先進国最低のジェンダー平等、まず何を変えるか

 先進国における女性の活躍、男女の平等において、日本が最低であることは、長く問題とされてきた。政府も、取り組むという表向きの姿勢をみせているが、実はこのランクは低下傾向にある。いろいろな議論がなされているが、私なりに考えてみたい。
 まず、高齢者となってしまったが、団塊の世代としての、ひとつの実感を確認しておきたい。私が学生の頃は、まだ大学進学率は男女差がけっこうあって、四大にいく女性はまだ少なかった。かつ、私は男子校であり、大学も男子校的なところ(女子学生は1割未満だった)だったためもあってか、リーダーとしての資質や知的能力において、この人はすごいと実感した女性には、あまり遭遇したことがない。そもそも、社会のなかでリーダーとして遇されていない時代だから、当然のことかも知れない。

 それから、もうひとつの重要な実感として、日本の女性は、言われるほど実質的な地位が低いわけではないということだ。地位というと、違うかも知れない。実権といったほうがいいかも知れない。よく引き合いにだされるのは、共働きではない夫婦で、財布を握っているのは、日本ではほとんどが妻だが、欧米では夫であると言われる。私自身がそうであったが、実は私の親はそうではなかった。それは、母も働いていたからである。共働きではなく(若い頃は妻も働いていた)、妻が財布を握っている私たちと、ともに働いていた親も、表面的には男が強いようにみえても、女のほうが実権を握っている面がかなりある。つまり、見かけの不平等と実態とは、異なることがあるということだ。組織内でも、実はそうしたことがあるのではないだろうか。
 江戸時代は、夫のほうが一方的に離婚を宣言することができたとされ、離縁状は夫のみが書く権限をもっていた。しかし、女性から離婚を申し出ることは、いくらでもあり、状況によっては、夫はそれを拒否することができなかった。そういう場合でも、夫が離縁状を書いたわけである。だから、夫だけが離縁状を書くことができることと、離縁するかどうかは、夫だけが決められるということとは、まったく違うのである。こうした、現象と実態で違う側面があることは、日本の男女平等については否定できない。
 とはいえ、日本で女性が差別を受けていることは、否定できないことであり、先進国としては、情けない状況であることも事実だろう。それは、平等を望まないひとたちが、日本を動かしていることによる。つまり、日本の政治的エリートたちは、多くが男尊女卑論者なのだということであり、こういうひとたちを政治の中心から追い出すか、あるいは、小さな改善によって、彼らも含めて、男女が平等であるほうが、住みやすい社会になるのだということを実感するひとたちを増やしていくことが、重要なのだと思う。
 
 さて、日本の政治的エリートたちが、いかに男尊女卑論者であるかを、最も端的に示しているのが、天皇の継承問題である。「日本的伝統」なるものに、あまり執着しなかった小泉首相は、実質的な男子継承者が秋篠宮一人であることを踏まえて、長子継承に変える皇室典範の改正案をまとめ、国会に提案する直前にまでなっていた。しかし、それに猛然と抵抗したのが安倍晋三(当時官房長官)であり、当時の天皇(現在の上皇)、秋篠宮夫婦と合意して、なんらかの方法で男子を出産させた。いろいろと議論はあるが、「ごく自然な妊娠」ではなかったと考えるのが、当時の様々な政治の動きからみて妥当だろう。そして、安倍官房長官は、小泉首相に、改正の断念を承知させたのである。
 そして、それ以来、国民は長子継承を望む声が圧倒的に多いにもかかわらず、政治家たちは、そうした声に耳をかさないまま今日に至っている。そして、天皇は男子でなければならない、どうしても女性をたてる必要があっても、男系でなければならい、という「信念」というより「妄信」に囚われるひとたちが、政治的エリートたちの大半なのである。いや、正確には、そう思っていないが、妄信を抱いているひとたちに、従わざるをえないと思っているだけなのかも知れない。
 とにかく、国家の象徴としての天皇、しかも男女平等社会における国家の象徴が、男性でなければならないという考えに囚われているひとたちが、国を動かしているのだということ、そして、そういうひとたちの代表である安倍晋三が、長期政権を維持していたのが日本なのである。だから、いかに、国際的に批判されても、また、多少の譲歩をしても、根幹を変える必要は感じていないのである。本気で男女平等を実現するように努力する気持ちなど、露ほどもないに違いない。
 そう考えると、皇位継承を長子相続に変えることが、彼らの意識変革をするためには、不可欠であり、かつ有効であるように思われる。そんなことで、彼らが変わるわけないと思うひとがいるに違いない。だが、天皇は、明確に国の象徴であり、国民の総意に基づくというように憲法で規定されているのである。国の象徴が男に限定されていては、男女平等に国全体、社会全体が向かっていくことなどできないのではないか。そして、基本的に、日本の現在の政治的エリートたちは、天皇に対する肯定的な感情をもっていると考えられるから、ここの基本が変化すれば、意識の変革がおきる、あるいは、現在でも実は長子継承を支持しているひとたちも、それを踏まえて、より男女の平等を推進するための、現実的な取り組みを強化できるとも考えられる。
 
 人々の生活にとっての、本当に必要な平等の実現の領域は、まったく別のところにあるが、ここを抜きにしての変革は難しいように思われる。「妄信」を消し去る必要があるからである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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