札幌事件と木原妻事件の共通性を考える1

 まったく無関係の事件だが、札幌での首をきった殺人事件(以下札幌事件)と木原妻の関係している事件(以下木原妻事件)とが、共通点であるのではないかという可能性がでてきた。札幌事件の場合は、加害者がほぼ確実に特定されているが、木原妻事件は加害者が特定されておらず、正確にいえば、殺人事件であると断定されているわけではない。しかし、捜査にあたった刑事が、実名で事実をのべていることから考えて、自殺ではありえず、殺人事件の可能性は、ほぼ確実になっているといえる。だが、これまでは、木原官房副長官の妻とその友人Yが疑われており、前者の可能性が高いと感じられていた。しかし、週刊文春最新号の元刑事の説明で、もう一人の可能性が主張され、今日の記者会見では、あくまでも当刑事の主観・見立てであることが強調されていたが、実は、木原氏の妻がほんとうにやったことなのか、という点については、疑問ものべられていたし、私自身もそのように書いていた。そのときには、私はYの可能性が高いと思っていたのだが、その後、死亡推定時刻とNシステムによるYの現場到着時刻の関係で、Yの犯行は不可能だったと、ほぼ証明されている。そして、でできたのが、元刑事によるZの登場で、まったく違う展開が考えられるようになってきた。文春では、Zへの取材が報告されており、Zは当日現場にいったこと、そして、けっこうひんぱんに現場(木原氏の妻が同時結婚していた夫の家、長期に家をでていたので当日夫に連れ戻されてきた家)にいっていること、そして、事件当時、捜査にあたっていた警察署にもいっていたことを語っているのである。そして、その他の条件(ボクシングをやっていた)等も考慮して、このZが木原妻の父親であることが、強く信じられるようになっている。(ネット上での話)そして、このZは当時現役の警察官であり、体力的にみて、実行することができたことははっきりしている。もちろん、これは、まったく証拠によって証明されていないことであり、あくまでもこれまでだされている情報から判断していることである。それを確認したうえで、考えていく。

 
 ここではじめて、ふたつの事件の共通点がでてくるわけである。それは、娘の父親が事件の首謀者であるということだ。札幌事件でも、実行したのは娘であるとなっているが、計画し、準備をしたのは、父親がリードしていたと考えられている。木原妻事件では、もし仮定が正しいとすると、実行行為と、前後の工作(自殺の偽装と、殺人とされた場合のために、Yを呼び出して、おそらくYの犯行にみせかける)をおこなったのはZであろうと考えられる。つまり、娘のために父親が実行したというわけだ。
 娘の状況は、同じではない。札幌では、被害者となんらかのトラブルがあったとされるが、どのようなものなのかは、いまの段階ではあまり詳しいことはでていない。ただ、娘が望まないかたちで、被害者がなんらかの働きかけを継続していたことは想像できる。木原氏の妻は、結婚当初はうまくいっていたが、そのうち、妻がYのほうにはしることになり、実際に家をでている。どこにいたのかはわからないが、当時の夫は懸命にさがし、そして、Yの家にいたことをみつけ、父親にハイエースを借りて、荷物といっしょに、妻と子どもを連れ戻したわけである。かなり長期に家出をしていたことになるから、そうとう関係は悪化していたと考えられる。以前にもけんかは絶えなかったそうだ。すると、そうしたことを父親にも語っていたと考えるのが自然だろう。そして、連れ戻されたあと、父親に連絡したことは充分に考えられるのである。(もし、そういう経過だとしたら、むしろ、家出をしている最中に、父親に連絡して、別れる算段を支援してもらえばよかったのにと思うのだが)。
 
 さて、ここから本題にはいるが、これはかなり困難な課題である。私自身、娘の父親であるが、幸いなことに、娘が深刻なトラブルに巻き込まれ、トラブルの相手をなんとか始末しなければ、などという事態に陥ったことがなかった。しかし、いまでも、我が家にやってくるときには、可能なかぎり駅まで来るまで送り迎えする。それはトラブルに巻き込まれることを未然に防ぐためである。そういう意味では、彼等ふたりの切実な感情は理解できる。しかし、その対応が、問題を解決しないことも明らかである。札幌事件では、家族全員が逮捕されるという異常事態になってしまった。木原妻事件は、当初はおそらく警察官のかかわった事件であることが、自殺という認定にしてしまったのであろうし、そのままですめば、完全犯罪になった可能性がある。しかし、未解決事件に対する炯眼な刑事が、記録のなかから不自然さを発見し、再捜査にふみきった。もし、木原氏の妻が、木原氏と再婚しておらず、独身あるいは一般人と再婚していれば、そのまま捜査が継続して、逮捕されることになったろう。しかし、木原氏という自民党の有力政治家と結婚していたために、事件が一時封じられたが、こうしていま明るみにでて、たんなる殺人事件をこえる事態になっている。いずれも、娘を守ろうという、ごく自然な感情から発したとしても、やりかたはあまりにも愚かな方法をとっている。とくに、後者のZ氏は、日本での殺人事件のほとんどは解決されていることをよく知っているはずである。(この点の掘り下げは次回にしたい。今日の記者会見について、警視庁の談話があるので、それについて。)
 
「元捜査員は同日、記者会見し、男性の死は事件性が疑われるとの見方を示した上で、当時の妻への任意聴取の様子などを明らかにした。
 これに対し、警視庁の国府田剛捜査1課長は「証拠上事件性は認められない」とのコメントを発表。元捜査員が会見で、関係者のプライバシーや捜査の具体的内容などを明らかにしたとして、「誠に遺憾。捜査への信頼に関わる」とした。」(時事通信)
 
 現場の捜査員が、自殺の証拠はなく、状況はだれがみても事件性のあるものだ、と断定しており、事件性がないなら、その証拠を指摘せよ、と明言しているのだから、「証拠上事件性は認められない」などという説明では、だれも納得しないだろう。「捜査への信頼」をそこなっているのは、こうした発表をする警察の高官の発言である。このことは間違いない。今日記者会見をした元捜査員は、さらに怒りを増幅させているだろう。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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