都立高校が校内で塾を

 12月26日の読売新聞に、「都立高が塾講師招き「校内予備校」開設へ…受講費用は都教委が負担、経済的格差減らす狙い」と題する記事が掲載された。
 経済的な事情で十分な受験対策ができず、進学や希望が薄く進路を諦める生徒を減らす狙いなのだそうだ。放課後や土日、長期休みに実施し、英語と数学中心で、費用は、都の教育委員会が負担する。今後、実施する高校と提携する予備校を選定するという。
 記事の最期に、有料で校内予備校を実施している都立松原高校校長の談話があり、教師たちは個々の受験対策まで手が回らない。学習塾の効果的な学習方法で学力をつけ、進学への意欲が高まっていると語らせている。短い記事だが、コメントも既に700を超えている。賛否両論という感じだ。高校の教師は効果的な学習をさせていないのか、という疑問は置いておこう。

 
 私の長期的な観点からみれば、「受験システムを無くすべき」という単純な結論になるが、現在の教育状況を前提に考えざるをえないとすれば、非常に難しい問題だ。
 記事から伺える「理由」は、経済的に恵まれないが、大学進学を希望していて、塾にいけない生徒を支援するということになっている。
 だから、無料で塾の授業を受けられるように援助するというのだが、貧しい生徒への援助そのものを批判されることはないとしても、援助の方法が、無料の塾開講が適切なのか、という疑問はたくさんだされている。
 塾費用がだせない状況だと、大学に進学したときの経済的負担に耐えられるのか、という疑問があった。大学生に対しては、かなりの割合の学生に、奨学金が貸与されるので、アルバイトと組み合わせることで、私立の大学でも、それなりに学生生活を送ることはできる。親からの援助がまったくないが、一人暮らしで大学を卒業する学生が、少数とはいえ存在していることでわかる。
 大学進学への援助として、塾の導入というのは、基本的に間違っているのではないかという意見もあるだろう。それだけの財政力があるなら、教師の数を増やして、より細かな指導ができるような体制をつくるべきではないか、と。それは妥当な批判であるといえる。しかし、そこまでの援助体制をつくる意思はないのではなかろうか。教師の数を増やすとすれば、それは全都立高校に適応しなければならない。かなりの予算措置が必要だ。しかし、この案では、いくつの高校を選択して、そこに提携した塾が授業時間外に講座を儲けるということだ。だから、財政的には、ずっと小さな規模の事業なのだ。
 塾を導入するというのでは、批判の多い受験体制を逆に助長するだけではないか、というのは、基本的に批判になるだろう。
 
 では、受験体制の助長となるような政策を何故とるのか。それは、むしろ、受験産業への支援なのだという見解もある。少子化と大学全入状況のために、以前と比べれば、受験勉強に励む高校生や中学生は、かなり減っている。いくら偏差値を使って、競争を煽っても、それほどきつい勉強をしなくても、高校や大学に入れるのであれば、それでも難関校を目指して受験勉強に励む生徒は、少数になりつつある。私が勤めていた大学では、難関校ではないこともあるが、高校時代に、受験勉強に熱をいれていたという学生は、非常に少なかった。
 彼らはいいかげんだということではない。むしろ、大学の勉強を新鮮な気持ちで取り組む姿勢があり、それまでガリ勉しなかったことが、逆によい効果をもっていると言える側面もあったほどだ。
 塾や予備校は、学校教育の補充であり、問題を解く上でのテクニックを教えるのが主だ。最初から解答が与えられている問題を解くだけのものでもある。不可欠のものでもないし、そうした勉強ばかりしていると、社会て本当に必要なことの基礎を学ぶのを阻害することすらある。なくなったほうがよいのだ。そういう意味では、受験産業を救うために行うのだとしたら、本末転倒というべきだろう。
 
 多くの人が想像するのは、都立高校の復権を目指しているということだろう。私が高校3年のときから、学校群制度が導入され、それを境に、日比谷高校が東大進学一位から転落し、都立高校の大学進学競争の敗北が始まった。独自入試の導入以降、日比谷や旧進学校の向上がみられ、特に中高一貫の中等教育学校に転換することで、都立のみならず、公立高校の復権が進行しているが、中学受験を経る私立の中高一貫校の優位は、今でも揺らいでいない。なんとか、かつての栄光を、という気分が、東京都の教育委員会にあっても不思議ではない。
 しかし、これが目的だとしても、あまり効果があるとは思えない。受験競争に勝つことが、それほど人生の重要な保障になるかは、近年では疑問があるが、少なくとも、中等教育で受験に強いのは、入試で優秀な生徒を集めた中高一貫校であることは、否定しようがない。高校からの都立高校は当然、中等教育学校でも、そうした私立校ほどの成果を望めない。公立の中等教育学校は、開始時が義務教育なので、学力試験で選抜することが認められていないからである。都立高校をすべて、選抜試験のある中高一貫校にすることは、現在の法原則からは不可能といえる。
 
 これに対する反対論としては、そうした一部の生徒のために、かつ、社会保障的な制度ではないにもかかわらず、税金を使うのは、おかしいのではないか、という議論がありうる。都立高校にも豊かな生徒はいるし、逆に私立高校でも、貧しい生徒はいる。むしろ、私立校の貧しい生徒への対策のほうが重要ではないかともいえるのである。だが、それは受験勉強対策だろうか。
 いずれにせよ、受験体制そのものの解消が必要だと、私は考えるので、受験体制を強化するための施策は、賛成できない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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