マイナンバー・カードと保険証の統合 利権絡みの愚策

 河野大臣が、健康保険証をマイナンバー・カードに統合して、これまでの紙等による保険証を廃止する方針を打ち出し、大きな論争になっている。そういうなかで、高橋洋一氏が、反対派を論破するということでyoutubeで説明していたが、あまりの酷さに呆れてしまった。
 氏によれば、反対派があげている理由はふたつあって、ひとつは、中国にデータが流れるということ、もうひとつは、在日が通称を用いているのに、マイナンバー・カードは実名しか認めていないので、それを嫌がっているというのだ。私がみた限りでは、そういう反対理由に出会ったことがない。「全くない」とはいわないが、あまりに馬鹿げている。私自身は、原則的には、マイナンバー・カードによる健康保険証の統合には賛成であるが、河野大臣が提案しているような内容には、賛成できない。そういう立場として、マイナンバー・カード反対論をみているが、高橋氏があげたような理屈ではなく、むしろ中国にもれるというよりは、アメリカにもれるという反対論が多い。そして、アメリカにデータがもれる可能性は、少なくとも中国よりは、ずっと高い。もともと、グーグルやフェイスブックはCIAに協力しているといわれているから、マイナンバー・カードの内容に限らず、日本のデータが掌握されている可能性は高いはずである。在日の通称については、びっくりという他ない。反対派の多くは、そのようなことは、まったく考えていないのではないだろうか。

 
 私がみている限りで、河野提案への反対は、基本的に現在の政府への不信感の表れというべきだ。コロナ給付金の際の、マイナンバー・カード利用の混乱、オリンピックのときの新型コロナウィルス接触確認アプリ(COCOA)等、政府が関係するこうしたネットワークシステムの活用のドタバタだけではなく、統一協会に汚染された自民党、そして政府メンバーが、ほとんど自浄作用をもてないこと、嘘をならべたてた安倍内閣の長年の統治、政府への不信は、非常に根強いものがある。そこが、北欧での国民総背番号が長年実施されている国とは、違うところなのだ。政治の透明性を測定している「トランスペアレンシー・インターナショナル」による評価で、北欧の国はいずれも上位にあり(トップはデンマーク)、日本は18位である。決して、自慢できる位置ではない。報道の自由などは、60位台で推移している。統一協会問題をあいまいに処理したら、来年はもっと下がるのではないだろうか。こういう政府に、情報をコントロールされることに反発をしているというのが、反対派の理由だと思われる。
 
 さて、私が河野案に賛成できない理由は、これまでも述べたことと同じだが、政府は、マイナンバーとマイナンバー・カードとを混同しているということだ。知らずに混同しているのではなく、知っていて、マイナンバーを対して重視せず、意図的にマイナンバー・カードの普及にばかり熱心になっている。
 本当に大事なことは、マイナンバーによって動くシステムを明確にし、しっかりと構築することである。そして、含まれる範囲については、完全に透明なものにしなければならない。そうしなければ、政府への不信が起き、結局うまく機能しない。例えば、保険証をマイナンバー・カードに変えるということは、保険業務とマイナンバーの関係はどうなるのだろうか。もちろん、保険証のシステムは、当然コンピューターで扱うようにシステム化されているだろうが、それを統一的な処理が可能なように形に統合する必要がある。そして、総合したシステムに、マイナンバー・カードでアクセスするということだろう。常識的に考えれば、その統合されたシステムに、マイナンバー・カードしかアクセスできないということはありえない。マイナンバー・カードは単なるアクセス手段なのだから、手段を複数容易することは、簡単である。健康保険証をカードにして、アクセス可能にするとか、あるいは、紙の保険証にマイナンバーを印刷して、医療機関でナンバーを撃ち込んでアクセスすることも、もちろん可能である。そのように設計すれば、であるが。
 ところが、これまで一貫して、政府は単なるインターフェイスであるマイナンバー・カードが、システムそのものであるような言い方をして、とにかく、マイナンバー・カードを普及することに熱をあげてきた。私からみれば、ポイントを与えるなどということは、愚の骨頂である。なぜ、そんなことに税金を使うのか。マイナンバーで何をするのか、その目的は何なのか、国民にとって、どのように利便性が高まるのか、そうした宣伝をせずに、マイナンバー・カードをもつと、ポイントがもらえるなどということは、本末転倒もいいところだ。
 
 なぜ、そういうことが起きるのか。それは、利権が絡んでいるからである。マイナンバーをしっかりと行政と結びつけて、システム構築し、インターフェイスは複数つける、ということになると、もちろん利権がまったく介在する余地がないとはいえないが、かなり小さい。ところが、カードという一種の「物」を普及させることを目的にすると、利権が絡む余地が格段に大きくなる。マイナンバーによる行政システムの構築であれば、ベストをめざして、作業することになる。そして、各人が利用しやすいインターフェイスを利用するのだから、選択を各人に委ねられることになる。しかし、カードをもたせることを目的にすれば、特段必要もないのにもたせるわけだから、ポイント付与などという余計なことが必要となる。ポイント付与は、当然買い物と結びつくものだから、そこに利権が絡むことは必然といえよう。というより、利権を絡ませて、特定企業と政党に利益がはいるようにするために、カードを持とうキャンペーンがなされるわけである。
 しかし、そのようなことで、皆がカードをもつことなどありえない。だから、インターフェイスをマイナンバー・カードに限定するという、まったく不合理なやり方にいくつくわけである。そして、既に、このためのキャンペーンがなされることになり、利権絡みの事態が進行しているようだ。
 
 利権が絡むということは、政治の透明性が低下することなのだ。そして、それは、結局、国民の生活に不都合なことがでてくるということだ。おそらく、河野提案は、そのままで実現することはないだろう。強行しようとしても、さまざまな妥協がなされ、おかしな形態のものになっていくはずである。しっかりとしたシステム設計をすることより、利権集団のための政策なのだから、かならず無理が生じ、あるところで、国民の反発が一層激しくなることは避けられない。
 
 これまでに何度か指摘したGIGAスクールについても、似たような問題がある。結局、現在の政府は、利権と結びついた政策を中心にしているから、利権と結びつきやすい形で方針が形成される。GIGAスクールでは、パソコンやタブレットを大量に売り込むコンピューター企業と結びついている。しかし、本当はパソコンは何を使っても、教育的には問題ないのだ。しっかりソフト管理ができていれば。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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