党首公選を訴えた松竹氏が除名? 訴訟に訴えたらどうなるか考えてみる3

 除名理由の後半を考察する。残っているのは以下の通り。
ウ 安保条約の廃棄、自衛隊の段階的解消など、綱領に基づく政策を「ご都合主義」と攻撃している。
エ 我が党を個人独裁的運営とする鈴木元氏の本の出版を急ぐように働きかけた。これは党攻撃のための分派活動である。
オ 党内で自身の主張を述べたことはないことを認めている。
 
ウ 安保条約と自衛隊の位置づけは、誰もが感じているように、日本共産党にとっての最も困難な政策領域である。日本国憲法が審議されているときに、共産党は反対の立場であったことは、よく知られていると思う。その理由は、9条にあった。軍隊をもたない国家などありえないという、ごく常識的な理由からだった。天皇制についても反対理由の大きな部分を占めていたが、その両方に関して、その後大きな転換があった。これまた周知のように、共産党は最も強固な護憲政党であって、9条を絶対的に正しいとし、自衛隊の意見説を原則的には変えていない。その帰結として日米安保条約は廃止としている。

 しかし、単独で政権をとることを目指し、その前の連立をまったく度外視して、その政策を変えないなら、単独で政権をとること自体が可能だとは、ほとんどの党員は考えていないに違いない。それほど非現実的な夢である。とすると、連立政権を組むことを想定せざるをえない。その場合、共産党以外の政党は、すべて日米安保条約を前提にした外交・防衛政策を肯定しており、最も基本的な領域で、相いれない違いを生んでしまうことになる。そのため、自衛隊の位置づけを中心として、安保条約廃止の「時期」についても、時代とともに、共産党の政策は揺れてきた。このことは、否定できない事実である。
 私の目からみても、日本国民の圧倒的多数は、日米安保条約を廃止すべきであるとは考えていないように思われる。むしろ、ロシアのウクライナ侵略という現実をみれば、NATO加盟に賛成というひとたちも少なくないだろう。更に、自衛隊に対する国民の意識も、ほとんどが肯定的である。実際に、海外に派兵されて戦闘行為に参加し、多数の戦死者でもでれば、国民の意識も変化するかも知れないが、これまでは、自衛隊を戦闘に参加させるという選択は、自民党ですらしていない。
 このような状況のなかで、自衛隊「活用論」、国会開会式への参加(それまでは天皇制反対の立場から欠席していた)、安保条約廃止を将来のこととして、当面は妥協するというような政策を打ち出して、国民民主党との連携を図ってきた。
 このことを松竹氏は、強く肯定する立場であるように読める。むしろ、もっとそうした方向性を明確にするべきなのに、志井委員長の9条への執着から、揺れ動いており、それを「ご都合主義」と批判しているのであろう。少なくとも、世間的にみれば、ご都合主義のように見えることは確かなのだ。それも、おそらく、政策転換に至る議論が、可視化されていない故に、よくわからないままに、突然政策が変わるためであろう。
 まとめれば、ご都合主義という松竹氏の批判は、ある程度妥当であり、かつ、言論による批判である。それを「除名の理由」にするのは、法的判断はともかく、共感をえにくいものだろう。「除名」という処分が重すぎるという判断の材料にはなりうる。
 
エ 鈴木元氏の出版を早めるように働きかけたことが、党攻撃のための分派活動である、という理由付けは、かなり奇妙に思われる。鈴木元氏も、党員で同時期に党首公選を主張する本を出版したわけだが、現時点では除名されていない。その理由は、鈴木氏が同じ趣旨の文章を事前に、党中央に送付していたからだと推測される。尤も、除名ではないし、松竹氏ほど世間的な注目を集めていないので、実は除名、あるいは別の処分がなされていて、公表されていないだけかも知れないが、とりあえず、処分はされていない可能性で論を進める。すると、処分されない行為、つまり、許容される行為(出版)を早期にしようと働きかけることが、何故除名に値するほどの敵対行為なのか、理解に苦しむ。
 むしろ注目されることは、事前に中央に文書を送ったのに、それがどのように扱われたか、まったく公表されていないことだ。もしかしたら、無視されたのかも知れない。逆に、大いに議論が巻き起こっているのかも知れない。議論が起こっているとしたら、党中央にも党首公選に賛成のひとがいるということだろう。すると、何故、「党首公選は分派活動を引き起こす」から、党決定で否定されている、かのような理由で、松竹氏は処分されるのか、説明がつかなくなる。
 
オ 党外で勝手に意見を発表しないという規約に違反するということだ。鈴木元氏が、出版の了解を得ているのかはわからないが、とりあえず事前に志井委員長宛てに文書を送付したために、除名処分にはなっていないようだ。それに対して、松竹氏は、事前にそうした送付をしていないということで、「勝手に」やったということは、氏自身が認めていることになる。従って、規約を前提に考えれば、処分は仕方ないことになる。
 そこで、問題は、このルール自体の妥当性と、処分が「除名」という最も重いことが妥当かという点になる。
 松竹氏は、古参の党員でしり、安保外交部長までやったひとであるから、当然規約のことは熟知して、敢えて、事前に党内で提起せずに、いきなり出版と記者会見を実行したのだろう。そして、処分がありうることも承知していたに違いない。つまり、このルール自体が、現在の社会を踏まえて、時代遅れの間違ったものであることを、党に対してだけではなく、社会に対して、同時に訴えたいと考えての選択だったと思われる。そして、社会的効果としては、松竹氏が期待したように、松竹氏の主張はごくまっとうであること、処分は不当は不当であることの表明がある。ネット上、松竹氏を批判している者もあるが、圧倒的に少数である。個々の党員や議員に対する質問なども多いようだし、また党中央寄せられた意見も多いと報道されている。
 鈴木氏の志井委員長への書簡は、今のところ反応がないということだが、松竹氏への反応は明確にあった。一般の支持と、党からの除名。
 
 まとめ
ここでは、訴訟になったら、という仮定で考察したが、松竹氏は、党に処分の再審査を求めると記者会見で語っていた。あくまでも、問題提起をして、処分を受け、更に再審査を要請することで、社会的な議論を引き起こすことを、当初から意図していたに違いないと思う。そこまでしないと、党指導部は変わらないと考えたのだろう。従って、判決を考えることは意味ないが、私は、訴訟になれば、松竹氏は勝訴すると思う。少なくとも、処分をまったく取り消すことはないかも知れないが、少なくとも、除名処分は重すぎるという判断は引き出すことができるのではないか。
 ただ、重要なことは、多くのひとが主張していたように、当たり前のことが、最低限真剣な党内議論になることだろう。
 
 最期に付け加え。
 アップしようとしたら、産経新聞が、穀田氏の会見を報道していた。そのなかで「穀田氏は「党の中でいろんな意見を言う自由は当然ある。党外で党を攻撃し攪乱(かくらん)する動きをした場合、それは認められないということでの除名は当然の結論だ」と強調した。」と書かれている。
 朝日新聞の社説で、除名を批判されたことに対するコメントだ。小池書記局長の談話もそうだったが、松竹氏の提起を「攻撃」とか「攪乱する動き」と把握していることに、心底驚いた。松竹氏の記者会見や著書をみて、党への攻撃だとか、攪乱を意図している、などと思うひとは、ほとんどいないと思われる。なんとか、よくしようと問題提起をしていると、解釈するだろう。小池氏や穀田氏だって、本当に攻撃された、攪乱されたと思っているのかすら、疑問だが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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