読売新聞の報道によると、昨日指揮者の飯守泰次郎氏が急性心不全でなくなられたということだ。実際に、私が飯守氏の演奏を聴いたのは、おそらく、一度切りだったと思う。オーケストラの定期会員になっていた時期がけっこうあるので、そういうときに出演していた可能性はあるが、記憶にない。ただ、明確に一度の演奏会は覚えている。それは二期会によるワーグナーの「ワルキューレ」だった。二期会によるワーグナーは何度か聴いているので、もしかしたら、そのうちの一度は飯守氏の指揮だったのかもしれないが、なんともあいまいなのが、少々もどかしい思いもする。二期会の「ワルキューレ」は、およそ10年後くらいに再び聴いたが、そのときの指揮者は若杉弘だった。
コロナですっかりご無沙汰になってしまったが、その前数年間は、二期会の公演はけっこう聴きにいっていた。妻のつてでチケットが安く手にはいるという事情だったからだが、とにかく、二期会の水準向上はほんとうに驚くほどだ。「トリスタンとイゾルデ」を聴いたときには、日本人で、この二人を、これだけ歌える人がいるのか、という驚きがあった。その2、3年前に新日フィルが「トリスタンとイゾルデ」を演奏会形式でやったときにも聴きにいったのだが、そこでは主役二人は外国人だった。そして、そのとき、はじめて、「ブーイング」を経験した。二幕が終わったときに、かなり盛大なブーイングがあったのだ。たぶん、二幕に有名な愛の二重唱が、かなりあっさり系で歌われたことが原因だったと思うのだが、指揮者は、ブーイングをしているひとたちのほうをけっこうしっかり見つめていたのが印象的だ。
話がそれた感じがするかもしれないが、二期会の全体的な水準が非常に向上しているということだ。つまり、飯守氏が指揮した「ワルキューレ」と、若杉氏が指揮したときとでは、歌手のレベルが明らかにあがっていた。とくにジークリンデは若杉指揮のほうが圧倒的にすばらしかった。「ワルキューレ」だから、二期会総力をあげての公演だったと思うが、10年前の飯守公演は、不満というのではないのだが、聴いていて、なにか不安な感じがしてしまうし、歌唱の癖が目立つのだ。しかし、指揮は、私は圧倒的に飯守氏がよかったという記憶があった。若杉氏は、ドイツの名門ドレスデンの常任指揮者を務めたあとだったから、ワーグナーは、本場仕込みといっていい。そして、そういう雰囲気をだして、大きな構えで演奏していた。ワーグナーは、こういう巨大な音楽なんだよ、といいたげな感じだ。それに対して、飯守氏は、もっとテンポが早く、むしろ推進力を重視しているかのようだった。「ワルキューレ」は、嵐を描く音楽ではじまり、戦闘に敗北し、嵐のなかを逃げてきたジークムントが、敵であるフンディンクの家に偶然ころがりこむところから始まるわけである。この前奏曲には、あきらかに突進するエネルギーを感じさせる必要がある。また、一幕の幕切れあたりでは、すっかり愛しあうようになったジークムントとジークリンデが、刀も手にはいり、思い切り抱き合うところで幕になるわけだが、ここも、激しい盛り上がりがないと味気ないものになってしまう。
ところが、若杉公演のときには、指揮者の問題ではまったくないが、その部屋にはベットがあり、抱き合ったふたりがベットに倒れ込むのだが、すると、ベットがするすると上昇していったのだ。だいたい体格のよいオペラ歌手ふたりがベットで抱き合っているなか、ベットそのものが空中に浮いていく、などというのは、あまりにこっけいだし、当然激烈な音楽の緊張感をたもっているとしたら、落ちてしまうんではないか、とみていて不安になる。オペラの演出には、歌手が怪我したらどうするんだ、というようなのが、けっこうある。私の記憶では、若杉氏の指揮は、この場面でやはり、ブレーキがかかってしまった印象だった。
二幕には決闘場面があり、そして、三幕には、有名なワルキューレの騎行という、馬にまたがった女戦士たちが空をかけめぐる場面がある。こうした場面は、やはり推進力が表にでてほしい。飯守泰次郎氏の指揮は、そういう点で、非常に率直にはいっていけた。それに対して、若杉弘氏の大きな構えは、トリスタンとイゾルデやパルジファルなどにはいいと思うが、ワルキューレには、違うなという感じをもちながら、聴いていた。ただ、公演全体としては、歌手たちがすぐれていたという点で、ふつたの公演は、甲乙つけがたいというのが正直なところだ。
最後に飯守泰次郎氏の冥福をお祈りする。