il bacio (イル・バッチオ)聴き比べ

 サザーランドの録音をいくつか聴いた際に、最初にサザーランドに接したイル・バッチオを聴きなおしたのをきっかけに、いくつか聴き比べてみた。youtubeにはたくさんの映像がある。そして、ピアノ伴奏とオーケストラ伴奏があり、いくつかは原曲を多少変更して、より難しくしているものもある。サザーランドはその極端な例だ。 
 イル・バッチオは、ルイージ・アルディーティというイタリア生まれの作曲家、バイオリニスト、指揮者だった人が作曲した曲で、私はこの曲以外は知らない。この曲だけで有名になっているという人だ。

 
 実はこの曲は、私にとって、とても思い出深いものだ。というのは、私の妻の学生時代の友人で声楽を勉強している人がいて、結婚式に何か歌ってくれるというので、私がイル・バッチオをぜひ歌ってほしいと頼んだのだ。かなり練習したようで、声楽家の先生(有名なオペラ歌手だった人)がたまたま聞きつけて、「君にはまだ無理だよ」と言われたそうだが、式の本番では、見事に歌いきっていた。一度でも聴いたことがあればわかるが、きらびやかなコロラトゥーラの技巧をふんだんに使った、歌唱が難しい曲なのだ。声楽をきちんと勉強して、訓練した人でなければ絶対に歌えないだろう。
 
 前にも書いたように、サザーランドは、人間が歌っているとは思えないほどの高音で、技巧的な歌い方だが、さすがにあのように歌う人はいないようだ。曲はワルツなのだが、歌詞は「君の口づけがあれば、宝石も何もいらない」というような内容だから、曲は踊るようなリズムだが、歌詞はしっとりとしたものだ。だから、歌い方も、いかにもダンスを踊っているようものと、しっとりと、あまりリズミカルでないものとに分かれる。
 
 しっとり系だ。きれいな声で技巧も高く、非常に安定した歌い方だ。ときどき技巧的に変更がある。にもかかわらず、高音と低音で声質があまり変わらない。高音は得意そうだが、トリルで多少音程が下がっているのが多少興ざめだった。しかし、とても気持ちのいい歌だ。
 
 更にしっとり系だ。そして、非常に声が澄んでいて美しい。ほとんど崩さずに、一定のリズム感で歌う。オーケストラの伴奏だが、かなりオーケストラが後ろにいて、テンポを動かしながら、指揮者とコミュニケーションをとって歌うようなスタイルからは遠い。ほぼ楽譜通りで、優等生的な演奏といえるだろうか。声の美しさを味わうものか。
 
 
 せいいっぱい歌っているという感じで、あまり曲を楽しむことができない。最高音はかなり無理している感じだし、変えるような余裕はないという感じだ。中音と高音で音質が変わるのが、残念だ。
 
 ネトレプコのイル・バッチオはyoutubeに3種類あるが、これが最も若い時代のもののようで、演奏も最も魅力的である。そして、今回youtubeで聴き比べたなかで、これがベストと感じた。他のふたつは、ネトレプコがいかにもドラマチック・ソプラノ的な体型になっていて、歌い方もそれにふさわしく、ゆったりとしたものになっている。それに対して、この演奏は、正確にはわからないが宮殿の庭での野外演奏で、書かれていないので間違っているかも知れないが、指揮をド・ビリーがしている。この指揮が非常に優れていて、こんな短い曲でも、やはり名指揮者が伴奏すると、これだけ多彩な味付けが可能になるし、ネトレプコの自由な表現に、ぴったりとつけている。ごく短いが、オーケストラだけの部分も躍動感あふれている。
 そして、さすがに世界トップクラスのオペラ歌手だけあって、歌のなかに演技、歌詞に則した表情つけがあって、しかも、身体もワルツのリズムにのっている。
 
 
 バレエ付きの歌唱だが、このバレエは私の好みではない。口づけを求めているのに、何か拒絶しているかのうような踊りなのだ。歌も声がきれいだが、特別魅力的ではなく、優等生な歌だ。野外の演奏だが、指揮者が一番奥にいて、歌手もダンサーたちもまったくみえない感じで指揮をしている。だからネトレプコのような歌手と指揮者のコミュニケーションがなく、練習で決めたように演奏しているという感じなのだ。
 
 これは録音で、映像はついていない。一世を風靡したコロラトゥーラだが、いかにも古い感じがしてしまう。きれいな声で、技巧もしっかりしているが、いかにもお行儀のよい歌を聴いた感じだ。
 
 
Karoline Podolak     https://www.youtube.com/watch?v=DQi23kh6k6o
 少人数の伴奏で、変わった形だが、歌は魅力的だった。非常にきれいな声で、よくコントロールされ、少人数の伴奏だから、多少自由な歌い方もしており、ワルツらしい雰囲気がある。ワルツは決まった拍で踊ることはできないのだから、ワルツにあったアゴーギクが必要だが、それを感じさせた少ない歌唱だ。ネトレプコほど表情豊かでないのが残念だが。
 
 
 ということで、ネトレプコはさすが大歌手だということと、ド・ビリーの伴奏が素晴らしいと感じた聴き比べだった。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です