ドキュメント「権力と闘うあるロシアTV局の軌跡」ロシアの報道の自由の悲惨さ

 日本は、G7では報道の自由ランクで最下位であり、かなり問題であるし、近年更に低下傾向にある。2022年では71位である。韓国嫌いの日本人が多くなっているが、韓国は、43位で日本よりもずっと報道の自由がある。日本人としては、本当に真剣に考えねばならない。そして、ウクライナに侵略戦争をしかけているロシアは、2022年155位となっている。昨年より低下している。
 そして、このドキュメントは、ウクライナ侵攻の6日後に、ロシア政府によって廃止に追い込まれた独立系テレビ局「ドシチ」の誕生から消滅までの記録である。ロシアにもこんなテレビ局があったのかというほど、徹底した「事実報道」によって際立っており、そして、プーチンに直接にらまれたのも、必然だったともいえる。しかし、逆に、こうした報道を求めているロシア人がいたことも、また否定できないのである。
 
 5月中旬にNHKBSで放映されたイギリス制作のドキュメント番組で、「メディアを支配するものが思考を支配する」という言葉から始まる。

 現在のインタビューと過去の映像で成り立っていて、主な語り手は、ドシチの一員であったヴェラという女性だが、彼女は一時不満を感じて、ドシチから離れていたこともある。また、何人かの語り手が交代して出てくるが、主人公ともいうべき存在は、元FMラジオ局を経営していたナターシャとその夫で銀行経営者だったサーシャである。二人とも極めて裕福な存在で、最初からプーチンに批判的な立場からテレビ局を開設したわけではなく、開設前は、ロシア全体も経済的に拡大していた時期で、経済的に順調だった二人は政治にはまったく関心がなかったと言っている。
 ところが、2008年に金融危機が起きて、サーシャの銀行は倒産し、贅沢な生活から、質素な生活を余儀なくされるようになり、何か新しいことを始めたいというナターシャの意向で、「ドシチ」というテレビ局を開設した。妻の願いを夫がかなえたというところだから、どん底の生活になっていたわけではないようだ。何故、テレビ局を開設したいという意識になったのかは、ほとんど説明されていない。経済がうまくいかないなら、何かもっと新鮮な刺激が欲しくなっただけなのかも知れない。当初は、素人まるだしの粗末な放送が続いたという。局員がマイクの前で話すのだが、何度もとちってしまう様子が流れたりする。
 しかし、2011年1月、ドモジェドヴォ空港爆破事件が契機となって、局の性格が変化していった。この大事件をロシアの通常のテレビ局は、無視しており、ドシチだけが積極的に取り上げたと、ナレーションは語っている。ただこれだけの大事件を、ロシアの他のテレビ局が取り上げないのかは、理解できないことだ。確かに、空港自爆テロの場面を映すドシチの画面と並べて、同時間帯の国営テレビチャンネルの、娯楽的な画面が映されているが、あとのニュース番組などでも報道しなかったとは思えないのである。ドシチは、どうらやライブ中継に意味を見いだしていたから、こういう主張になっているのかも知れない。とにかく、何かおきると、現場に駆けつけて、そこからライブ映像を送るのが、ドシチの看板手法だったようだ。
 この年末から、政治的風刺をするコントのような番組を流すようになり、人気が出た。プーチンとメドベージェフに扮した二人のコントで、メドベージェフ自身が、この番組収録にやってきて、出演したいとまで言ってきたそうだ。
 当時は、大統領メドベージェフの任期の終盤になっており、そのまま続けて立候補するのか、あるいは、プーチンが再び大統領になるのか、注目されていた時期であった。
 そして、プーチンがメドベージェフに、「君の二期目はない」と宣言するという内容のコント番組を制作したが、ヴェラの判断で放映しないことにしたという。あまりに政治的色彩が濃く、個人を中傷するのは、一線を超えていると判断したからだと、ヴェラは当時を振り返って語っていたが、世間からは、「権力におもねった」という批判が出てきたそうだ。
 
 2011年は、翌年に大統領選挙があるにもかかわらず、ほとんど選挙活動が行われないという異常な状況にあり、そのために、ドシチは投票所に多くの取材陣を送り込み、開票作業のなかで不正を発見した。投票箱から集計するときに、10枚ずつまとめてある投票用紙が、多数出てきたというのだ。テレビ局だから、その映像も当然撮ってある。それが報道されると、投票無効を叫ぶデモが大規模におき、そのなかでドシチの記者が逮捕された。デモの放送に対して、脅迫がくる。大統領府から、直接電話がきて、「お前たちはアメリカの嘘をまき散らしている」と非難されたという。
 2013年には、同性愛であることを宣言することを禁止する法律が成立したとき、ドシチの勤務者の半分は同性愛だったので、動揺が広がったが、一人が堂々と宣言したことで、局員の団結が強化された。お祝いのパーティが開かれた様子が紹介されている。半分が同性愛者というのも驚きだが、カミングアウトすることを禁止する法律を制定するというのも、それ以上に驚きだ。
 
 2014年のウクライナの騒乱(マイダン革命)を、これは戦争だと報道したが、記者が逮捕された。その後のドンバス地方の内乱状態について、プーチンはロシア兵を派遣していないと言明したが、ウクライナの捕虜になっているロシア兵にインタビューをして、ロシア兵たちが、どこに派遣されるのかわからずに、ウクライナにやってきて捕虜になってしまった、と語る場面を放映した。
 これは、おそらくプーチンの怒りをかったに違いない。もちろん、非はプーチンにあり、ウクライナのドンバス地方の争いにロシア兵を送って、彼らが戦闘に関わっていたことは、他にも明らかにされており、プーチンが公然と嘘をついているわけである。
 ドンバスの戦闘を取材しているときのこと、恐ろしい経験に遭遇した。車で走っていると、前に若者が立ちはだかり、カメラや資材を壊そうと威嚇する。もちろん、車に仁王立ちになっているのだから、発進することもできない。結果的に壊されたわけではないが、こうした威嚇はやはり、大きな圧力になるだろう。
 
 どういう経過で行われたのかは明らかでないが、第二次大戦におけるレニングラード攻防戦についての討論を行い、そのなかで、市民の命を守るためには、降伏すべきだったという意見を紹介し、その後自由な討論をネットを介して行うという番組だった。ところ、プーチンが、市民への侮辱であるとして不満を表明し、議会もドシチを非難することになった。プーチンはレニングラード出身で、大学までいた地域であり、レニングラード攻防戦は、彼の親が深く関わった戦闘であり、プーチン自身が、侮辱されたと思ったのだろう。
 しかし、そういう主張を紹介しただけであって、その後の自由な討論の素材にしただけなのだから、公平にみれば、ドシチが、レニングラードの市民を侮辱したというのは、言いがかりだろう。ネットで開かれた討論だったのだから、そこに参加して、闘ったレニングラード市民の誇りを強調すればよかっただけのことである。  
 結局、ドシチは、この件でスポンサーをなくしてしまい、そのままでの放送が不可能になった。そこで、番組の有料化をすることになり、サーシャとナターシャの夫婦は、私財を局の運営に支出することになる。
 7月におきたマレーシア航空の墜落や、ずっと続いているドンバスでの戦闘も報道した。墜落については、公平に両者の立場を紹介しているが、印象としては、ロシアが撃墜したという印象を与えるものになっている。現在では、ロシア側の行為だと考えられているから、ドシチの報道は正しかったといえる。
 
 有料会員は当初の1万5千から6万に増えたが、たった6万人では世界を変えられないと、ナターシャは感じるようになる。
 2019年のデモでは、取材活動していた記者が逮捕され、ネットでその映像を公開したところ、500万回の再生があった。しかし、オフィスに警官がやってくる、更にサイバー攻撃を受けて、送信ができなくなるなど、困難がましていったときに、ナターシャに乳癌が見つかるのである。彼女は、立ちどまって考える時期だと考えて、ドイツに移住し、少し距離を置いた。しかし、その間も、ドシチの活動が途絶えたわけではないようだ。
 2020年にモスクワに戻るのだが、ガン手術を受けたことで、身体のなかの悪いものが出ていった感じで、心に余裕ができたとナターシャはいう。そして、そういうときに、憲法改正問題がおきる。プーチンは、ずっと憲法改正は絶対にしないと、何度も公式に表明してきた。そういう公式表明の映像がながされるが、突然国家の必要性から憲法を改正すると宣言して、自分の大統領としての任期を延長可能にする改正を行った。その後も警察に踏み込まれ続けたが、結局、2022年2月24日のウクライナ侵攻の6日後、権力に解散を命じられて、ドシチは完全に消滅した。そして、局員たちは国外退去を強制されたということだ。
 
 ロシアでは、何人かのプーチン批判派のジャーナリストが殺害されているが、ナターシャもサーシャも逮捕すらされていないし、ドシチの逮捕された記者たちも、殺害されてはいないようだ。この差がどこにあるのかは、このドキュメントではわからなかった。おそらく、表立ってプーチン批判をしたというよりは、現場に出かけて、リアルな映像を放映したことが、結果的にプーチン批判にはなっていても、事実そのものだから、責任者を罰する理由を、さすがのプーチンもでっち上げることができなかったのかも知れない。ナターシャ自身が、何か主張するというよりは、事実を届けたいのだ、と語っている。しかし、独裁者にとっては、事実こそ、最も怖いものなのだろう。そして、事実であることの証拠として、現場でのライブ配信を重視したのだった。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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