5月31日
高崎白衣大観音像
達磨寺を終えて、近くの高崎白衣大観音像に移動する。この観音像は、高崎市のかなりの範囲で見える、高いところにあり、かつかなり大きいものだ。
車でこの先、徒歩数分という入口近辺まで行き、無料駐車場を探したが見当たらない。ネットでは、専用の駐車場があるように書いてあったが、ないので、お土産屋さんに聞いてみると、警察が来ないから、そこらに駐車しても大丈夫という。しかし、明らかに違法駐車なので、少し戻ったところに「観音様に一番近い駐車場」という有料のところにとめた。同じようにお土産屋さんだったが、駐車券が金券(その店だけで有効)となる駐車場で、事実上無料だった。
さて、大観音像まで登っていく。坂は急だが、距離はわずかなので、直ぐについた。
とにかくでかい。遠くからもよく見える道理だ。
有料だが、観音像のなかを登ることができるという。チケットを購入して、ラセン階段を登る。ところどころに小さな展望窓があって、外の風景がみえる。かなりきついかと思ったが、140段余の階段は、それほどきつくはなかった。
ここだけは家族が撮った写真を借りた。
30年も前に、ドイツのウルムの有名な教会の塔に登ったことがある。教会のなかでは、オルガンの演奏がなされており、それを聴くのは無料なのに、わざわざ塔の階段を登るのは有料だというので、ずいぶんとおかしなことだと思った。ウルムの塔は、この観音像よりずっと階段の数が多く、最後まで登れる人は少ないそうで、我々家族も半分くらいでやめた。降りてくるときには、膝ががくがくしたのを覚えている。
それに比べると、この観音像は楽だった。ウルムの階段はずっと一続きだったが、この観音像では、9つの部分に分かれており、水平に移動して次の階段にいくのだが、その水平部分に窓があって、外の景色を見ることができる。そうやって、休み休み登れるのが、楽な理由なのかも知れない。
ひびき橋(吊り橋)
観音像の次は、近くにある吊り橋をわたる散策コースを歩くことにした。
観音像と植物園を結ぶコースで、長さ120メートル、高さ28.5メートルということだ。森林に覆われているので、下を覗いても木ばかり見える。
今回の旅行のテーマは「歩くこと」だったのにふさわしく、初日からかなり歩き回ったが、ここを最後にホテルに向かった。
6月1日
この日は、安中市巡りをすることになった。
新島襄旧宅
同志社大学を創設したことで有名な新島襄は、安中藩士の息子であるが、江戸詰だったので、江戸で生まれ育った。生粋の江戸っ子ともいうべき人物であった。幕末らしく、蘭学を学んでいるなかで、キリスト教を知り、深く学びたいと考えて、アメリカ行きを決意する。そして、比較的監視が緩やかだということで、函館にいって、そこからアメリカ行きの船に乗り、めでたくアメリカに到着することができた。ここらは、やはり行動力と知的に優れた人物だったので、援助してくれる人も次々に現れる。また、たまたまアメリカにやってきた岩倉使節団に同行して、通訳としてヨーロッパに渡って、ヨーロッパの施設をする機会にも恵まれた。アメリカで、日本人として初めて学士号を取得、キリスト教の宣教師の資格もえて、宣教師として日本に帰って来たわけである。そして、この安中の旧宅に1カ月弱滞在することになる。江戸詰の武士だったとはいえ、もちろん家族、親族が安中に暮らしており、家もあったわけだが、この短い滞在中にも布教活動を行って、信者を獲得しているのはさすがだ。
私たち家族が見学で訪れたとき、中年の男性が、何度かやってきて、いかにも話しかけていいものか迷っている風だったが、やがて話しかけてきた。ボランティアの説明員だったようで、いろいろと質問すると、実にたくさんのことを話してくれた。この旅行中に、あちこちでこうした熱心に説明してくれるボランティアの人がいて、大いに参考になった。
軍奉行役宅
新島襄旧宅から歩いて、「旧安中藩郡奉行役宅」へ向かった。市街地は狭いので、こうした徒歩で行けるのが便利だ。群奉行の役宅というので、もっと大きな建物を予想したのだが、奉行が住んでいる程度のもので、仕事はここでは行わずに、おそらく城の一部として奉行所があったのだろう。あちこちに見られる天領の代官屋敷なとどは、やはり規模が違う。
最初の写真は役宅を門からみたところで、下の写真は庭だ。
武家長屋
役宅には、少々がっかりしたが、その近所にあるおそらく奉行所で働く武士たちの長屋は、かなり興味深かった。江戸時代は、江戸でも、地方都市でもこうした長屋が多かったのだろう。鬼平犯科帳にも、町人や与力・同心たちは、多くが長屋に住んでいる。ただ、ここに家族で住んでいるとすると、部屋は2つか3つしかないので、けっこう窮屈だったろうと想像する。
ただ、現在のアパートの造りと同じで、2戸分ずつ左右対称の部屋の配置になっていて、時代は変わっても、こうしたことは同じなのだと、妙に感心した。