山上裁判はどうなる?

 山上が真犯人ではないとすると、裁判は実にたくさんの可能性が生じる。もちろん、真犯人であったとすると、争点は、情状酌量か責任能力の判定のみになる。どうなるかはもちろん分からないのだが、既に様々な議論がなされているので、私なりに考えてみたい。
 おそらく裁判は来年になって開かれるだろうが、開かれるとしたら裁判員裁判になるはずである。もし、実際に検察が起訴したとしても、検察が本当に山上が犯人であると考えているかについては、どちらの場合もありうる。また、弁護士もどういう方針で弁護をするかは、人によって多様な立場がありうる。その場合分けをしてみよう。
 
 検察の意図として、
・山上犯人説で有罪にする。(十分な自信と証拠がある場合)
・山上犯人説をとるが、実は真犯人ではないと考えているので、裁判そのものを曖昧にしてしまう。
 
 弁護士の戦略として、山上の立場を徹底させた弁護士の場合

・山上実行説を、具体的証拠で崩し、検察側の証拠の矛盾をついていき、無罪を勝ち取る
・山上が実行したと弁護士に言い張ったときには、統一教会の被害等で情状酌量による軽い刑をめざす
 山上の立場をあまり考慮せず、検察の証拠を崩す努力をしない弁護士の場合
・情状酌量と責任能力の有無で争う
 そして、検察と弁護士の側の組み合わせで、多くの場合が想定される。
 
 検察が山上真犯人説で、弁護士が真犯人ではないという立場をとったときの裁判が、もっとも激しい論戦が闘わされることになる。検察は、当然山上が犯人であることを立証しなければならないから、様々な証拠を提出しなければならない。しかし、これまでみてきたように、公表されている資料からは、山上が犯人ではないことを示す証拠のほうがはるかに多い。
・手製の銃で、本当に殺傷能力があるか疑わしく、科学捜査研究所が実験をすることになっているが、その結果は公表されていない。当然裁判ではだされることになるだろう。そもそも、警察の銃弾等の捜査は、事件後数日後に行われており、ビルに銃弾があたったあとがあるといっても、後日つけた可能性だってあるわけだ。行方不明の銃弾も見つけられていない。事件後直ちに捜査すれば、貫通した銃弾が見つからないはずがない。そうした証拠の提示を求められて、山上の犯罪を証明できるかは、かなりあやしい。
・福島教授の治療直後の会見の内容が、山上犯人説とは矛盾している。
・映像として残っている山上が撃った瞬間は、本当に殺傷能力のある銃弾が飛び出たようには見えないし、また、安倍元首相の姿も、山上の銃弾によって撃たれたようにも見えない。
 以上のようなことが、確実に争点となり、激しい論戦が展開されるはずである。そして、決定的に検察に不利なことは、まとも司法解剖が行われず、事件後の現場検証も数日後に行われたといういいかげんな捜査が、マイナスとなるだろう。
 このケースの場合、弁護士の手腕が問われることになる。弁護士といっても、能力的にはピンからキリまでいる。もし、弁護士が、山上は真犯人ではないという立場を徹底し、検察のだす証拠の矛盾を鋭くついていけば、これまで考えたように、山上犯人説には無理がたくさんあるので、私は無罪になると考えている。
 
 さすがに、検察も、山上が真犯人であることについては、疑いの念をもつだろう。しかし、証拠不十分で不起訴とする可能性は、ほとんどないように思われる。そうすると、他に真犯人がいることを認めることになり、検察、警察の重大失態になってしまう。そして、捜査のやり直しが求められるが、来年になって捜査をやりなおして、真犯人を見つけることなど不可能だろう。あるいは、既に警察や検察が、山上犯人説をとっておらず、いかなる勢力が背後にあるのかを突き止めているとすると、裁判を曖昧にしてしまう可能性が高いのではないだろうか。というより、その場合は、警察も真犯人(組織だろう)とグルなのだから、山上は犯人だが、裁判が不可能になるという事態を作り出すに違いない。
 ひとつの可能性として、山上の精神を壊してしまうことである。おそらく、過去において法務当局は松本智津夫に対して、そうした措置をしたと思われる。松本は、逮捕まで、通常の精神(もちろん、平常でもおかしかったといえばそうだが)だったのに、裁判が進むと、異常な精神状況と行動を示すようになり、そのため出廷が困難と判断され、当人不在のまま裁判が進行した。そして、死刑判決がだされて、既に執行されている。
 
 山上裁判が実際に行われ、突然山上が、自分はやっていない、単なるカモフラージュ役をしたにすぎない、黒幕は**だ、などとしゃべりだされることは、検察として絶対に避けねばならない。そのためには、山上の精神を破壊して、裁判そのものを不可能にしてしまう。その場合の「結果」もいくんかあるだろうが、要するに、事件そのものを風化させてしまうことだ。オウムのサリン事件では、莫大な一般市民の被害が出ているから、松本を黙らせることで死刑判決にもっていったが、今回は、被害者が安倍元首相だけであり、むしろ統一教会被害に世間の目が向いているから、事件そのものを曖昧にすることは、難しくはないはずである。犯人は山上だが、精神的異常をきたしてしまったので、裁判そのものが困難であるとして、停止させてしまうことも可能だ。
 
 いろいろな可能性があるが、あるべき姿は、最初のパターンであって、証拠に基づいてそれぞれが確信をもっている事実をもとに、争われることだ。検察が正攻法をとり、優秀な、気骨のある弁護士がついて、法廷で真実が明かされることを臨みたい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です