大学スポーツ国際大会へのソマリア代表参加 アスリートへの侮辱か

 少し前から、大学スポーツ国際大会の女子100メートルで、ソマリア代表が、断トツの遅さでゴールインしたことが、話題になっていた。それが、今日、サンデーモーニングで、中畑清が、アスリートを侮辱している、大喝だ、と気焰をあげていたのだ。早速記事にもなっている。「中畑清さんが大喝!大学スポーツ国際大会の陸上“素人出場問題”に「アスリートへの侮辱…許せない」」
 私自身、このレースの映像を何度もみたが、途中で、あまりに遅いので、画面から消えてしまい、一人だけゴールした場面が、あとに出てくるというものだ。けっこう肥満体で、とても陸上選手とは思えないことは、この映像でわかる。そして、当初から「素人」なのに出た、と書かれているので、おかしなこと書くなあとは思っていた。大学生たちの大会なのだから、みなプロではないはずで、そういう意味ではみな素人ではないか、と。

 
 この記事に対しては、かなりのコメントがつけられており、事情を解説している文章が複数あって、だいたい同じような説明なので、たぶんそういう事情があったのだろう。そのソマリア代表は、選手ではなかったのだが、ソマリアの陸連の会長と親戚関係があるので出場したというのである。そして、この部分だけの解説だと、けしからん、ということになるのだが、ソマリアは、政情が不安定なことはよく知られており、しかも、イスラム教の国家なので、女性差別が厳しく、なかには、女性がスポーツをやることに対して、非難するだけではなく、実力行使をすることもあり、危険なのだそうだ。だから、こうした大会に出たくてもでられないという雰囲気であるのに、それではまずいということで、この女性が、陸連との合意で、とにかく代表として出る、という、ある種決意の参加だったというのだ。だから、当然、選手ではないわけである。
 こうした事情が正しいとすれば、中畑の発言は明らかに勇み足であって、それこそ発言に喝だろう。
 
 ただ、こうした事情がなければ、弱い者はスポーツの大会にでてはいけないのか、という問題は検討する必要がある。もちろん、国際大会レベルであれば、弱い選手は途中で淘汰されて、当然でることはできないわけだが、そこまでいかなければ、いくらでも弱い人は出場するだろうし、そのことを非難されることもない。
 私の高校は、極めて人数の少ない学校で、スポーツ系は不活発で、部員が足りない部がほとんどたった。いまでもあまり事情は変っていないと思う。ところが、ちゃんと公式野球部があり、夏の大会には出場していた。しかし、部員が9人いないので、夏の大会が近づくと、臨時部員募集の張り紙がでて、それで出場していた。もちろん、勝てるはずがないから、いつも1回戦で敗退していたが、私が2年生のときに、どういうわけか、強豪の早稲田実業から野球でスカウトされたとうわさされる生徒がはいってきて、野球部に入部した。投手だったのだが、たしかに、威力のある球をなげていた。すると、2回戦くらいまで勝ってしまい、臨時部員たちは、少々不安になったことを話してくれた。2年生の同級生が臨時部員になっていたのである。1回戦でまけるつもりで、そのあと勉強に励もうと思っていたのに、勝ち進んだらこまるというような気持ちだったらしい。しかし、いくら投手がよくても、たったひとりだけ優秀なのだから、勝ち進むのは無理で、3回戦で負けたと思う。
 この年は、一人優秀な投手がいたので、試合としてさまになったが、いつもは、完全に早々とコールド負けしていたはずである。コールドゲームというルールは、極端に弱い選手やチームが出場するという前提でつくられるわけだ。もちろん、そういうチームがでたからといって、「アスリートを侮辱している」などと非難されることはない。むしろ、はずかしい思いをするかもしれないのに、よく頑張って出場した、と好意的に思われるのではないだろうか。スポーツというのは、だれにとっても有用で、好きな種目であれば楽しいものだ。当然優劣はあるが、優のひとたちだけが試合にでられるというのは、それこそスポーツ精神に反するのではないだろうか。
 
 ソマリアの選手のあの姿をみて、とうぜん中畑のように感じる人もいるだろうが、ああいうかたちでも出られるのか、頑張ろうと励まされる人も大勢いるのではないかと思うのである。スポーツは特定のひとのためのものではない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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