教科書選択の不正から考える2 国語教科書は不要

 具体的な教科について考えてみよう。
 極端にいえば、算数(数学)と理科以外の教科書は、原則不要だと考える。特に、国語と社会は、教科書なる印刷物はないほうがよい。国語を例にとって、現在の教科書制度が、いかに学びを歪めているかをあげてみる。
 国語の教科書には、有名な文豪の文学作品や、優れた論文や説明文が掲載されていると、一般には思われている。それは間違いないが、実は、少なからぬ書き換えが行われているのである。どうして、そんなことが許されるのか。

 まず著作権法を確認しておこう。著作権の内容として、「同一性保持権」という権利がある。
 
(同一性保持権)
第二十条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
 
 つまり、著作物は、勝手に他人が変更を加えてはいけないのである。生存している著作者ならば、変更に同意することはあるだろうが、亡くなった人は、同意は不可能だ。しかし、実際には、教科書に採用される場合、内容が変更されることがある。それは、20条の続きとして、第2項があるだ。
 
2 前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する改変については、適用しない。
一 第三十三条第一項(同条第四項において準用する場合を含む。)、第三十三条の二第一項、第三十三条の三第一項又は第三十四条第一項の規定により著作物を利用する場合における用字又は用語の変更その他の改変で、学校教育の目的上やむを得ないと認められるもの
 
 つまり、教科書については、「学校教育の目的上やむを得ないと認められる」ものについては、変更してもよいことになっているのだ。国語の教材で、もっとも顕著な変更は、「漢字とかな」の使用である。文科省は、学習指導要領で、学校で習う漢字を指定し、それを学年配当している。それに従って、まだその学年で習わない漢字が、原作に使われていると、教科書に採用するときに「かな」に変更し、習った漢字にかなが使われていると「漢字」に変更してしまうのである。特に、文学者は、漢字を使う、かなを使うという選択は、自分の感覚で表現したい内容に則して決めているはずである。普通、漢字を使う場面で、あえて「かな」にする場合、そこにやはり意味を込めている。しかし、教科書としては、漢字配当表に従って、書き換えてしまう。作者の意図などは無視だ。これでは、文化的感受性を養うことが、大きく妨げられる可能性がある。習っていない漢字には、ふりがなをつけ、意味が難しいときには、注をつければよい。習っている時期なのに、「かな」が使われていたら、それを尊重すべきだろう。
 
 漢字の書き換え以外にも、内容の書き換えが行われることも少なくない。
 私が教育実習の研究授業を見にいったときに、コンピューターに関する説明文の授業をしていた。ところが、その教科書の文自体が、どうも理解しにくいのだ。そして、教師自身が、よくわかっていないのではないかという印象だった。実習生はもちろんだが、現場の教師も含めてのことだ。なぜ理解できにくいかというと、もともとの説明文が、大幅に削られているからだ。そして、子ども用にわかりやすい文章に変更してある部分も散見される。コンピューターの説明文を、子ども用にわかりやすく、教科書編集者、つまり国語の専門家が書き直して、わかりやすくなることは、あまりないはずだ。コンピューターについての文章などは、やはり専門家でないと、正確な説明は難しい。そして、編集者の意向によって、重要な部分が削られ、そのために、つながりが断ち切られて、理解が混乱したり、原文がかえってわかりにくい文章に変更されることによって、それなりにコンピューターについて知識をもち、ハードに使用している人間が読んでも、わかりにくい文章になってしまうことがある。私がみた授業の教科書の声明文も、そういう文章だった。教える側が、正確に理解できていない文章を、子どもたちに教えて、理解させることなど無理のことだ。
 説明文は、通常は大人が対象だから、小学校の教科書にとりいれることには、最初から少々無理があるのだ。私は、小学校では、説明文や論説文を扱う必要は、必ずしもないと思うのだが、もし、とりいれるなら、やはり、原文そのままで学ぶべきだろう。説明文を理解するということは、知らないことを理解することなの
だ。難しいのは、当たり前である。わからない部分を教師が丹念に教えて、理解させることが、国語、特に説明文を学ぶ意味ではないか。
 
 こうした教科書における原文の書き換えは、国語の教科書には大量にみられることであり、それは、教育の目的に反する。文学でも、説明的文章でも、原文をそのまま教材にすべきなのである。それならば、教科書として編集されている必要はなく、教師が自分で選択し、あるいは、ネットにある文章をダウンロードして使うことも可能だ。もちろん、どのような教材を使うかは、教師集団で検討し、その結果は、管理職や保護者に説明をする必要があるのだが。
 
 社会科はどうだろうか。(つづく)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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