裁判の迅速化 有罪を認めたら、詳細な事実審理は必要か

 昨年7月に起きた保育園での送迎バスへの置き去り死亡事故の公判が、今日はじめて開かれた。https://digital.asahi.com/articles/ASQ9Q5SYHQ9QTIPE015.html
 テレビのワイドショーでもやっていた。二人の被告(園長と保育士)は、検察による起訴内容を認めたとされる。最近の裁判はかなり速くなったが、それでも判決が確定するまでには、かなりの期間が経過する。こうした裁判について、前から思っていたのだが、被告が完全に起訴内容を認めているとしたら、有罪は確定したといってよい。もちろん、どの程度の刑にするかを慎重に審議する必要はあるが、それは、通常の公判を積み重ねることとは違うはずである。アメリカでは、被告が起訴内容を認め、つまり、自分が有罪であることを認めたら、そこで通常の審議は終了し、あとは、量刑審議になるとされる。陪審員裁判でわかるように、刑事裁判は、まず何よりも被告が真犯人であるかどうかの判断をすることが重要だ。陪審員は、有罪か無罪かだけを決める。有罪となれば、あとは判事を軸として量刑審議になる。だから、被告本人が有罪を認めていれば、陪審員の役割はない。

 しかし、そうしたやり方が可能なのは、容疑者として逮捕されてから、一切の取り調べに、弁護士を付き添わせることが、容疑者に認められており、弁護士が、適切なアドバイスをした上で、なお有罪であることを認めることになっているからである。つまり、警察や検察の誘導尋問や不当な取り調べで、不本意ながら自分がやったと認めてしまったというようなことか、極力避けられているから、受け入れられている。だが、日本のように、被疑者の取り調べに弁護士が立ち会うことができないようなシステムでは、こうした割り切ったやりかたは、危険がある。有罪を認めれば、釈放されるなどという誘導をされて、裁判になったら否認すればいいことだ、などと勝手な事故解釈で、犯行を認めてしまう例が少なくない。実際に公判になると、自分はやっていないと、検察での取り調べでの発言をくつがえしてしまうわけだ。このようなことかある以上、取り調べで有罪であることを認めたとしても、実際に裁判で検証していく必要があると考えられている。
 しかし、どちらが合理的であるか。私には、アメリカ的なやり方のほうであると思われる。
 逆に、弁護士の立ち会いを原則とするために、有罪を被疑者が認めたら、事実審議は、公判としては行わないとする。そうした改革が必要なのではないだろうか。
 
 今回のような事故は、表沙汰にならなくても、多数起きているような気がする。真夏でなければ、取り残された子どもが死亡することは、ほとんど考えられないから、そういう時期の置き去りは、たくさんあると考えたほうがよい。
 だが、この事故のための裁判が行われる前に、まったく同じ死亡事故が起きてしまった。昨年の事故のあと、速やかに裁判が行われ、当人が有罪を認めて、短期間で判決がでていれば、(当然懲役刑の実刑となるはずだ)関係者はより注意をするようになった可能性がある。罰することで、事故がかなり減るかどうかは不確定だが、罰することの効果を求めるなら、速やかな判決が必要だ。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です