パリ五輪へのロシア参加問題 拒否すべき

 ウクライナのゼレンスキー大統領が、来年のパリオリンピックで、IOCがロシア選手の「中立」を条件の参加を認める方針を出したことに対して、ロシア選手を参加させるべきではない、と国際社会に訴えた。そして、それに対して、ロシア側が反対声明を出している。
「「受け入れられない」 ロシアが五輪除外の呼び掛けに反発」(URLは文末)
 
 この問題をどう考えるか。
 オリンピックには、ふたつの原則めいたことがある。ひとつは、「政治を持ち込まない」ことであり、他は「オリンピックは平和の祭典」ということだ。しかし、周知のように、このふたつの原則は、相反することがしばしばある。政治的メッセージを、なんらかの形で発した選手が非難されることがあるが、他方、そうしたメッセージは人権抑圧への抗議であることが多く、共感や支持が寄せられることもある。また、モスクワオリンピックは、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、西側は多くがボイコットした。
 
 平和の祭典に関しては、実はオリンピックは3回中止になっている。

・1916年ベルリン
・1940年東京
・1944年ロンドン
 すぐわかるように、当事国が戦争中だったことが、端的な理由である。尤も、ベルリンとロンドンは、文字通り国土が戦場であったが、東京の場合は、日本が中国と戦争を中国本土で継続していたが、日本や東京は戦場になっていなかった。日本がアメリカの爆撃を受けるようになったのは、もっと後年である。国内外から、オリンピック開催にふさわしくないという反対論が起きて、日本が返上した形になっている。しかし、日本が戦争をしていた事実が理由であった。つまり侵略戦争をしている国は、オリンピック開催国としてふさわしくないという、国際世論があり、当事国日本もそれを認めたということだ。
 しかし、モスクワ五輪ではそれがあいまいになってしまった。
 1979年に、ソ連はアフガスタンに軍隊を派遣して、以後10年間部分的にではあるが、占領状態が続いた。そこで、アメリカがモスクワ五輪ボイコットを呼びかけ、完全ボイコットから、部分ボイコットまで多様だったか、西側の多くの国がボイコットをした。しかし、IOCは「コメントする立場にない」として、一切無関係の姿勢を貫いたために、以後も、戦争や政治紛争に絡んだ問題が起きると、一貫しない対応がみられることになったといえる。1984年のロスアンジェルス大会では、アメリカのグラナダ侵攻を理由に、東欧諸国がボイコットするなど、報復的要素がみられたが、次のソウル大会で、ボイコットなく、文字通りの世界規模での大会となった。しかし、その後も、ロシアは、ドーピング問題で出場停止になったり、あるいは、ソチ、ペキンの冬季大会直後にクリミア半島奪取、ウクライナ侵略などを問題を起こしている。
 アフガニスタンに侵攻したソ連の、オリンピック開催を認めてしまったことが、やはり、その後の「平和の祭典」をあいまいにしてしまうことになった。
 
 ロシアのウクライナ侵略によるオリンピック参加問題に対して、IOCのバッハ会長は、中立を条件に個人の参加を認めるという立場を表明したわけだが、実は、バッハ会長は、フェンシング選手だったが、モスクワ五輪に、西ドイツがボイコットしたために、出場できなかった当事者であり、ああいうことはなくしたいと語っていたことが、今回の決定に反映している推測できる。
 しかし、個人が参加できないというよりは、侵略をうけて、国土が破壊されている国民にとって、侵略戦争をしている国民が、「平和の祭典」に出場することは、もっと大きな心の傷、不快感を引き起こすだろう。「平和の祭典」をうたう以上、侵略戦争を起こしている国は、参加できないことにすべきである。従って、ロシアの参加は認めないという、ゼレンスキーを支持したい。
 ただ、音楽家に対して求められたウクライナ侵略に反対だ、という意思表明をした選手の参加は認めるという方式もありかも知れない。ロシアが侵略をしているにもかかわらず、ロシアの参加を認めたら、もはやオリンピックは「平和の祭典」ではなくなる。
 
 これまで何度も書いたように、現行のオリンピックそのものに否定的なので、ロシアの参加はとんでもないと思うが、国家対抗になっていることが、やはり問題の根源にある。あくまでもチーム、個人対抗にするのがよいと思うが、やはり、国家の平和的競争という象徴的意味を重視するなら、せめて、ラグビーのように、外国籍でも、長くその国で選手生活をしている者は、国籍ではない、選手生活をしている国の代表として出場できるというのは、むき出しての国家対立を緩和することになるし、また、国家間の交流にも有効であると思われる。オリンピックにも、このラグビー方式を取り入れたらどうだろうか。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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