中学部活の地域移行 関わりたくない教職員76%

 毎日新聞に、山口市のアンケートで、中学の部活の地域移行に関するアンケートの結果が紹介されている。「中学部活の地域移行 「関わりたくない」教職員76% 山口市アンケ」という記事だ。
 結果は次のような数字だった。
・有償・無償にかかわらず専門種目が指導できるならかかわりたい  3.9%
・報酬が支払われ専門種目が指導できるならかかわりたい                        10.9%
・報酬が支払われるならば専門種目が指導できなくても関わりたい      2.1%
・報酬が支払われても関わりたくない                                                                76.2%
 他方地域クラブ活動がよいことだと思うと回答したのは小学生65.2%、中学生58.0%。そして、はいることについては、積極的な回答がほとんどだった。

 
 もっとも顕著なことは、報酬が支払われても指導はしたくないという教職員が圧倒的多数であることだ。これは、いかに部活の指導に対して、マイナス評価をしているかを示している。とにかく、部活指導などは、お金をもらってもやりたくないという教師がほとんどとまではいかないが、圧倒的多数ということだ。教師にとって、授業がもっとも大事なことなのだから、これは当然のことだろう。
 おそらく、部活の地域移行を考えている役人たちは、少なくとも当面の間は、学校の教師たちが、放課後地域移行したクラブで指導してくれると思っているのだろう。地域のクラブの指導者が、教職員以外で、充分に集まる保障はまったくないからだ。しかし、部活の顧問ですら、最近は、明確に断る教師が増えているのだから、地域移行した場合には、さらに断る教師がたくさんになることは明白である。
 
 そこで、おそらく次のような議論がおきるに違いない。やはり、それではスポーツや文化活動をやりたくても、できない子どもたちが続出して、社会の要求に応えられないではないか、やはり、教師が当面指導することを義務づけるべきではないか、と。
 しかし、これに対しては、指導者がいなくて地域のクラブが成立しないならば、それでよいと主張したい。そもそも、地域のクラブとか、学校の部活には、当然いい面もあるが、子どもの成長を逆に阻害する面もある。私が子どものころは、部活はあったが、その後の部活の事実上の必修化のような事態とは違って、部活にはいらない生徒はたくさんいた。別にそれでまったく問題なかったのである。もちろん、地域のクラブというのもあまりなかったから、放課後は自由時間だったわけだ。だから、何度も書いているように、私は、地域の草野球チームで、ずっと野球をやっていた。私が大学生くらいになった時期に、リトルリーグが盛んになって、リトルリーグと部活の野球部の併存状況がうまれ、私がやっていた草野球オンリーという人は少なくなったに違いない。
 もちろん、私たちの時代がよかったなどというつもりはない。少なくとも野球がうまくなるという点では、リトルリーグや部活にはいることが、絶対的に有利であった。だから、真剣にうまくなりたい人たちは、そうした場に参加していた。しかし、私にとって、野球は楽しみのひとつであって、野球にのめり込むつもりはなかった。もっといろいろなことがしたかったし、充分やることができた。もし、部活にはいっていたら、それに時間をとられて、別のやりたいことができなくなっていただろう。
 ただ、その後の状況は、自由な時間を勝手につかい、やりたいことをやるという子どもの生活スタイルは、都会では、困難になっていく。塾やならいごとが時間がうまり、部活もやっていれば、子どもの自由時間、ほんとうになにをするにも、自分で決められる時間帯が、どんどん少なくなっていったのである。このことのよさと欠点の双方がある。部活やクラブ、習い事は、大人の指導者がいるので、指導者がすぐれていれば、上達が速いし、上達の度合いも大きい。しかし、逆に、自分で考えて模索しながら、ものごとを進めていくということは、少なくなってしまう。やはり、まったく自由に自分で決めてものごとを実行する部分は、人間の成長にとって、大きな意味をもつといえる。そうした側面が狭められたことは、やはり、大きな問題なのではないかと思うのである。
 
 そのように考えると、部活が地域に移行したが、指導者がいないので、クラブが成立しない、はいりたいクラブない、というような状況がうまれるかもしれないが、それは、逆にいえば、自由にやりたいことができる時間帯がうまれることなのである。そのことによって、大人指導ではない、自分の模索で成長していく機会になる。どうしても、指導者がいるクラブでやりたい人は、多少遠くに通うとか、あるいは、そうしたひとたちが努力して指導者をさがしてくればよい。しかし、それすらできなかった、という場合でも、それはけっしてマイナスとばかりはいえないのである。子どもが成長する場合に、重要なことは何かを、考えなおすきっかけにもなるのではないだろうか。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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