昨日安倍元首相が、奈良県で選挙のための街頭演説中に狙撃され、亡くなった。許すことのできない蛮行である。日本という社会の悪い方向への、重大な転換点となる可能性がある。そこで、いくつかのテーマ設定して継続的に考察していきたい。
昨日の事件が起きた前後の映像をみて、最初に感じたのは、警備の杜撰さだった。それは昨日も簡単に書いたが、その後いくつもの映像がアップされたり、テレビでも放映された。それをみると、ますますその感が強くなる。既に様々に指摘され、専門家からも分析がなされているが、素人にも、欠陥がすぐにわかる程度の警備だったのか。当初は、そう思ったが、会場の設営自体にも、ずいぶんと安全が軽視されていると感じることがあった。
まず、演説の場所だが、まわりが道路で車が通っており、そのなかに飛び地のように3角で比較的狭く、ガードレールで囲まれたところに、赤の小さな台を置いて、そこに安倍氏が立って演説をしている。奈良で何度目かの演説だったらしいが、このような形は初めてだったという。選挙カーは、演説の前日に急遽決まったので、間に合わなかったというのだから、準備そのものが間に合わせのような感じだった。
この場所の非常に大きな問題は、まわりが360度オープンになっているということだ。しかも、狭い三角形のところにいるので、人垣ができていて、犯人が近づくことができない、というようでもない。車道には人がいないわけだから、車が来ないときに、犯人は簡単に間近まで来ることができる。つまり、演説の場所設定において、極めて危険な地点を選んでしまったといえる。あんな場所に元総理を立たせて演説させた地元後援会の感覚を疑ってしまった。
そして、赤い台の上に立っていたことも問題だ。多少とも高くして、目立つようにしたということはわかるが、たったひとりしかたてないような小さな台だ。だから、当然安倍氏だけがたっている。立つにしても、もっと広い台をおいて、そこに数人が囲むように立っていれば、犯人が狙うことが難しい。ただ、それでは、選挙という場において、断絶感を生んでしまうということはあるかも知れない。だから、まわりを囲むわけにはいかないのだ、それに、まさか銃で撃たれるなどということは、想定すらできない。そういう考えもあるかも知れない。
しかし、台に立っていたために、最初の銃声がしたときに、とっさに、安倍氏を倒して、そこに覆い被さって守るという、定石があるようだが、それが難しくなった気がする。同じ平面に立っていれば、護衛が無理に安倍氏を押さえ込んで、倒すことはできるかも知れないが、あの台に立っていて、それをしたら、コンクリートの地面に数十センチのところから、引き落とすことになって、それはかなり難しいように思う。実際に、護衛のひとりが庇う動作に入ったらしいが、うまくいかなっかたわけだ。
つまり、場の設定自体に、大きな危険があったということだ。
そして、護衛のお粗末さだ。ネットでは、たられば論だとか、結果論だという見解もみられたが、多くの人は、また、専門家はほとんどが、ミスを指摘していた。それは昨日私が書いたことと、同趣旨だった。
つまり、護衛のほとんどが、前方を向いており、後ろを警戒している人が、ほとんどいなかったのである。私が確認できた限りでは、ひとりだけが、前方以外をみていたが、後方を監視している人はいなかった。犯人は、安倍氏が演説を始める前から立っており、安倍氏の背中側で、きょろきょろしている感じで見回していて、しかも、大きなバッグを横に抱えている。もし、後方を監視している護衛が二人くらいいれば、どちらかは必ず、事前に山上容疑者に注目したはずであり、監視したはずである。そして、演説が始まった1分後くらいに、移動を開始し、それから銃を取り出して、構え、撃ったわけだから、その間1分弱の時間があった。つまり、その間に十分対策行動をとることができたはずなのである。それができなかったのは、護衛が、安倍氏の背後を監視する体勢をとっていなかったからに他ならない。そして、これは護衛としてのイロハを怠ったことになる。したがって、この事件は、護衛が基礎的なことを守っていれば、防げた可能性が高いと考えざるをえない。
ずいぶんと皮肉な事実だと思うのは、安倍氏は、日本の防衛体勢強化論者の筆頭だったことだ。護憲派を平和ボケしていると非難し、危機対応が大事だ、そのためには、防衛能力を高めねばならないし、軍事費も倍増しなければならない、という主張の先頭にたっていた人物である。しかし、この危機意識のなさはどうだろう。危機は、国際社会のなかにだけあるのではない。