ウクライナ雑感 ロシア兵は何故あれほど残虐行為ができるのか

 ウクライナ情勢は混沌としてきた。日本の報道の多くが楽観論を振りまいているが、割り引いて受け取るべきだ。もちろん楽観的見方が今後実現していけばよいが、あまり楽観はできない。
 
 ロシアのウクライナでの蛮行を見ると、何故こんなんに酷いことをするのか、あるいはできるのか、ということに、日本人の多くは疑問に思うだろう。ここをロシアの領土にしようと目論んでいると思われる地域でも、遠慮会釈のない砲弾を浴びせて、廃墟にしてしまう。現在激戦が行われていると報道されているセベロドネツクの写真をみると、本当にほとんどすべての建物が防弾を浴びている。ここを領土化して再建することを考えているのであれば、こんなに破壊ができないはずだ、というのは、日本人的な甘さなのだろうか。いろいろと考えていると、いくつかのことが思いつく。

 まず、ロシアは深刻な人口減少に悩んでいるということだ。ロシアは未開発の地域がたくさんあるから、昔から労働力がいくらでもほしかったことは間違いない。第二次大戦後、日本人を大量にシベリアに抑留させたのは、労働力確保のためだった。現在では、単に国土の割合での人口の少なさに、人口がどんどん減っているという状況だ。しかも、ウクライナ侵攻で、若く優秀な人や金持ちたちが、たくさんロシアを去っている。だから、労働力を確保したい。それで、占領地域からウクライナ人を拉致して、ロシア東部に送り、労働させる。そうすれば、新たに占領したウクライナの土地なと、廃墟になっても構わないということなのだろう。親ロ派の住民が、こぞってロシアに移住してくれれば、もっとよい。
 ロシア軍の相手に対する残虐行為は、まるで過去の歴史を思い出させる。ロシアはモンゴル人に制圧された歴史をもつ。モンゴル人は、支配地に移住して、そこで生活するという発想はあまりなかったようだ。あくまで少数の支配者が、そこの住民たちから税を取り立てれば、それ以上のことを求めなかった。しかし、それに反逆すれば、極めて残虐に殺害することを厭わなかった。そういう歴史が記憶にあれば、モンゴルに攻められはしたが、占領されることはなかった日本人とは、感覚が違うのだろう。
 ヨーロッパの戦争をみると、日本の戦争とは異なる点があることに気付く。時代差を無視することになるが、日本で国内の戦闘があったのは、江戸時代初期までと、明治初期の数年間だけだ。そして、その戦闘の終わり方は、だいたい決まっていて、戦闘で敗北した側の将が、処刑されるか、自害するかである。関ヶ原の闘いで石田三成が処刑され、大坂の人で豊臣秀頼が自害している。明治の反乱でも、江藤新平は処刑され、西郷隆盛は自刃して果てている。逆に兵士たちは、かなり寛容に扱われるのが通常だった。
 だから、日本国内での戦争と、ヨーロッパなどの異民族間の戦争では、やはりその残酷さの度合いが異なると思われる。同じ言葉を話し、文化も同じ者同士であれば、戦争をしても、幸福した相手は、自分の味方になる可能性は高い。戦国時代までは、家臣が別の領主に鞍替えすることなどは、珍しくなかった。むしろ、そういう裏切りをさせて誘い込むことは、重要な政治力だった。だから、戦争が終われば、少なくとも首領以外は寛容に扱うことが、利益でもあった。
 しかし、異民族であれば、それこそ全体としての生死をかけた戦争となり、相手が戦闘後に、自分たちに忠誠を誓い、平和に生活することなどは、あまり信じることができなかったに違いない。だから、殺害するか、奴隷にするかだった。イスラム国(IS)の占領地の人々への扱いなどをみれば、やはり、今でもヨーロッパや中東では残っていると見た方が、現実にあっている。
 
 更にもうひとつの事情があるといえる。
 ヨーロッパでは、いつからなのかはわからないが、少なくとも19世紀の戦争では、相手の責任者を殺害することはないという不文律が存在した。だから、あれだけの軍事的破壊をもたらし、大敗北を喫したナポレオンですら、処刑されていないのである。その代わり、火器が発達したこともあるが、兵士たちは戦争行為でかなり悲惨な目にあうことが多かった。独ソ戦はその典型であろう。総力戦になれば、国民を巻き込むことにもなる。
 つまり、国や軍のトップは、自らの生命は、たとえ敗北しても安全なので、部下にはどんな命令でもできると思っているのではないだろうか。そして、この感覚は、現在の欧米には共通に残っている。バイデンが、プーチン体制を終わらせると、記者会見で発言した途端に、ホワイトハウスの報道官が、大統領発言を否定する、体制転覆などは考えていないと訂正しているわけだ。そして、バイデンには大きな批判が起きた。
 しかし、戦争を起こして、明らかに反人道的な残虐行為を行った場合、指導者は厳しく罰せられるべきではないだろうか。そうするほうが、戦争行為にある程度の抑止力が働くのではないか、と期待する。もっとも、国家間の戦争では、相手国を完全に制圧して、占領下に置かなければ、相手のトップを罰することは難しいことも確かだが。
 プーチンは明らかにウクライナの政権転覆を意図していたし、ゼレンスキーを殺害、あるいは拉致しようとしていたことは、明確であるのに、プーチンを大統領から追い落とすことすら、回避しているアメリカの姿勢は、私にはあまり理解できないのである。この点については、また別途書くことにする。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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