97歳ドライバーの事故を考える

 97歳の高齢者が車を運転中、歩道を走り、一人の死亡を含む数名のひとに怪我を負わせる事故が発生した。また、テレビや新聞で高齢者の運転事故というテーマで、さかんに報道されている。私はまだ後期高齢者ではないが、次回の免許更新では、そうなっているので、こうした高齢者事故は、深刻に考えざるをえない。あまり便利とはいえないが、公共交通機関で、なんとかなる地域なので、80歳を超えてまで運転するつもりはないが、97歳というのは、やはり驚きだ。よほど公共交通機関が不便なところなのだろうか。周囲のひとたちは、車庫入れなどをみていて、不安に思っていたというし、また、家族はタクシー会社と交渉をしていたとも報道されている。いずれにせよ、まわりのひとたちが不安に思っていたなかでの事故であるようだ。独居老人だったというから、いつも一人で運転していたのだろう。

 よく知られているように、実際に免許保有者比での事故は、20歳代が最も多く、決して高齢者が最多なわけではない。しかし、報道は高齢者の事故を重点的に取り上げることになっているそうだ。それは、高齢者の運転に注意を促すためだという。20代のドライバーにも注意を促してほしいが、高齢者運転について、社会全体に注意をむけさせることは、大切なことだと思う。というのは、高齢者の免許を取り上げれば問題が解決する、というようなものではないからだ。高齢者が運転をできなくなれば、ますます籠もり気味な生活となり、身体的にも、また精神的にも不健康になり、別の社会問題を増大させるだけだ。事故を起こした本人だって、便利に公共交通機関、あるいはタクシーがつかえれば、自分でわざわざ運転しなかったに違いない。池袋の事故は、明らかに状況が異なり、自分で運転する必要はなかったといえるが、日本の多くの地域では、車がないと生活できないといえるのだ。
 
 では、どうすればいいのだろうか。いくつかの局面で考える必要がある。
 第一に、ドライバーの運転能力の検査をより厳格にすることである。
 前回の免許更新で、事前に講習を受けたので、そのとき簡単な実地検査もあったが、あんなものでいいのだろうかと、少々疑問に思ったものだ。教習所での実地検査だってので、スピードはせいぜい20キロ程度しかだせない。S字カーブや車庫入れの検査はなかった。すべてがスローペースで走り、曲がり、停車したりで、その際の注意しなければならないことを実施していたかの検査だった。私は、幸い全項目オーケーだったのだが、他のひとはけっこう、ここがだめでした、などと説明を受けていた。高齢者の事故は、当然20キロで走っている状況で起きているのは少ないはずで、スピードを出しているときに、緊急事態に対処できないから、大きな事故になってしまうわけだ。とするならば、やはり、それなりのスピードを出しての検査でなければ、意味がないように思われる。といっても、もしかしたら問題がある高齢者にかなりのスピードをださせて、緊急対応できるか、というチェックなど、事故を実際に起こしてしまう危険性もあるから、それも難しいことはわかる。ただ、現在の検査では、ほとんど無意味である気がするのだ。もちろん、あの程度の簡単なテストでも、ミスをするドライバーがたくさんいることは、無視できないところだ。やはり、もっと厳格に不合格にすべきなのだろう。これは仕方ないといえる。
 
 第二に、安全運転機能付きの車だけ運転できる、というような措置を、検査によってはとりいれてもいいのではないだろうか。もちろん、完全に自動運転できる車が、早く実現することを期待したいが。日本の自動運転の研究は、当初国土交通省の妨害的干渉によって10年遅れたとする説があるが、高齢化社会の安全にとって、極めて重要であることは、誰もが認めるところだろう。
 
 第三に、社会システムでの改善が必要となる。
 この点については、個別的にいくつか思いつく。
・信号を事故が起きにくいものに変えていく。地方ではサークル方式を採用する。
 多くの事故は、交差点で起きているし、そのなかでも、左折、右折が絡む事故が多い。だが、その多くは信号の方式を変えることで、かなり減らすことができるはずである。まず、歩行者と車を完全に分離する。(歩車分離)車でも、右折は右折ラインを設置し、右折信号によるとする。もちろん、道路の幅でできない部分が少なくないが、それでも歩車分離で、かなり改善効果はあると思われる。
・自転車道を分離して設置する。
 自転車は環境改善にもなるから、もっと安心して運転できる道路にすべきである。自転車道を設置しても、歩道と共有しているようなところが多いが、完全に分離することによって、歩道と車道が離れ、歩道に乗り上げる事故はかなり減るはずである。既成の市街地の道路を、そのようにすることは難しいとしても、郊外にできる新しい道路で、それが十分に可能なのに、自転車道を独立して設置している場所を、ほとんど見たことがない。これは道路思想の問題なのかも知れない。電動自転車などを使い、分離した自転車道があれば、高齢者も車よりずっと安心して移動できるのではないだろうか。
・地方の孤立集落や家を、可能な限り集住形態にしていくこと
 これは、かなり空想的なことになるかも知れないが、日本には、他の家から、かなり離れたところに建っている家が少なからずある。集落にしても同様だ。災害などで救助が困難な地域にもなるが、日常生活でも、不便なことが多いはずである。そうしたところでは、車は生活の必需品になる。しかし、集住形態になれば、店が営業可能になり、徒歩や自転車で、生活に必要なものを入手できることになる。
 
 他にもたくさん解決しなければならないことがあるだろう。高齢者の自動車事故を無くすには、多くの局面での対応が必要である。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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