松竹氏除名から、民主集中制を考える2

 再度規約3条を引用しておく。
 規約3条
党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本はつぎのとおりである。
1 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
2 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党としての責任である。
3 すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
4 党内に派閥・分派はつくらない。
5 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。」
 
 今回は、1の「民主的議論」と「多数決」について考える。

 まず「多数決」についてだが、共産党の場合、松竹氏の指摘を考慮する必要がある。松竹氏は、『シン・日本共産党宣言』のなかで、この半世紀の間に開かれた中央委員会総会で、決議に「反対」した委員はおらず、「保留」したひとが一人いただけで、あとはすべて「賛成」だったと書いている。松竹氏は、長く党の専従だった人なので、このことはおそらく事実なのだろう。最も重要な会議でのほとんどすべての議案が、半世紀間たった一人の一回を除いて、全員一致で決定されたことを、おそらく、多くの人は、「民主的議論」がなされていない結果ではないかと考えるに違いない。もちろん、当事者たちは、民主的議論を尽くしたから、満場一致になったのだと主張するに違いない。もちろん実態はわからないので、断定はできないが、考える材料がまったくないわけではない。
 まず、党員といえども、多様な見解があることは、幹部の発言でしばしば語られるし、今回の松竹氏や鈴木元氏の異論提起を考えれば、異論があり、かつ必ずしも、異論をもつ人がごく少数というわけではないことが想像できる。
 松竹氏の書いていることで、考慮すべき第二の点は、組織の単位ごとに、閉じられているという点だ。松竹氏は、党の建物の修繕などのときに、その担当者としてかかわっていたために、いろいろな部署に出入りしていたが、ある部署の修繕に関して話題にしたところ、何故違う部署のことを知っているのだ、違う部署にはいって何かするのは規律違反だぞ、と叱られたという逸話を書いている。つまり、松竹氏が明らかにしていることは、支部や地区、県など、それぞれに所属する人同士は知っているが、所属が異なる人のことは、まったく知らない関係であるということだ。一般市民にとっては、(私もそうだが)かなり異様な風景に感じられるが、それは、ロシア革命前のレーニンたちの活動や、戦前日本の党員の活動が、政府や警察の監視下に置かれ、常に逮捕、弾圧の危険に曝されていて、逮捕されると徹底的な拷問の結果、仲間の情報を白状させられたことから生まれた対応策であり、歴史的背景を考えれば、そうした組織運用形態が生まれた理由は理解できる。戦後も共産党員であることがわかると、職場等で差別を受けた事実は、いろいろな人によって語られているから、維持された理由もわかる。しかし、そのことによって、「民主的議論」と「多数決」が極めて歪んだ形になっているといえる。やはり、常に満場一致というのは、通常異論がある組織では起りにくい事態であり、それには何らかの要因があると考えられる。
 今日の日本で、そこまでの弾圧はないといえるから、組織運用の在り方も変わるのが当然だろう。
 
 前回の選挙のところで確認したが、選挙は、ほぼ指導部による推薦された者の信任投票で行なわれる。ほぼそうした指導部が上級の大会への代議員となるだろう。
 ある問題が各部署で議論がされ、異論が出たとしても、多数を占めた意見の者が、代議員になっていくと考えられる。つまり、そこで、少数派は、代議員を送れないことになる。これは、上級にいくほど顕著な傾向になるだろう。だから、中央委員会の総会になれば、少数意見の持主が委員として派遣される可能性は、極めて小さいと思われる。これが、おそらく、全員一致となるメカニズムである。
 もちろん、この仕組みが、民主主義に反するとはいえない。形としては、極めて民主主義的である。しかし、どこかおかしい。やはり、半世紀間たった一人の保留を除いて、あとはすべて全員一致の決定というのは、異論を認める組織の健全なあり方とは違うと感じる。
 
 そこで、次の要素を考えてみよう。
 ひとつは、先に述べた単位組織が異なるひとたちとは、交流ができないということ。もうひとつは、国際的・全国的問題については、地方や個人が扱わないことになっている点である。支部自身の問題や地区に限定された問題であれば、こうした原則が桎梏になることはないだろうし、その部署の討議で解決可能だろう。しかし、まさしく異論が大きな問題となるのは、国際問題や全国的問題である。松竹氏が特に重視して取り上げた安保条約や自衛隊問題がそれにあたる。ところが、これらの問題では、末端の支部や個人は扱ってはならないことになっているようなのだ。民主主義的議論というのであれば、全国の問題は、全国の誰でも自由に議論に参加できる、ということが保障される必要があるのではないだろうか。
 もちろん、以前は、そういうことは技術的に不可能だったといえる。しかし、現在のネット社会では、やる気さえあれば、技術的には簡単に実現できる。たとえば、党員だけが参加できるネット上の掲示板などを設置して、そこで自由に討議できるようにすれば、全国の党員が議論に参加できることになる。しかも、自由に意見をいうことができる。
 県の問題も、代議員にならなければ、支部に属する党員は、狭い支部のなかでしか意見をいえないことになっている。県の問題であれば、県に属する党員であれば、誰でも自由に意見を述べることができるのが、「民主的議論」ではないだろうか。これも、県単位の掲示板で実現できるのである。
 かつては、仕方ない方法であったとしても、現在の技術を使えば、実現できる議論の方法を採用しないのは、やはり、怠慢であるのか、民主主義を十分に保障しない姿勢と言われても仕方ないのではなかろうか。
 
 多少話題からそれるが、外部への意見公表について考えてみよう。
 歴史を見れば、内部の変革によって、社会の変化に対応しなければならないときに、内部のひとたちからはそうした改革努力が起きないことは、しばしば見られることだ。そういう場合に、多くは外圧によって事態が動く。そうして、外圧に対する対応によって、うまく必要な改革が可能になった場合もあるが、外圧に負けて、外国勢力に蹂躙されることも少なくない。つまり、外圧は、改革の契機にもなるし、改革への反発から、国が滅びることもある。日本の明治維新と李氏朝鮮をみれば、その意味が理解できるだろう。
 松竹氏と鈴木元氏は、この外圧効果についての慎重な考慮から、あえて異なる対応をしたとも考えられる。つまり、鈴木氏は予め志井委員長に提起をした上で、出版をし、松竹氏はそれをせずに出版した。案の定、松竹氏は除名され、鈴木氏は現時点で処分の対象になっていない。しかし、勝手に外部で公表したのだから、鈴木氏の処分もありうるのだ。だが、松竹氏に対して、事前になんら意見を提起しなかったことを処分理由としてあげているから、事前に意見を提起した鈴木氏は処分しにくいわけである。
 では、事前に提起した鈴木氏の見解は、十分に考慮されているのか。少なくとも、現時点では、完全に無視されているように見える。それは、志井氏に委員長辞任を迫り、党首公選を実施せよと迫ったわけだが、党首公選は、派閥や分派を生むから、行なわないことを決定している、との見解を、繰りかえしているだけだからだ。
 私は、松竹氏や鈴木氏の出版が、「攻撃」だとは思わないが、少なくとも「外圧」を狙ったことは間違いない。実際に、松竹氏の主張を応援する見解は、ネットで多数公表された。その外圧に対して、極めて印象を悪くする対応をしてしまったことも、現在では明らかといえるだすろう。
 外部からの圧力への対応こそ、政治力を求められるのではないだろうか。
 確かに外部へ勝手に公表しないことを、規約で規定しているから、ある種の処分は必要だったかも知れない。しかし、除名にしたことは、多くひとが必要と考えている改革を、潰すだけの結果になり、衰退をもたらすことにならざるをえないといえる。
 
 まとておこう。
 民主的議論であるためには、所属員が、自由に意見を発表することができ、また意見の交流ができること、特定の課題には、特定の所属員だけが意見を発表できるのではなく、すべての所属員に開かれていることが必要だろう。そして、「民主的議論」には、批判には論理的に対応することが、不可欠であると思われる。これは、まったく党外から寄せられる批判に対しても、同じことがいえる。ただ、これは、「異論の排除」の否定、分派問題として検討しよう。
 多数決の結果が、全員一致にばかりなるのは、異論があるとされることと矛盾するように思われる。異論や少数意見が尊重されているとすれば、異論が多数決に量的に反映されるのが自然なはずである。(続く) 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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