読書ノート『ルポ 大学崩壊』田中圭太郎(筑摩新書)2

 前回は、前半の3章から、印象的な部分を重点的にとりあげたが、今回は後半に関して、1つの話題をとりあげたい。
 後半の構成は
・大学は雇用破壊の最先端 
 大量リストラした奈良学園大学、視覚障害の教員をはずした岡山短大、早大・東大の非常勤教職員の雇い止め、研究者の雇い止めが扱われている。
・大学に巣食う天下り
 全国的に広がる文科省の大学への天下りが扱われているが、特に、福岡教育大学と目白大学が詳しく書かれている。
 
 このなかでとりあげたいのは、視覚障害者の教員を、なんとかやめさせようしている岡山短大の事例である。幼児教育学科の准教授は、遺伝性の網膜色素変性症を患っているが、岡山大学から博士号を取得しており、「環境」という科目を担当していたという。視力が少しずつ衰えていったが、授業をするのに支障はなかったという。派遣職員がいろいろと手助けをしてくれていたが、その職員が辞めるときに、准教授にも退職勧奨をしてきた。そのときには、自費で補佐員を雇うことで、継続していたが、そのうちに、強力に辞めるように圧力をかけ、結局、授業をもたせないようになった。事務職ならよいということだが、拒否したために、授業をはずされてしまった。そこで、労働局に提訴し、授業をさせないのは不当であるという決定がだされたにもかかわらず、復帰させていない。

 明らかに、障害者差別禁止法にも違反しているのだが、行政指導にもかかわらず、短大は授業をさせないままである。もっとも、勤務はしており、解雇されたわけではない。
 
 障害者差別であるから、当然許されない短大の措置だが、差別ではないとしても、実に愚かなやりかたといえるだろう。博士号をとっているのだから、実力は保障されているといえるし、授業もきちんと行なえていたという。ただし、視力が低いために、教材の準備などに補助が必要だということはあるようだ。おそらく、短大としては、それが面倒だと思ったのかも知れない。しかし、本人が補助を雇うというのだから、(それも本当はおかしいが)短大に負担をかけているわけではない。率直にいって、行政の勧告をうけながらも、授業を担当させないことに固執しているのかは、理解に苦しむところだ。学生から苦情があったとか、学生がカップラーメンを食べているのを注意しなかった、などといっているようだが、苦情については、学生間のトラブルであって、教師の問題ではないし、ラーメン食べているのは、学生の問題だろう。理由にならない。
 結局、障害者が授業を教えているということを、認めたくない、あるいは、障害者が教えていると、短大の評判が悪くなると、思い込んでいるのかも知れない。 
 しかし、そうだとしたら、大きな勘違いだろう。
 今は、障害があっても学びやすく配慮されている大学こそが、高い評価をえる時代なのである。まして、障害がある教師が授業を担当しているとしたら、もちろん、不十分な授業しかできないのであれば別だが、学生への励ましになるに違いないし、社会もそう受け取るのである。障害者が、障害の故に不利にならないように配慮されている環境は、健常者も含めて過ごしやすい環境だからである。
 
 だが、そういう意識に、大学経営者がなるのは、なかなか大変なのかも知れない。やはり、それなりに経費負担が生じるし、様々な配慮をする場面が増えるからだろうか。
 私自身、大学に勤めていたときに、障害者の学生の受け入れについては、管理的な立場のひとと、ずいぶん議論した。かなり前のことだが。聴覚障害や視覚障害の学生は受け入れるのだが、私が定年退職するまで、車椅子の学生は受け入れないままだった。(今はどうかわからない)
 当時は、古い校舎が多く、エレベーターのある校舎は2つしかなかった。最初にエレベーターが設置された建物は、スロープと自動ドアもあった。だから、その建物をつくったときには、車椅子を想定していたのだろう。しかし、受験生は頑なに拒んでいた。
 エレベーターのない教室の授業もとらざるをえないから、無理だというわけだ。そして、障害者問題の専門の教師が、反対の急先鋒だったのには、驚いたものだ。私は、無理ではない。4月の、まだ教室配当をしていない段階で、車椅子の学生に履修する科目を決めてもらい、彼が履修する科目を、すべてエレベーターのある建物で授業をするように割り振ればよい、それなら可能だろうというと、そういう特別な措置はとれないというのだ。特別支援教育というように、特別な措置がとられるべきであるというのが、社会的コンセンサスではないか、といっても、結局、大学のトップが意見を変えない限り、変わらない。そして、自動ドアは最初のエレベーター付きの建物だけで、それ以降はなく、もっとも新しい建物には、スロープもつけられなかった。
 大学の基本理念が「人間愛」ということになっているが、こうしたことを考えると、ため息がでる。
 しかし、私の勤務していた大学が、特別に障害者に冷たいとは思えない。岡山短大のような大学は、少なくないように思われる。
 
 初めて全盲の学生を受け入れたときには、キャンパス中自転車が放置されていて、危険なほどだったのだが、全盲の学生よけて教室に入ることができないということで、かなり厳しく、自転車は所定の場所にとめるように指導され、自転車の放置はなくなった。そのために、建物への出入りが楽になったものだ。全盲の学生のおかげといえるだろう。このように、障害者に配慮することは、全員への配慮となるのである。そのことを、教育機関につとめるひとは、よく理解すべきなのだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です