シャーロック・ホームズ 職場の大事なものを自宅に持って帰るか

 犯罪を扱う小説で、事件が解決する場合には、どうしても不自然な要素が残ることが多い。というのは、読者を惹きつけるためには、犯罪そのものが特異で、解決が難しいことが求められる。だから、それを解決するためには、超人的な能力が必要で、ときには、あまりに不自然な偶然などを介在させたり、リアリティが損なわれることが多いのだ。そこで、骨格が同じふたつの物語を比較検討し、リアリティについて考えてみよう。
 
 ひとつは「エメラルドの宝冠」、もうひとつは「第二のしみ」である。ともに、ある重要なものを預かった人物が、職場に置いておくことに不安だったので自宅に持ちかえり、そこで盗難にあう。ホームズが、品物を取り戻すことを依頼され、無事戻るという点が共通である。しかし、その共通性にもかかわらず、印象としてはかなり異なる。

 「エメラルドの宝冠」の粗筋は次のようなものだ。
 銀行の頭取(二人が経営者でその一人)に、英国のやんごとなき人物(たぶん王族)が、エメラルドの宝冠を担保に5万ポンドを貸してくれと依頼し、銀行家は引き受けるが、返還までの数日、銀行の金庫にいれておくことが不安で、自宅に持ってかえる。しかし、その夜、物音で目覚め、宝冠を閉まった部屋にいくと、息子が曲がった宝冠をもっていた。銀行家は息子の犯罪と確信し、翌朝、警察に引き渡し、そのあとホームズを訪れる。ホームズは、銀行家の姪が、恋人に宝冠のことを告げ、恋人が盗んだことを見抜き、息子は、盗みを察知して追いかけ、宝冠そのものは取りもどしたが、曲がってしまい、外れた3つの宝石は、姪の恋人が持ち去ってしまった。そして、別の人に安く売ったことを突きとめてホームズが、その買い手と交渉して、3千ポンドで買い戻してくる。
 
 ホームズの手腕は、極めて優れているのだが、事件そのものの推移は、そのようなことがあるのか、何故そのような愚かなことを、このひとたちがするのか、という話に満ちている。だから、事件自体にリアリティが感じられないのである。
 まず第一に、イギリス王室の重要人物を思わせる人が、王室財産である宝冠を担保に、「大至急5万ポンド貸してくれ、4、5日で返す。しかし、宝冠は、なくなるなどということはもちろん、少しの傷、歪みが生じても、重大事態である、だが、銀行家を個人的に信頼して、預けるのだ」と言う。この設定が、あまりに不自然である。世界でひとつしかない、しかも、極めて高価で稀少な宝石を散りばめた王室財産を、いくら王室メンバーといえども、借金の担保のためにもちだしたりできるのだろうか。
 友人たちから、その程度のお金は簡単に借りられるが、人から恩義を受けるのは好まないという。
 私がこの話を初めて読んだとき、これは謀略で、実はこの宝冠は偽物で、何か銀行に敵対する勢力が、後でこの宝冠を盗むとか、破壊して、頭取を窮地に貶めようとするのだが、それをホームズが逆転させる、というような展開なのかと思ったのだが、どうもそうではなく、本物ということで、物語は進んでいく。
 第二が、この後頭取が自宅に宝冠を抱えて持って帰るのも不自然だ。銀行なのだから、かなり頑丈な金庫があるはずだ。少なくとも、銀行の金庫のほうが、自宅の金庫よりも頑丈にできているはずであり、管理も徹底している。それをあえて、自宅のほうが安全だという発想を、頭取自身がとることが不思議だった。途中襲われる可能性もあるわけだ。
 そして第三に、絶対にしてはならないのが、家族に宝冠のことを話してしまうことだ。これでよく銀行の頭取が務まるものだと、逆に感心してしまった。特に、どうしようもないどら息子だと思っている当人に話して、しきりにみたいとせがまれてしまう。しかも、姪もそこにいる。もちろん、この物語では、息子と姪に話さないと、事件そのものが起きないのだから、必要な「要素」なのだが、読者としては、ここで呆れてしまうし、もっと違う展開はないのか、といろいろと提案したくなる。
 第四に、息子が宝冠をもっているところを、頭取が見つけたとき、息子を犯人と完全に思い込んでしまうのだが、息子は、5分だけ自分に時間をくれさえすれば、事態をなんとかできると、父親に懇願するところがある。しかし、息子は実際の犯人と格闘して、これだけを取り戻したのだが、当然外れた部分は、犯人が持ち帰ったわけだから、5分間探しても見つからないのだ。姪を守る意識で、何も弁明しないという、ある意味「男らしい」姿勢を貫いたにしては、無意味な懇願をしている。
 
 こうした疑問が、読み進めるうちに、どんどん沸いてくるのだが、このあと、ホームズが乗り出して、解決に進んでいくプロセスは、特別不自然ではないが、なにか出来すぎな感もある。とにかく、先に書いたような解決を見るのだが、結果として、この宝冠は、傷つけられ、歪んでしまった。だから、当然、担保として返還するときに大問題になるはずである。はずされた宝石を、うまくはめ込むことができたのかもわからない。だから、めでたしめでたしという結末ではないはずなのだが、そこはまったく触れられない。
 
 「第二のしみ」は、そうした不備がほとんどない、見事な作品だと思われる。
 ある君主からイギリス政府宛てに、怒りをぶつけた郵便が届き、ヨーロッパ大臣が預かり、紛失しないように自宅に持ち帰って、厳重に文書入れにしまって、鍵をかけていた。しかし、数日後、郵便物は無くなっていた。公になってしまうと、戦争になる危険があるというので、警察ではなく、首相と当人のヨーロッパ大臣がホームズに取り戻すことを、直々に依頼にくる。二人が帰ったあと、ヨーロッパ大臣の夫人が、夫にどのようなトラブルが起きているのか、探りにくるが、ホームズは、具体的には何も答えない。
 とんでもなく難しい事件であることは、読者にも直ぐにわかるほどで、ホームズもなかなか糸口を掴めない。3人ほど、盗んで活用しそうな「悪党」を想定し、調べようとする矢先、その一人が自宅で殺害され、何か関係があると睨んだホームズは、しかし、それでもなかなか手がかりを掴めない。そうしたとき、警視庁の警部から連絡があり、現場に出向いて調べることができた。その時、警部が絨毯の血のしみと、床の血のしみが一致しないことをホームズに説明すると、ホームズはすぐに、誰かがここに入って、絨毯を動かしたから、部外者を室内にいれた警備の警官を詰問すべきといって、警部を部屋からだしてしまい、その間に、絨毯を移動させて、床の隠し場所を調べ、隠し場所は見つけるが文書がない。そして、退散するときに、件の警官に、ヨーロッパ大臣夫人の写真を見せて、確認し、夫人が犯人であることを確信する。つまり、夫人がホームズのところに探りにやってきたときに、おそらく、怪しいと睨んだのだろう。ただ、夫人が盗んだことと、殺害された悪党との正確な接点が見つけられなかったのだが、しみの件で、全体像が確認できたわけだ。つまり、悪党といっても、有名人で、各界の著名人と親しい、表向きは人気の歌手である。役人の誰かから、情報を得て、夫人を若いころのラブレターを所有していたので、それで脅し、文書と引き換えにするよう強要する。しかし、その手渡しの現場に、悪党の愛人が乗り込んできて、争いになり、結局愛人によって刺し殺されてしまう。そのとき、夫人が、文書を彼が隠すところを影でみていて、後日、取り返しにくるわけだ。その際に、絨毯を移動したことで、ホームズは絨毯の下に文書が隠されたことを察知した。
 そうして、ヨーロッパ大臣の屋敷に出向き、夫人に事実を把握していることを告げ、文書を返しておくように求め、直後帰宅した夫に、ホームズが、文書を盗まれていないといって、実際に、大臣がそれを発見するという結末になる。
 
 ホームズは、最初に、特定の悪人と夫人が関係していることを、何となく察知したが、実際には、なかなか手がかりが掴めなかった。警部が知らせてくれたから、調べることもでき、あるはずのところになかったことで、夫人が取り戻したと確信して、その確認の下に強く夫人に迫ったことだけが、ホームズの積極的行動となっている。ごくわずかな機会を、確実に活用できたということだ。結局、夫人が盗み、自分で取り戻したわけで、それをうまく、首相や大臣に知らせずに、文書を戻させただけだ。もっとも、ドラマでは、夫人が自分で夫の部屋にある箱に戻すのではなく、文書箱をもってきて、中身を改めているときに、ホームズが預かった文書を、巧みに箱にもぐり込ませて、あたかも最初からそこにあったかのように細工するのが違っている。それだけドラマティックにしたというわけだ。
 だから、あまり波瀾万丈の展開ではないのだが、従って、行動の不自然さもない。大臣は自宅にもっていくが、家の誰にも話しておらず、文書箱に重要文書があることは、当人以外誰も知らないのである。盗む夫人は、悪党から知らされ、盗みを強要される。夫に見せられると離婚となる危険な、若いころの手紙との交換に応じるわけだ。
 唯一不自然なところは、悪党が刺されたとき、隠れてみていた夫人は、文書が床の板をめくってしまわれたところを目撃しているのだからは、犯人の女性は当然逃げてしまうだろうから、そのときに、取り戻すことができたはずなのだ。そうすれば、誰にも目撃されず、手紙も文書も夫人は手にいれることができた。そうすれば、後日取り戻しにいく必要もなかった。だが、それでは、ホームズにとっても、解決可能な唯一の要素がなくなることになってしまう。
 実は、この手の話は、ホームズの話には、いくつかでてくる。若いころの他人との恋愛など、不思議でもないし、問題にしても仕方ないと、現代では思うのが通常だと思うが、当時の貴族社会では、そんな以前の手紙で夫婦関係が壊れてしまうのだろうかと、違和感を拭えないのだが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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