羽鳥モーニングショーはつまらなくなった

 羽鳥モーニングショーから、玉川氏がいなくなってから、約2カ月が経過した。周知のように、安倍元首相の国葬における菅元首相の追悼に関して、「電通が入っている」と発言して、非難が巻き起こり、玉川氏による訂正と謝罪にもかかわらず、謹慎期間を経て、事実上の降板状態になった。
 もちろん、玉川氏の発言は間違いであることは明らかであり、国葬を取り仕切った企業が電通ではないことは、早くから報道されていたからは、玉川氏が何故そんな勘違いをしたのか、不思議であり、訂正と謝罪が必要だったろう。ただし、電通がこの件で迷惑を受けたとは、私には思われず、要するに、日頃の玉川氏の発言を不快に思っていたひとたち、勢力が、これを機会に玉川氏の追い落しを狙ったということだろう。
 
 私は、朝食時間が重なるので、ほぼ毎日、羽鳥モーニングショーを見るが、この番組は、同種の番組と明らかに違う点があり、それが魅力である。おそらく、同様に感じている人も多いに違いない。それは、番組のなかで、自由に意見が語られ、ときに、反対意見が出てくる。そして、論争が起きる。それが、自然な感じを与える論争なのだ。

 玉川氏が、たしか大竹まことのラジオ番組に出演したときに、羽鳥モーニングショーは、各自の発言を事前に準備して、台本を作成し、それに則って発言する、というようなことは一切なく、何を発言しようと自由に任されていると断言していた。玉川氏の発言が、局上層部の怒りをかって、叱責されることが度々あると言われているが、それも、発言が自由に行われることの証拠だろう。
 日本のテレビの同種の番組は、コメンテーターの発言も、だいたい事前に決まっていると言われている。露骨に台本を読んでいる人もたまにいるが、台本を読んでいなくても、だいたいの方向性を確認していることは事実だろう。しかし、そういう番組をみていて、何か話題になっていることへの新しい知見などがえられたと感じることはほとんどない。差し障りのないことしかいわないからだ。
 ところが、羽鳥モーニングショーだけは、コメンテーターが自由に発言している雰囲気が確かにあり、しかも、比較的よく勉強しているひとたちがでている。論争が起きても、羽鳥MCが巧みに舵取りをするので、険悪な雰囲気になることもなく、整理される。つまり、考えるきっかけになることが、けっこうあるのだ。
 
 そうした雰囲気を作り出す柱となるのが、玉川氏であったことは明らかだ。彼以外のコメンテーターは曜日での出席だが、玉川氏は毎日出演だから、そうした多様な意見が出てくる可能性が毎日あった。しかし、玉川氏が出演しなくなると、意見のぶつかりがほとんど起きなくなっている。表面をなぞるような見解が多くなった。コメンテーターとしては、優秀なひとたちなのだろうが、やはり、週一回出演して、大胆な見解を述べるのは、なかなか難しいのだろう。
 更に、取り上げる話題自体が、社会の問題に切り込む姿勢が希薄になっていると感じる。統一教会問題を扱ったときの、有田氏の「統一教会の半社会的行為を摘発できなかったのは、政治の圧力だ」という発言で、局上層部が怖じけずいてしまい、その後統一教会問題掘りさげの主役を、ミヤネ屋にもっていかれたのは、現在でも続いている。昨日と今日はずっと、サッカーの対ドイツ戦勝利を扱っていた。他の話題はほぼなし。
 明らかに、羽鳥モーニングショーはつまらなくなった。今後次第に人気が落ちていくのは避けられないに違いない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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