まだ詳しくはわからないが、テレビで、最高裁が原発事故に対する国の責任を認めなかったという判決が出たことを速報していた。ミヤネやだが、要するに、地震が来ることを予想できたとしたも、対応することは不可能であったという理由だったという。一応その線で理解しておく。
論点は、
・大きな地震が来ることを予知できたか
・予知できたとして、有効な対策をとることができたか
ということだったそうだ。
いじめ自殺事件でも、よく論点となるところだ。このいじめで、被害者が自殺することが予見できたか、予見できたとして、自殺意志をもった当人の自殺を思い止まらせることはできたか、というような論点だ。
報道では、予知は可能だったと認めたようだ。それはそうだろう。かなり控えめな予想だったし、日本史をみれば、確実にある程度の頻度でもって、大地震が起きて、大きな津波被害が生じる地域だったのだし、専門家たちの予想がでていたわけだから、それを「確実なものではない」などと退けて、対策をとらないことは、まったく無責任である。だから、予知は可能だったとした。
では、対策は不可能だったのか。
私は、可能だったと思うし、それを国や東京電力が、回避しただけだと思っている。
もし、可能であるのに、やらなかったとしたら、当然大きな責任を負うことになる。しかし、地震の予知が可能でも、対応は不可能だとしたら、どうなるのだろうか。ここが最大の問題だろう。
私は、国も最高裁も、国にとって、決してとってはならない結論を採用したと思っている。なぜか。
もし、地震が来ることを予知可能なのに、有効な対策がとれないのだとしたら、ほぼ確実に大被害が生じることになる。そういう原発施設を設置・運営するのか。また、事故後も稼働させるのか。常識的に、対応不可能だという論理を延長すれば、そういう施設はやめる必要がある、ということになるではないか。
もし、最高裁判決を、もっとも好意的に読むならば、判決は、国に対して、原発稼働は今後一切やってはならない、と命じたのだという解釈になる。あるいは、意図的には、そうでないとしても、そのような方向性しかでてこないと思う。