荒井勝喜首相秘書官が、かなり迅速に、更迭された。昨年更迭された大臣たちと比較すると、そのスピードは驚くほどだった。
そもそもの起りは、国会の答弁で、岸田首相が、選択的別姓制度と同性婚を認める意思はないかと問われて、選択的別姓については、世論が分かれているから、更なる議論が必要だと述べ、同性婚については、家族の在り方について社会を変えてしまうと、ともに否定的な見解を述べたことである。これが1月26日。「岸田首相「慎重な検討を要する」 ”夫婦別姓”や“同性婚”に… 代表質問2日目」(日テレニュース)
この答弁に対して、2月3日に、記者10名ほどが、荒井秘書官に、首相答弁について質問をしたところ、オフレコで述べた見解を、毎日新聞が報道した。
荒井秘書官の発言の詳細はわからないが、次のようなことを述べたとされる。
・LGBTsは顔を見るのもいやだ。
・隣に住んでいるのもいやだ。
・同性婚の法案を認めたら、国外に出てしまう人がいるだろう。
毎日新聞は、オフレコ発言をあえて報道したのは、ことの重大性を考えてのことだが、オフレコであるので、事前に秘書官に報道する旨を通知して、掲載したという。「オフレコ取材報道の経緯 性的少数者傷つける発言「重大な問題」」(2023.2.4毎日新聞)
報道によると、直ちに荒井秘書官は、謝罪会見を、オンレコで行い、岸田首相が更迭に踏み切ったわけである。
速やかな更迭は当然だろうが、それですっきり問題が解決されたとは到底思えない。多くの人もすっきりしないものを感じているだろう。
第一に、岸田首相も同じようなことを、国会で発言していたではないか、何故秘書官を更迭できるのかということだ。確かに、「顔を見るのも嫌だ」などという、どきつい言い方はしていないが、同性婚を否定し、家族の形が変わってしまうことを望ましくないと思わせるような表現をしたのだから、基本的姿勢は同じだといわざるをえない。しかも、社会が変わること自体がよくない、と思わせる言い方だ。確かに「顔をみたくない」などというどぎつい表現はしていないが、認識がさほど違わないとすれば、秘書官は、結局首相の考えを敷衍したといえないこともない。政治家は、社会を望ましい方向に「変えていく」のが使命なのではないのか。
第二に、オフレコという記者会見に関してだ。オフレコが絶対あってはならないかどうかは、確信がないが、情報を受け取る側としては、オフレコ会談があること自体に、メディアへの信頼感を失わせるものがある。結局、政治家と記者の間には、秘密の了解事項があり、それを知らない国民への優越感が醸成されているということだろう。当然ジャーナリストとしての批判精神などは、どこかに行ってしまうのではないか。
思い出すのは、立花隆氏が、『文藝春秋』で、田中金脈問題を告発する記事を書いたとき、大手新聞社の記者たちは、こんなことは俺たちも知っていたよ、とうそぶいたことだ。知っていて書かなかったことこそ、記者として失格である証拠なのに、知っていたことでもって、自分たちの怠慢を糊塗しようとした情けなさ。それは、おそらく当時からもあったオフレコ会見のなせる技だったのではないだろうか。
民主主義の重要な指標が「透明性」であることは、何度も書いてきたが、オフレコ会見というのは、メディア自体が透明性を喪失させる行為である。オフレコだからしゃべってくれるではなく、公開の会見で、巧みな質問で情報を引き出すことこそ、記者としての能力なのではないかと思うのだが。
第三に、こうした差別意識の持主の感覚の異様さである。たとえオフレコであっても、「顔も満たなくない」などと、常識をもった人なら決していわないだろう。それをあえて口に出してしまう。岸田首相にしても、同性婚を認めると社会を変えてしまうというが、どういう風に変えて、それが何故悪いのかは、決して説明しようとはしない。質問で突っ込まれたとしても、おそらく回答しないに違いない。つまり、熟慮しているわけではなく、旧態を変えたくない政治勢力を慮っての発言に過ぎないのではないかと思う。
このようなひとたちには、「自分はそういう立場にはないが、そういう立場の人がいることは認める」という「寛容」の精神をもてないのだろうか。