみながらのすばらしい演奏を聴くほうがいいに決まっている。ただ、ほぼ全員といっていいと思うが、少なくともピアノとバイオリンに関しては、協奏曲を楽譜をみながら演奏するのは、かなり例外的だと感じていたに違いない。滅多に演奏されない曲などをやるときには、ありうるし、映像ではみたことがある。しかし、この場合、ショパンだったことも影響している。オーケストラの定期演奏会にでるピアノのソリストが、ショパンを楽譜をみながら演奏するのか、という驚きが観客を支配したように感じる。
 ただ、演奏家にとって、暗譜で演奏することは、やはり、どんなにすぐれた人であっても、一種の恐怖だろう。ショルティが若いころ、スイスのコンクールに出場したとき、前日か前々日に練習していたときに、途中で暗譜していた部分を忘れてしまい、どうしても出てこなかったというのだ。かなり不安になったが、本番では、スムーズに演奏できて、優勝したわけだが、やはり、忘れる恐怖はあると語っていたように思う。
 
 もうひとつは、藤原歌劇団の「魔笛」の公演だった。このときは、ほぼ日本人スタッフで、たしか日本語上演だったと思う。そもそも、「魔笛」は原語上演よりは、訳語上演のほうが、ぜったいによいと思う。ブルーノ・ワルターもそう語っていたようで、アメリカのメトロポリタンでやった上演も英語で、録音が残っている。妥協的に英語にしたのではなく、それがよいと考えていたからだったようだ。それはよいとして、そのときに、ザラストロ役を、80歳になっていたと思うが、そういう高齢者が歌ったのである。オペラ歌手は、人によっては50前に声がでなくなり、引退する。最近は、トレーニングや役をしぼりこんで歌うので、長く歌う人もいるが、それでも60代がぎりぎりのところだろう。70代でも歌っている人がいるが、それは例外的なひとだけだ。そして、このひとが例外的にすぐれていたひとなのかどうかは、私は知らないのだが、それでも、80代というのは、オペラの舞台にでるには、声が衰えすぎている。そして、実際に、このひとの歌唱は、ほとんど歌っているとはいえないものだったし、ほとんど聞こえないものだった。
 ピアニストがソロリサイタルをやるぶんには、それを聴きにくる聴衆は、最初から承知の上だが、オペラでは、まさか80のひとが歌うとは思っていないし(事情に詳しいひとは知っていたかもしれないが)、しかも、オペラである。オペラは100人近いひとの共同作業だ。そして、ザラストロは重要な登場人物であって、音楽の聞かせ所もたくさんある。
 そして、悪いことに、この公演は、声がでないザラストロの記憶によってしめられてしまい、他がどうだったか、まったく覚えていないのである。
 いかに高齢者を敬おうといっても、ものごとにはあるべき秩序もある。残念な「魔笛」だった。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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