統一教会問題の解決は、単なる被害者救済ではない

 今朝羽鳥モーニングショーをみた。最近統一教会問題を再び扱うようになったが、羽鳥に限らず、テレビの扱い方は、統一教会にとってはあまり痛手にならないようなものだし、国会での野党の追求も同様だ。
 国会では、野党が自民党議員の何人かを追求しているが、ずれているとしか思えない。
 両者に共通しているのは、あくまでも個人的関係を問題にしていることだ。私からみれば、過去の関係を問題にしても仕方ないではないかと思うし、それが、将来的に関係を絶て、というのも、善処すると言われればお終いではないか。極端にいえば、国会議員にも信教の自由はあるのだから、そこを制限するようなことを求めると、それ以上の突っ込みができなくなってしまう。

 問題は、あくまでも、詐欺的な献金を行っている統一教会という組織を、現行法で保護している状態を続けるのかということだ。そして、被害者救済というのも、被害は決して個人レベルだけではなく、国家にも及んでいるということだ。テレビや野党も、被害や関わりを「個人」のレベルにとどめている点で、本質を回避していると批判せざるをえないのである。何度も指摘していることだが、日本という国家が大きな被害を受けたのであって、その被害は個人の被害の積み重ねが、転化したものなのである。だから、組織としての統一教会を、個人および国家の被害を生じさせることができないように、制度変更することが絶対に不可欠であって、単に個人の救済や議員が関係を絶つと表明することで、解決するようなことではないのである。
 
 さて、前回、統一教会が自民党に反撃をしていると書いたが、どうしたらよいかを考えてみよう。
 統一教会は、裏で自民党に猛反撃をしていると思われる。現在表にでているのは、元信者を装った「**は集会に出ていた」というような暴露だが、裏ではもっと強烈な反撃をしているに違いない。「おとなしくしていないと、次回の選挙でお前を落選させる」という脅しだ。統一教会の協力で当選した人たちにとっては、決定的な脅しとなる。しかし、そうした議員たちは、おとなしくそれに従うのだろうか。そんなことにしたがっていれば、世間の批判は強くなるし、針の筵状態が続くことになる。
 そういう脅迫を受けたとき、どうすればいいのだろうか。
 私自身は、そうした弱みを握られ脅された経験がないので、あまりリアルな認識をもてないが、そうした脅迫を断ち切るためには、真実を思い切って公表し、更にこうした脅迫も受けている、しかし、今後は一切彼らとの関係を絶つ、今後も脅迫を受けたら、警察に届け、その都度公表する、そして、しっかりと反省してやりなおしたい、という姿勢を鮮明にすることではないだろうか。関係を隠蔽しようとしたら、脅迫に脅されたということで、統一教会側にとっては、最も扱いやすい人ということになってしまう。
 選挙に不利になるかどうは、そのあとの活動の仕方によるのではないだろうか。過去のことをすっかり明らかにして、そこに至った問題等を解明し、今後の反省した方針を明示できれば、逆に選挙民の信頼を獲得する可能性もある。
 
 結局、何度もいうように、組織としての統一教会をどうするのか、政治的な対策が必要だ。
 個人の被害救済は必要であるが、それだけでは、問題をほとんど解決しない。そもそも統一教会の信者は、いくら多額の献金をしても、また、あったこともない韓国人と結婚をさせられても、それを「被害」と認識しない者が大部分なのではないだろうか。「自分は被害を受けた」と認識する者は、確かに救うことができるが、被害など受けていないし、献金や合同結婚式で神の祝福を受けられたと思っている人は、「被害者」とならない。そして、そういう人のほうが多いに違いない。
 献金にしても、統一教会の場合は宗教的行動というより、政治的行動である。韓国に送られた日本での献金は、更に北朝鮮に渡されているという。統一教会と北朝鮮の関係が深いことは、周知のことである。自民党は、そうした韓国に日本の資源を捧げさせている団体の「政治活動」を容認してきたのだが、今後も容認するのか。容認するのならは、その立場をはっきりと日本国民に表明すべきである。認めないならば、認めないという具体的な行動をしなければならない。それは絶対に、単なる被害者救済ではない。
 
 最も効果的で必要な改変は、宗教法人の非課税制度をなくすことである。これについて、ずっと考えてきた。非課税のもうひとつの代表的な制度は「学校」だ。私は、これまで私立学校の非課税は当然だが、宗教法人は課税すべきだと思ってきた。学校は明らかに「公益」性を誰もが認めるだろうが、宗教団体は「私的」なものだ。だから、課税についての差が生じて当然と考えてきたのだが、よくよく考えてみると、学校法人も課税対象にすべきなのではないかと思うようになった。ただし、これまでのように、私学助成は継続すべきである。
 ところで、私立学校は、利益をあげていると思われているが、まっとうな教育をしている学校では、実際には、ほとんど利益などはない。教育は大きな資金が必要で、政府からの補助金を受けて、やっと赤字が解消される程度のものなのである。そもそも、日本の国庫補助は、補助する相手に、利益が生じるような額を補助することはない。重要な公益性のある事業だが、国家補助がないと成り立たないから補助するのであって、金額の決め方が、あくまでも赤字の補填が原則になっている。だから、学校法人への非課税といっても、実質的には、あまり意味がないし、利益を生んでいるなら、補助金は不要であり、補助金がなくても利益があるなら、課税すべきであろう。おそらく、必要な教育環境を十分に整えていない可能性があるから、課税を原則とすることによって、教育環境の改善をさせる意味もある。
 学校に比較して、宗教は、はるかに必要なコストは低いはずである。最も徹底してコストがかからないようにしているのは、キリスト教の無教会派だろう。無教会派の集会は、家庭集会が原則であり、集会所を借りて行うことはあっても、教会そのものを建設しないから、会派の運営資金は少額で済む。そして、このことからわかることは、立派な建物や様々なアイコンなどは、宗教に不可欠なものではないということだ。宗教が献金等でお金を集めることを禁止することはできないだろうが、当然、必要経費を除いた収入に関しては、企業と同様課税するのが、ごく当然だろう。社会を構成する組織である以上。まして、宗教には公益性すらないのだから。
 統一教会についていえは、課税することによって、税務当局が統一教会のお金の流れを把握することができるようになるということだ。そうすれば、違法な霊感商法などは、かなり困難になり、それこそが被害者救済になるのである。この筋道を忘れてはいけない。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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