日本テニス協会は何のためにあるのか

 テニスの全仏オープンで、ボールをボール・ガールにあててしまって、失格(さらに賞金とポイントの剥奪、そして罰金)となった加藤選手に対して、「処分は受け入れざるをえない」という声明を、日本テニス協会がだしたということで、ネット上ではたいへんな批判が巻き起こっている。私も、「テニス協会」って、なんのためにあるのか、と疑問をもたざるをえなかった。ルールにしたがって、ということらしいので、どのように説明されているのかを、元のものを見る必要があると思った。テニス協会のホームページにいくと、たしかに、以下のような声明文があった。全文を引用しておく。
 
加藤未唯選手が、困難な状況を乗り越え、全仏オープンのミックスダブルスで優勝しました。
日本テニス界にとっては、昨年の柴原瑛菜選手に続く快挙です。加藤選手のプレー、そして
ティム・プッツ選手とのコンビネーションは、とても素晴らしく感動的でした。温かい
ご声援を頂いた日本中のファンの皆さまには、心より感謝申し上げます。

女子ダブルスで、故意でない行動により失格となってしまったことは残念でしたが、同時に、
大会側が下した判断については、現行のルールの中では従わざるを得ないと感じています。
ボールが当たってしまったボールパーソンの方には、心よりお見舞いを申し上げたいと
思います。
今回、ファンの皆さまから頂いたさまざまなご意見を重く受け止め、テニス界のさらなる
発展のために引き続き努力してまいります。
公益財団法人 日本テニス協会
専務理事 土橋 登志
 
 要するに、混合ダブルスで優勝したことを誉める文章の一部に、「現行のルールのなかでは従わざるをえないと感じています。」と書かれているだけなのだ。どんなルールなのか、本当に正しい裁定だったのか、等々、詳細はまったくふれていない。こんな文章なら、何も書かれていないほうが、まだましだったろう。
 ルール違反というが、最初に、状況を把握していたはずの審判が警告をして、終わりになるはずだった。ここまでは、「ルール」といってよいだろう。しかし、それに対して、相手選手が、執拗な抗議を行い、ボール・ガールが泣いていて、血がでていると、言い続けたようだ。しかし、泣いていたことは事実だが、血が出ていたとは思われない。加藤選手がうったテニス・ボールがあたっても、血がでるなどということは、考えられないのである。泣いていたのは、痛くて、というよりは、別の感情だったと、私は解釈している。ところで、このような抗議をする権利は、相手選手にあるのだろうか。そここそが、「ルール」として検討される必要がある。もし、そういう抗議が認められるルールであるとすれば、当然、加藤が行った「ビデオをみてほしい」とか、そうした反論の権利もあるはずである。ところが、あまりに執拗な抗議のために出てきた役員が、映像をみることもなく、「泣いている」という理由で、審判の裁定を覆し、さらに、賞金とポイントの没収まで決めた。これは、不利益処分をする上での「ルール」にあう措置だったのか。私には、ルールに見合うというよりは、こうしたことになった状況を想定していなかったルールであり、最終的に、役員に裁量権をあたえているということだったのではないか。しかし、その場合、役員には、判定に対する正当な判断であったことを説明する責任がある。しかし、それはなさないるようには思われない。
 そして、判断のあいまいさがあるが故に、世界中から、とくにかつての名選手たちからの、役員裁定に対する批判が多数寄せられているのである。とくに選手たちが、加藤を擁護し、全仏の機構を批判しているのが、あの裁定が、あきらかに選手たちにとって、著しく不利で、不公正だからである。自分がそのような目にあったらたまらないということもあるだろう。
 こうした、外国の選手たちが声をあげているのに、日本テニス協会は、そうしたあいまいさを指摘し、自国民の選手の正当な利益を保護する姿勢を、まったく見せなかったといえる。そういえば、日本のテニス選手の声をあまりきかない。要するに、日本でテニスをしているひとたちは、まっとうな権利意識がないのか、と思ってしまう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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