実弾射撃訓練中の新人自衛官候補生が、指導的立場の自衛官3人に発砲し、2人を死に至らしめ、1人に重症を負わせる事件が起きた。自衛隊内部の銃撃事件は40年ぶりだそうだ。もちろん、事件そのものにも驚いたが、もっと驚いたのは、高校卒業後まだ2カ月しかたっておらず、正式の自衛官でもない候補生が、実弾射撃を実際にするのだという事実だ。自動車教習所で、法令も学ばす、運転の心構えなども充分に講義されないうちに、路上教習にでるようなものではないだろうかと思ったものだ。
高卒1カ月では、本人がどのような人物であるかもわからない段階ではないだろうか。もしかしたら、精神疾患を抱えているかもしれないし、入隊に際して、人物調査はするのだろうから、人格的な問題はないということになっているのかもしれないが、調査だけではわからないことがあるだろうし、実際に、ともにある程度共同生活をしてこそ、わかることがある。そうした一定期間の観察期間のあとで、実弾を扱うようになるのかと思っていた。しかし、今回は4度目の訓練だったというのだから、本当に早い時期から訓練が始まるのたろう。
そもそも、自衛隊が実際に戦闘をするのかどうかわからないし、また、そういう建前を前面にだして訓練をしているのかもわからないが、本当に自衛隊が「自衛の戦争」をするとしても、銃による戦闘などを行うのだろうか。ウクライナ戦争が進むにつれて、ミサイルやドローンなどの、人が直接銃で闘うような場面はほとんどなくなっている。youtubeなどの映像では、そうした場面がでてくるが、それは実際のウクライナ戦争の場面ではないものが多いと思われる。街を占領するためにはいっていく場面では、銃を構えているだろうが、そういう場面で、基本は戦車などが中心となっているはずである。そして、ウクライナの戦場は、旧来型の戦争が行われるような地形だが、日本は海に囲まれた島国である。歩兵が銃撃戦をするようなことは、ほとんど考えらないシチュエーションである。
もちろん、自衛隊といえども、憲法上の問題はあるとしても、実質的には軍隊だから、銃の扱いを学び、習熟する必要はあるのだろう。しかし、その前にいくらでもやるべきことがあり、つまり、近代的な軍隊として学ぶことがたくさんあり、実際に銃やその他の兵器を扱うことを学ぶのは、自衛官としての人間の安定感を確認してからのほうがいいのではないかと思うのである。
候補生は、正式な自衛官ではないのだから、安易に銃をもたせることについて、一般市民として不安を感じざるをえないというのが正直なところだ。
この事件がおきて、自衛隊内部のハラスメントが話題にもなっている。いじめはかなり横行しているという噂をきいている。実際に、自衛隊の訓練に参加した人の言葉である。そして、自衛官の自殺が一般社会の基準に照らしても多いことは、ときどき話題になる。実は、私の教え子の家族で、自衛官になるための学校在学中に、かなりのいじめにあって自殺した人がいる。だから、噂は、噂にすぎないとはいえないものを感じている。
軍隊が自由で、開放的な雰囲気で、みなリラックスしている、などということは、たしかにありえないことだろう。命をかけた存在なのだから、守るべき規律は厳格に維持しなければならないことは間違いない。しかし、現代社会において、非合理な人間関係が許されるわけではないし、また、そうした関係が、効率的な集団行動を生むわけでもないに違いない。人間は、本当に必要性を自覚したときには、かなり厳しいことでも、耐えて行動するものである。だから、そうした自覚を促すことを土台に、軍隊として必要な厳しい規律を維持できるような資質を形成すべきだろう。そして、そういうことが適しないものは、やはり、他に転職なり、厳しい活動をしない部署にするなど、適性に応じた処遇が必要なのだと思う。そして、そういう適性を把握するためには、それなりの長い期間が必要であり、そういう点からはても、高卒の若者が、直ぐにも実弾での射撃訓練にはいるようなプログラムには、疑問を感じざるをえないのである。