神戸の連続児童殺傷事件の裁判記録が、廃棄されていたという報道を、記憶している人も多いだろう。そのときにもブログに書いたと思うが、「99.9%消える司法文書「保存場所と人の確保を」 青山学院大元教授の塚原英治さん、デジタル化は「閲覧の手段」に」(元青山学院大法科大学院教授の塚原英治弁護士 神戸新聞)という記事がでて、紙の原本を残すのが大事で、そのための場所と職員を確保することが必要だ、という主張をしている。多いに疑問である。
塚原氏は、デジタルではなく、紙で残す理由を2点述べている。
・スキャンした文書では、原本と同一か確認できない。
・デジタル化は簡単ではない。
まずスキャンしたファイルは、通常は原本の紙と同一である。スキャンした文書は、写真を撮ったようなものだから、内容は忠実に移されているはずである。もちろん、pdfファイルだって、書き換えは可能だから、絶対原本と違うことはありえないとまではいえない。しかし、そういうならば、紙の原本だって、変更可能だろう。修正液を使って訂正したり、あるいは、内容を変更した紙と入れ換えることは不可能ではない。50年も経てば、そうした変更もあいまいになってしまうに違いない。デジタルの場合、閲覧用のファイルと保存用のファイルを別にしておけば、保存用まで変更されることは、基本的にないと考えるしかない。もちろん、規律違反をする職員はいるだろうが、紙だって同じである以上、デジタル化への反対理由にはならないように思うのだ。
第二に、デジタル化は簡単ではないというのは、本当だろうか。少なくとも、現在の裁判文書は、ほとんどデジタル化された形で作成されるから、元ファイルを提出させれば、簡単にできるはずである。問題は過去の資料についてだろう。これも、機械を設置すれば、それほど難しくはないはずである。
かつてグーグルが、世界中の大学図書館の本を、すべてデジタル化するという計画をたてたことがある。そして、かなりそれを実行していた。しかし、著作権者や出版社から猛烈な抗議がでて、その計画を大幅に縮小せざるをえなくなった。著作全体を見ることはできないが、かなりの古典的な著作は、グーグル・ブックで読むことができる。
グーグルは、このスキャンのために、特別な機械を開発し、本を置けば、本を痛めることなく、猛スピードでスキャンしていくことができていた。世界中の大学の図書館の図書をスキャンするというのだから、そうした機械が必要だし、また、実際にそれを作り上げていたわけだ。
保存されている裁判資料をスキャンするのに、適した機械を作れば(既にある機械を調整することで可能だと思われる。)、それほど困難な作業ではない。そして、デジタル化していない時期の資料だけ、スキャンすればいいのだから、限度が明確に分かっている。
逆に、紙での保存のほうがより大きな困難にぶつかるといえる。
塚原氏は、場所の確保を主張しているが、現在どこの図書館も場所の確保に苦慮しており、大学図書館や公立図書館は、本を処分せざるをえない状況になっている。どこか別の場所に保存倉庫を設置しても、その場合管理や参照のための人員を配置する必要がある。デジタル保存にすれば、紙のみで運用していた時代の資料を機械でスキャンしてしまえば、保存の倉庫もいらないし、人員もごくわずかですむ。
次に、ペーパーレスを進める必要がある現在、紙の原本を必須とすることは、明らかに時代の要請に逆行しているというべきだろう。現在、裁判での陳述書などを、紙で提出しているのかどうか、私は正確には知らないが、これも原則ファイルの形で提出するようになれば、どれだけ資源の節約になるか。パソコンやタブレットでみれば済むことである。
地球規模の環境を考えることも、正義を実現すべき司法機関としては、必須のことではないだろうか。