昨日あたりから、youtubeやニュースで、ウクライナ軍兵士の士気低下が生じていると指摘されるようになっているが、欧米では、既にずいぶん前から指摘されている。私が読んだのは、Independent 誌だった。セベロドネツクの戦闘で、火力がロシア軍は10倍あり、ウクライナ兵はとうてい勝ち目がないと感じて、士気低下が著しいという指摘だった。そうしたことを日本のメディアは、ごく最近まで隠していたわけだ。
これはゼレンスキーのミスのひとつだと思う。指摘はたくさんあったが、セベロドネツクは、一端戦略的に放棄して撤退し、欧米からの武器の到着をまって、反転攻勢にでるというのが、適切な判断だったと思う。そうしない理由として、セベロドネツクには1000名ほどの市民が残されているから、置き去りにするわけにはいかないというのが理由だった。しかし、その理由は、本当のものではないと思っている。いくらロシア兵であっても、市民を大虐殺することは、それほどないと考えてよい。キーウ撤退後の虐殺は、例外的な状況で起きたし、そのことが国際的な大批判に晒されたことで、ロシア側も修正するはずである。むしろ、兵力に圧倒的な差があるにもかかわらず、市街戦が行われていることこそ、市民にとっては危険な状況であろう。
どんなにウクライナ兵が頑張っても、10倍の兵器の差があれば、勝てるはずはないうえに、退路も事実上絶たれてしまう事態になっている。橋を破壊されて、結局セベロドネツクに閉じこめられてしまい、マリウポリ製鉄所の兵士のようになっているのではないだろうか。
何故、徹底抗戦をせよと、司令部が命じたのか。単なる想像であるが、6月12日のロシア記念日での、プーチンによる戦果の誇示を防ぐためだったのではないだろうか。セベロドネツクを占領されてしまうと、確かにルハンシク州全体を支配されることになり、ロシアにとっては、戦果といえる。そして、ウクライナは負けているという印象を世界に拡散してしまうことを、ゼレンスキーは恐れたのではないだろうか。しかし、実態として、そこでは負けているのだから、貴重な戦力を消耗させてまで、虚像をつくることは、かえって傷口を広げてしまうことになる。
これまでずっと、ロシア兵の士気の低さと、ウクライナ兵の高さが強調されてきたが、場所にもよるだろうが、この東部戦線では、それが逆転している可能性もある。ゼレンスキーは、さかんにウクライナ兵の損失を強調し、武器供与を訴えるようになってきたが、貴重な人員を損傷しては、武器が来ても闘う兵が不足してしまう。民主主義国家として闘っていることを強調するならば、兵士たちの生命を可能な限り守る戦略が必要で、無理な作戦を強いて、兵力を失うようなことは、民主主義国家の闘い方ではないように思う。
もうひとつの問題、ウクライナ支援疲れが話題となっている。いくら武器を支援しても、まだまだ足りないと要求される。いつまで支援したらいいのかという疑念が起きているというのだ。それは、実感としてわかる。ウクライナの戦争は、ウクライナ自身の責任であって、別に他国が責任をおっているわけではない。ただ、ロシアに侵略されたので、信義として助ける必要があるということが基本だ。もちろん、NATOやアメリカのように、ロシアを戦争に駆り立てた要素があることは否定できないから、援助する責任があるともいえるのだが。
しかし、不可解なのは、支援するなら、有効な武器を早くから提供すればよいものを、何か小出しで、少しずつ強力な武器を提供している。当初から、要求されていた戦闘機や、長距離砲をだしていれば、こんなに長く戦闘がつづかなかった可能性がある。素人の見方に過ぎないかも知れないが、未だに、ウクライナが苦戦しているのは、空爆を許していることと、長距離から攻撃されているからである。それに対抗するためには、そうした空爆や長距離攻撃に対応できる武器を提供することだろう。子どもでもわかる理屈だ。しかし、当初、ポーランドが所有する戦闘機を提供しようとしたら、アメリカがストップをかけた。その後、アメリカが了解すると、ポーランドは自国からではなく、ドイツに運んで、ドイツから提供する形をとってほしいといい、ドイツがそれを断るという、実にちぐはぐなことをやっていた。そして、いまだに、十分な距離で攻撃できる武器を、アメリカは提供することを拒んでいる。これでは、ウクライナに、負けるな、でも勝つなといっているようなものだ。
十分に有効な武器ではなく、不十分なものを提供しているのだから、これでは十分に闘えないと、より強力な支援を求められても、仕方ないのではないか。
ただ、アメリカが「第三次世界大戦」を恐れて、強力な武器を提供しないと言われていたのは、多少違うのではないかと思い出した。ロシアを挑発して、第三次世界大戦にならないようにしようということはわかるが、実際には、既にロシアをかなり挑発しており、だからこそ、ロシアも、攻勢をかけているし、様々な対応策をとる姿勢を示している。実行できるかは、また別だが。
アメリカが兵を出さない本当の理由は、アフガンの反省からではないかと、思うようになった。ソ連のアフガン侵攻に対して、アメリカはテロリストも含めた、反ソ勢力を支援して、ソ連を追い出し、アメリカと友好的な人物による政府を成立させた。しかし、結局、アメリカ人が闘って、相手を倒しても、その後の現地の政府は、まったく統治能力がなく、結局、アメリカの支援を受けているにもかかわらず、タリバンの攻撃に屈してしまった。イラクでも同様のことが起こっている。だから、代わりに闘っても、効果はなく、やはり、当事者たちが闘わなければ、その後の統治はできないのだ、そういう教訓をアメリカはえて、その教訓から、ウクライナに武器を援助はするが、闘うのはウクライナ人自身である、という体制を絶対的に保持しようとしているのではないだろうか。そうして勝ち抜いた主体でなければ、勝利したあとの統治がうまくいかない。
しかし、だからといって、ウクライナが負けてしまってはこまる。ウクライナが敗北して、ロシアの軍門に下り、ロシアに従属する政府ができたら、欧米の国際的威信が失われるだけではなく、ウクライナに提供した兵器が、すべてロシアに渡ってしまい、その技術が盗まれることになる。
兵器だけの援助で、ウクライナに勝利を獲得させ、しかし、ロシアに核兵器を使わせないというのは、確かに綱渡りの援助なのだろう。アメリカの対応はずっと注視する必要がある。