映画東京オリンピックsideB Aより大分落ちる

 河瀨直美監督の東京オリンピックsideBを見た。Aは比較的よかったと思い、ブログにも書いたが、Bは完全に失望という感じだった。事前に、映画コムでのレビューを見ていたから、期待はしていなかったが、ほとんどすべてが否定的だったレビュー通りだったといえる。
 上映期間も1週間だから、もともと客がはいることは期待していなかったのかも知れない。レビューには、オリンピック自体が無観客だったのだから、映画も無観客なのだろうという文もあったくらい、かなしいほどの客の入りだ。Aは5名で、今回は同じ映画館だったが12名だった。Aはけっこう評価が高かったので、Bも見てみようという人がいたのかも知れない。
 Aは、 それでも「発見」があった。そして、勝利者の激闘ではなく、出場そのものに困難があったアスリートたちの物語という「筋」があり、そういうひとたちはメダルをとっていないので、話題になっていない人がほとんどだから初めて知ったし、また、こういう努力もあるのかという驚きもあった。出産後間もないのに出場して、レース途中に棄権せざるをえなかった女性マラソンランナーなど、メディアは取り上げていたのだろうか。

 強い勝者ではなく、困難をかかえた弱者に焦点をあてていたから、Bでは、同じような視点で、運営の裏側に切り込むのかと、わずかな期待をしていたが、それは裏切られた感じだ。もっとも、オリンピック委員会から正式に委託された仕事であり、そこから資金がでているのだろうから、どんなに監督自身が批判的に見ていようと、それを前面に出すことができないことは理解できる。だが、そうならば、招致運動をしている時期から、反対意見はたくさんあったし、また、招致が決まったときのプレゼンで、安倍首相が、福島原発はコントロールされているとか、日本の夏は温暖で過ごしやすいとか、とんでもない嘘を並べたし、猪瀬東京都知事は、東京は福島から200キロ離れているから、放射能の危険はない、などという福島差別発言をして、大きな批判がなされていた。日本に決まって、大多数が喜んだ、などという状況でなかったことは、河瀨氏も十分承知だったはずである。だから、批判意識が強いなら、引き受けたことが間違っていたのである。何故引き受けたのだろう。
 
 さて内容だが、運営面を取り上げるという割りには、試合場面もけっこう出てくるが、日本選手が敗れる場面が多い。400メートルリレーでのバトンミス。これは、バトンを渡そうとしているが、渡しきれない場面をアップにして、しかも繰り返し流している。少々厭味も感じた。バトミントンは、金メダルをとった混合ダブルスチームの母校の中学などもでてくるのだが、桃田が敗れる場面も流れる。マレーシアでの例の事故車も映る。更に、予選で敗れた瀬戸など。しかし、これらも、単に映像が流れるだけなので、桃田以外は、何か敗戦の背景を知るわけでもない。
 東日本大震災の津波の映像が出てくるが、復興五輪にふさわしかったのか、どういう面で復興のための方策が行われていたのか、などは一切出てこない。出てこないのが消極的批判かも知れないが、私には無視としか思えなかった。
 日本に決まったときの会場の様子も、会長が「東京」といって、会場の日本人たちが狂喜する映像が流れるだけだ。安倍首相はこんなことを言ったのだが、という映像もいれてほしかったと思うのは、私だけだろうか。国際社会に向かって、わが国の首相が嘘をついたことを、晒したくなかったのだろうか。あるいは、編集過程で圧力でもあったのか。映画として記録に残す必要がある場面だったと思うのだが。
 ほとんどの映像は、単に場面、それも発言している人の顔のアップが多いのだが、場面を流し、次の場面に移るときには、空の風景か子どもの姿を挟む。まるで関連が感じられないまま、場面が変遷していくだけなのだ。コロナで延期すべきかの議論(これは時期的にも繰りかえされるので、何度も出てくる)、マラソンの会場移転の議論、開会式・閉会式に関する会議や人の思い、選手村の料理を担当するひとたちの様子、全国から集められた警備のための警察官等々。そして、バッハ会長は、当然かも知れないが、うんざりするくらいたくさん出てくる。そういう短い映像が、断片的に流れるので、統一的なコンセプトがまるでみえない。そんなもの不要だということなのだろうか。
 
 少しだけ、印象に残ったことを書いておきたい。
 ひとつは、組織委員会の主要メンバーが、延期にかかわる様々な議論をしているのだが、これが意外と、多様な議論がでていて、激論を交わしていることがわかった。森会長の意思にそって、執行だけやっていたわけでもない。まったく新しい事態が起きているわけだから、当然ではあるが、この点だけは、非常に印象的だった。
 それから、選手村の料理担当者たちの奮闘は、やはり、とても印象的だった。なにか各国の決まった料理のレシピにしたがって調理しているのでもなく、チェックしながら、少しずつ味を改善していっている様子がわかる。ただ、裏方でも、コロナのために通常よりも複雑になった輸送のための運転手や、ボランティアなどは、もっと出してもよかったのではないか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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