木原官房副長官が文春を刑事告訴

 立憲民主党の質問状に対する回答のなかで、文春を刑事告訴していることを明らかにしていると、各種報道がある。刑事告訴をするということは、文春の記事がでた当初からのべているので、別に驚くことではないが、刑事告訴などをしたら藪蛇になるという指摘もたくさんあり、だから、日弁連への救済を申したてたといわれていたので、躊躇はしつつも、やはり実行したのかと、改めて思ったわけだ。しかし、これが木原氏にとって有利に働くことはないと思われる。
 文春の記事で、刑事告訴をするということは、当然、文春の記事が、木原氏の社会的地位を脅かすほどの名誉毀損となっているということだろう。実際のところ、文春の記事が、木原氏の社会的地位に、大きな脅威となっていることは事実だ。だからこそ、木原氏としても、かなり切羽詰まった状況なのだろう。

 しかし、文春側としては、一歩もひかず、争うだろう。名誉毀損は、私もずいぶん勉強したことがあるので、比較的冷静に判断できると思うが、私の理解では、名誉棄損罪が成立するとは、思えない。
 まず、文春の記事は、報道であって、報道に関しては、犯罪にかかわることの制限がかなりの程度緩和されている。一般人が、ある人物の犯罪を暴くようなことをネットに投稿したら、ほぼ確実に名誉毀損に問われるだろう。一般人には、そうした情報提供に、公益性があるとは認められないからだ。犯罪がまだ発覚しておらず、その犯罪を知っているならば、ネットに投稿するのではなく、警察に通報しなければならない。しかし、報道機関は、犯罪を追いかけていて、調査したことを報道したとしても、そのこと自体は、当然のことであるとされる。私自身は、そうした報道のあり方に、疑問はもっているが、現在は、容疑者の実名や写真を報道しても、そのことが名誉毀損になるとは考えられていないわけである。それは、報道が、国民の知る権利に応えるための活動だと認知されているからだろう。
 木原氏にかかわる部分については、木原氏が、妻がかかわっているかも知れない事件の捜査を、自民党の有力代議士として、また、自民党のポストを利用して、妨害した、圧力をかけてやめさせたという、ニュアンスのことを書かれていることに対して、名誉毀損であると告訴しているのだと考えられる。この問題については、決定的な証拠はえられないにちがいないが、少なくとも、それが事実であることを推定される事情があれば、名誉毀損の違法性は棄却されることになっている。もちろん、報道が事実であれば、自民党の有力代議士が、警察に圧力をかけたことを暴露することは、社会的公益性に合致する。そうした圧力は許されないからである。
 木原氏は、自分はやっていない、圧力などかけていないというにちがいない。しかし、文春側としては、タクシー内の会話という動かしがたい証拠がある。もちろん、これは、木原氏の妻の取り調べを行った元刑事が、これだけでは、圧力をかけた証拠にはならず、妻を励ますために、誇張していったととることは可能である。しかし、法が求めているのは、決定的証拠ではなく、そのような推量できる事実があればよいのである。実際に、タクシーのなかで、「俺が手を回したから大丈夫だ」と語っているのだから、木原氏が警察に手を回したと推測する有力な根拠になる。実際に、このようなものを聞けば、木原氏が手を回したことを、明確に否定する人は、ほとんどいないだろう。少なくとも、可能性がある程度には思うはずである。
 だから、この記事が、刑事的な名誉棄損罪となる可能性は、私は極めて低いとしか思えない。もちろん、文春としても記事にする前に、弁護士のチェックをうけているはずである。
 
 しかし、木原氏にとって藪蛇であるというのは、このことではない。文春は徹底的に闘うはずだから、可能なあらゆる入手した情報を、裁判においてだし、報道が真実であることを主張するに違いない。そして、裁判は公開だから、当然、メディアは傍聴して取材をする。そして、今度こそは、大々的に報道せざるをえないだろう。これまで、木原氏がその地位を保持しているのは、大手メディアが一切報道していないからというのも、ひとつの理由に違いない。文春読者と、ネットでyoutubeをみている人にとっては、この事件は周知の事実だが、新聞やテレビで情報をえている人にとっては、ほとんど知られていない事実なのである。ちょうと、ロシア人の多くが、テレビしかみないので、ロシア軍がウクライナでやっていることを、まったく知らず、ロシア軍は正義の戦争をしていて、ネオナチのウクライナをやっつけているところだ、と思っているのと似たような状況であろう。それを刑事告訴して、ほんとうに裁判にでもなったら、せっかく大手メディアに報道させないできた状況を、みずから破ってしまうことになる。
 
 さて、この事件をかなり熱心においかけているが、いくつもの疑問がある。それは、おいかけている人に共通のことだろう。その疑問のひとつだが、木原氏は、この事件のことを妻からきいていて、それでなおかばおうとしているのだろうか、ということである。元刑事の記者会見で、タクシーでの会話で、元刑事が驚いたのは、「俺が手をまわした」発言ではなく、Yの名前がでたことだったという。Yとは、木原氏の妻の元夫の友人で、彼女が一時浮気をしていた相手であり、彼のところに逃亡していたこと、そして、夫が不審死した現場に、彼女が電話で「自分が殺してしまった」といって呼び出した相手である。つまり、このYの名前が木原氏にもわかっていたということは、この事件の詳細を知っている可能性がある。二階幹事長(当時)に相談にいったとき、「離婚しろ」といわれたが、そのように忠告する人は少なくないだろう。政治家であれば、たとえ自分ではないにしても、殺人事件にかかわっている人物が配偶者であることは、自分の地位を脅かすことになるからだ。「子どもがいるので」と断ったことになっているが、それが本心とは思えない。何か、木原氏としては、離婚できない弱みを握られているのか、と勘繰りたくなるわけだ。木原氏が極めて有能な政治家であることは、疑いないところなのだろうが、しかし、さまざまな不可解のこともある。頻繁にクラブで豪遊しているというなどということも。到底個人的にだせる出費ではないわけだ。おそらく、今後そうした情報がでてくるのだろうが、やはり、もっとも基本的なこととして、警察は殺人事件であると疑われることについては、きちんと捜査するという、警察本来の機能をしっかり果すところに戻ってもらいたいものだ。そうしてこそ、その延長上に、圧力問題も浮き彫りになってくる。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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