安倍元首相狙撃の考察12 テロ小説家の推理のあまさ

 大手メディアが、「山上は真犯人か」という疑いを一切無視していることは、現在ではも変化がない。だから、毎日新聞の「特集 安倍晋三元首相銃撃」というかなり多くの記事がある連載も、最近はほとんどが国葬話題となっている。そして、久しぶりに「銃撃想定せずマニュアル不徹底」という記事がでた。
 国際テロを扱った警察小説で知られる麻生幾氏へのインタビューを元に構成された記事である。(筆者は大沢瑞季) 私は、そうした小説を読まないので、知らない人だが、記事によれは、その方面では有名な人だそうだ。そうであれば、当然、山上は真犯人なのか、ネットではたくさんの疑問が呈されているのだから、そのことは知っているだろう。にもかかわらず、その点の考察は一切ない。

 触れられていることを整理すると以下のようになる。
・複数の警察幹部は、銃で襲われる想定をしてこなかったことが後悔される。
・警護の失敗は、後方警戒の空白によるものだった。
・1発目の発砲音で銃器と認識できなかったので、退避などの防護措置がとれなかった。(以上警察の報告書)
・なぜ反撃射撃ができなかったのかという点では、それは不可能だった。(麻生)
・インターネットを利用して銃ができる時代では、警備への意識が変わった。(CATが必要となる。犯人を射撃して制圧する部隊)
・警視庁などの大規模警察と地方との実力差の問題がある。(麻生)
・マニュアルが徹底されなかったのが痛恨事(麻生)
・当日の警備責任者の鬼塚氏は、警備計画に疑問だったが、新任だったのでいえなかったのではないか。(麻生)
 後半は、いささか感傷的な文章になっているが、警察の報告書の紹介と、麻生氏の考えを交えての記事である。
 
 警備が不十分だったことは、事件当日の私のブログでも、けっこう詳しく書いており、誰がみても同じ印象をもつだろう。しかも、ここでは触れられていないが、演説を行った「場所」とその設定の仕方が、極めて危険だったことも、多くの人が感じるところだ。実際に、あそこは危険だからという理由で、警察が許可しなかったこともあるという。実施された例でも、宣伝カーで一方をふさぐなどの措置をしていた。にもかかわらず、今回は、それらが無視されたし、また、警備員の数も少なく、危険な後方監視がほとんどなかったという失態だ。
 報告書に書かれていることや、以上のことは、実は究明されなけばならない「一部」に過ぎない。この記事でまったく触れられていない重大問題が、他にもいくつある。なぜ、このテロ小説の大家が、そのことに触れていないのか、私には、まったく不可解だ。
 
 ここで触れられていない警察への疑問も、既にたくさんの人から指摘されている。まず、事件が起きれば、現場を封鎖して、人の出入りを禁止し、徹底的な調査を行うものである。この事件の場合には、元首相が大勢の目の前で銃撃されたのだから、残っている銃弾、薬莢などを徹底的に探すはずだ。しかし、この事件では、当日はほとんど何もせず、数日後にそれをやっている。そして、少し離れたビルから、残りの銃弾のいくつかがあたったとされる跡が見つかったとされている。
 また、後日、山上が使ったとされる銃、あるいはまったく同じ物で、どのような射撃が可能か、実証実験をすると言われていたが、その結果は報告されていない。
 10分程度で到着できる病院ではなく、50分もかけて県立医大に搬送した理由。
 きちんとした司法解剖が行われるべきであるのに、極めて短時間で遺体が家族に戻され、速やかに火葬されたこと。疑問はいくつも出されている。
 
 当然麻生氏もこれらを知らないはずがない。しかも、小説家なのだから、現実的にはありえないとしても、仮説として考えてみる習性があるはずだ。にもかかわらず、まったくこうした点に触れていないのは、何故だろうか。それ自体が大きな追求課題になるようにも思われる。
 麻生氏が、まったくそうした情報に接しておらず、インタビューでまったく触れることがなかったするなら、まともな国際テロ小説作家とはいいがたい。しかし、その可能性はほとんどないと思われる。私のような、ずぶの素人でも、これだけ疑いをもって調べたり、考えたりしているのだから。
 とすれば、新聞社のほうが、その話題は制限したか、あるいは話にでていたが、それはカットしたかであろう。では、何故新聞社は、その話題を忌避するのか。政府等によって、制限されているのだろうか。そうだとすると、これは、政府も巻き込んだ事件の可能性が出てくる。
 それとも、実は警察は詳細な検証結果をもっており、秘匿を条件に、それをメディアには伝えており、だから、書かないことになっているのか。
 山上が鑑定留置を終え、起訴されてから、いろいろと事実が明らかになってくるのかも知れない。弁護士次第だが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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