安倍元首相の選挙区での後継者選び 世襲を繰りかえすのか

 安倍元首相夫人昭恵氏が、選挙区の山口を訪問している。10人ほどの警護がつき、車の前後を固めているという。元首相の選挙区における後継者を話し合うことが、大きな課題だということだ。かなりそれぞれの思惑が錯綜しており、どうなるかわからないが、現在の進行から考えると、予想されるいずれの場合でも、およそ民主主義における選挙立候補者を決める話し合いとはいえない。
 まず、後援会は、多くが昭恵夫人に立候補してほしいそうだ。国会議員が急死した場合、夫人が立候補する例はいくらでもある。そして、同情票を集めるから、勝利する可能性が高い。しかし、今回は昭恵夫人にその気がないことは、以前から報道されている。
 慎三・昭恵夫婦に息子がいれば、それで決まりだろうが、夫婦には子どもがいない。そこで、慎三氏の母である洋子氏は、孫をたてるといっているそうだ。孫といっても、誰のことか、現時点ではわからない。

 
 こういうのは、見慣れた風景である。しかし、これでいいのだろうか。こうして2世3世議員が生産されてきたわけだ。2世3世議員で、本当に政治家としての資質をもって、活躍している人は、ごく稀である。1世議員、そして、彼らが政府を形成していた時代と、現在を比べると、大臣や有力議員の政策能力が、著しく落ちていることは、ある程度の年齢層以上の人には、リアルに感じることができるだろう。池田勇人、田中角栄、中曽根康弘という総理大臣は、その構想に賛否はあったとしても、とにかく、国をこのような形成していきたいという理念と、そのための実現の政策があった。そして、それらを実現する力をもった側近やブレーンたちがいた。彼らと安倍晋三を比べてみれば、あまりに政治家としての力量が違いすぎる。
 世襲議員の代表格である安倍元首相を支えていたひとたちをみても、いかに情けない人物たちで固められていたか、よくわかる。その典型は、「マスクを国民全員に配れば、みんな支持するようになります」とアベノマスクを進言した補佐官だろう。とにかく、世襲議員が国会や政府を支配するようになって、日本の政治は無残なものになり、日本の国力が落ちてきたのである。
 世襲議員の質を端的に表したものとして、統一教会のどこが問題なのかわからない、と堂々と述べた福田氏がいる。3世議員である。
 
 安倍後継者選びは、そうしたことの是正という意識はまったくない。議員が死んだのだから、そのあとは、後継意思のある者のなかから、能力や資質、これまでの活動などを考慮して、党として決めるべきものだろう。しかし、党は、後援会が決めるものが当たり前という姿勢なのだろう。単に一族であるというだけで、能力も資質も、そして、意思もない人物が駆り出される可能性すらある。
 これは、議員のポストを、特定の家族の私有物と捉え、そして、そこに群がる人々(後援会)が、利益をえるという制度となっていることを意味する。歴史的にみれば、徳川時代の大名に似ている。大名は世襲であるから、能力などは問われない。むしろ、単なる神輿になってくれるような無気力な人物が好ましいのかも知れない。東京と選挙区に後援会組織があり、それぞれ会長がいる。江戸家老と城代家老である。
 もちろん、相違はたくさんあるが、社会が安定しているときには、こうした仕組みはそれなりに機能したが、欧米諸国が日本に開国をせまってくる動乱の時代になると、瞬く間に制度としての適応能力を喪失してしまった。この30年間、日本の経済力が低下の一途を辿ったのは、こうした適応能力の政治家たちが、日本を統治してきたからである。その象徴が安倍晋三であって、だからこそ、一族から後継を選ぶことを、この際自民党はやめなければならない。
 党執行部は、党全体のために、優れた人材を候補者として選ぶという方向性をとれないなければならない。自民党という政党から考えれば、それは無理だろうとは思うのだが。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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