政教分離を考える2 宗教法人への課税が鍵

 憲法には、もうひとつ重要な条文がある。
 
〔納税の義務〕
第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
 
 この「国民」は、かならずしも日本国籍をもつ個人ということではなく、所得を日本でえれば外国人にも適用されるし、また、法人も同様である。しかし、常に問題になるのが、宗教法人の宗教活動に対する非課税措置である。何度も書いているように、宗教は「私事」であるのに、宗教法人への非課税は、矛盾している。非課税にする場合「公益」事業であることが前提であるが、「私事」の活動が「公益」であるはずがないのだ。つまり、宗教法人を非課税にすることは、憲法の禁ずる国家が特典をあたえていることであり、本来収めるべき税金を国家が宗教法人にあたえていることになる。宗教団体が税を免除されてきたのは、古来から古い制度的慣行であるが、それは、近代的な人権概念とは相いれない。つまり、本来撤廃されるべきであるのに、残滓として存続しているだけのことなのだ。

 では、何故撤廃できないのか。それこそ、悪しき政教分離の不徹底によるものだ。宗教団体が、憲法で禁じている「政治上の権力行使」をしているからである。
 
 では、宗教法人の宗教活動への課税を実現すると、何故政教分離原則を前進させることができるのか。宗教組織の反社会的行動はもちろんだが、常識を超えた華美な建築物をつくるなどの「私事」とは思えない行為は、信者による詐欺的要素を含んだ募金活動などによって成り立っている。そして、それらの金の動きがまったく把握できない。
 また、今回の統一教会問題で明らかになったことのひとつに、統一教会の信者が、無償で議員の秘書を勤めていたり、あるいは選挙活動の運動員として活動していることがある。もちろん、無償の秘書が霞をたべて生きているわけではないから、教団がなんらかの経済的支援をしているはずである。選挙活動にしても、普段党員として活動している人間であれば、党員としての通常の活動と見なされるだろうが、党員でもない統一教会の信者が臨時に無償で選挙活動を手伝ったとしたら、それは秘書の給与と同じく、党への贈与と見なされるはずである。
 知人に家を無料、あるいは格安で貸しているとしたら、それも通常贈与と考えられる。
 全体的な資金の流れが、税務当局に把握されていれば、そうした無償労働なども把握されるはずである。つまり、宗教団体が、特定の政党の特定の活動を支援することが、資金の流れで把握できることになる。そして、そうした活動が、明瞭に説明され、必要な税金を支払ってのことであれば、特別に問題にすることはない。無償で秘書を派遣するのは、当然宗教団体として、政治的に有利な状況を政治家に実現してもらうためである。
 
 統一教会が、壺や印鑑を法外な値段で売りつけている場合も、資金のながれを把握できていれば、それが反社会的な活動の資金に流れることを、かなり防ぐことができる違いない。そもそも、無税で把握されることもないから、法外な値段で壺を売りつけるわけだが、課税されれば、うまみがかなり失われ、そうした反社会的な活動も抑制されるといえる。そして、あくまで裏で隠れて行えば、脱税容疑で刑事罰をあたえることもできる。
 オウムが武器を調達したり、あるいはサリンの研究・製造をしていたことは、財務調査がしっかり行われていれば、把握できたのではないだろうか。
 
 偉大なクリスチャンであった内村鑑三は、きちんと税を払っていたそうだ。あるとき税務署の役人が、内村に、あなたは税を払う必要はない、といったところ、国民として、収入があれば税を払うのは当然である、といって、少しも迷うところがなかったという。非課税を楽しんでいる宗教人は、この内村鑑三の言葉をかみしめてもらいたいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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