保育園・学校での当たり外れ

 朝日新聞昨年の12月20日に「「保育園に当たり外れ、おかしい」 遺族が語る、虐待事件の根っこ」(田淵紫織)という記事が出た。具体的事例は省略するとして、注目したのは、以下の部分だ。https://www.asahi.com/articles/ASQDM3JD2QDGULEI00H.html
 
 「最近、各地で虐待などの問題のある保育が発覚しています。ただ、以前からこうした実態はあり、保育死亡事故にもつながっていました。藤井さんは、「根本的に『当たり外れ』が出てしまいかねない現状の保育制度がおかしい」と訴えます。」
 
 被害者としては、外れの保育園にあたってしまったという気持ちがあり、当たり外れのない状況をめざすべきであるという主張なのだろうか。しかし、人間に限らず、自然的な環境にしても、あたり外れにぶつかることはあり、まして、人間組織に関しては、100%あたり外れはあるのではなかろうか。

 私が子どものころから、担任が発表されると、当たりだったという喜びの声や、外れだったという慨嘆の声が、学校や家庭で言われたものだ。それがどこでもみられるからといって、そうした当たり外れがあることは当然だと言いたいわけではない。外れだったという嘆きが、できるだけ生じないような仕組みを実現することが、とても重要だと思う。そして、それは、理屈上は実現が簡単である。サービスを受ける側が、サービスをする担当者を、自由に選べればよいのだ。そして、選ぶ際に十分な情報提供がなされることも必須である。
 
 自由な選択が行なわれている教育機関も、少しはある。代表的なのは、大学のゼミ選びだろう。大学によって、自由な選択がない場合もあるだろうが、私が所属していた学部では、ゼミ選択の主体は、完全に学生側にあった。規定の数を希望者が上まわったときだけ、教員のほうで、採否決定することができた。その際、全体のゼミ説明会、パンプレットによる情報提供、そして、個別面談などを経て、学生が希望するゼミを事務に提出し、その後人数調整が必要となるので、3回ほど、未定学生の選択が続く。こうした結果か、ゼミ内部でのトラブルは、めったに起きなかった。
 
 私は、いじめ問題の改善のために、義務教育の学校でも選択制度を導入するのがよい、と考え、オランダ教育の研究を始めたのだが、様々な側面を研究すればするほど、学校選択制度を実施すべきであると考えるようになった。しかし、それはごく少数意見に留まっており、日本で、部分的な選択制度を導入している自治体はあるが、ごく少数であり、全面的な選択制度を実施している自治体は皆無である。親はまだ賛成のひとが少なくないが、教師の圧倒的多数は、絶対反対である。だから、小中学校は、住んでいる場所によって、入学する学校が決まり、学校がクラス分けと担任を決める。だから、当たり外れという感覚が生じるのである。
 もちろん、いいと思って選択しても、実は予想に反して外れだった、ということもあるだろう。そのときには、変更可能にしておけばよい。
 
 ただし、こうした選択システムではない方法で、当たり外れをなくそうという見解もある。というより、それが公式の見解だった。つまり、各教育組織、保育組織の水準を一定に保つことによって、どこでも同じ教育、保育を受けられるようにするという見解である。しかし、実際に同じ教育水準を保つことは、不可能である。人間が行なう行為である以上、ひとが違えば実践の質は異なる。しかも、求めるものはひとによって異なるから、当たり外れの判断も、ひとによって異なる。そうした多様性を否定するのは、非現実的でしかない。そして、就学する学校を指定する「理由」が、学校の基準や教職の免許によって、「水準が確保」されていることだったの他が、当たり外れの感覚は、ごく普通に存在したのだから、この理由の非現実的なことは照明されている。だが、ほとんどの教育研究者は、こうした見解をずっと維持しているのであって、強い批判をしなければならない。
 
 さて、最期に残された問題がある。
 この記事は保育園が舞台である。保育園は、おそらく公立小中学校のように通学区指定をされていない。どの程度自由であるかは考慮の余地はあるが、基本的には選択できるはずである。従って、この保育園を指定されたわけではなく、自分の責任で選んだと考えられる。それが外れだったということだとしたら、選択するときの慎重さが不十分だったという面がある。選択すれば、外れの可能性は低くなるが、保育園は親が選ぶのだから、親が情報をしっかり集め、吟味して、子どものための判断を行なった上で、入園する保育園を選択するのでなければならない。そうした親としての自覚が求められることはいうまでもない。また入園後も、学校なら入学後も、子どもの権利が侵害されていないかを、日常的に確認しておく必要がある。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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