筑波大学付属高校(筑付)で、SNSが禁止されたと、ネット上で書かれている。悠仁親王関連の情報が、SNSを通じて拡散しないようにということらしい。実際に、それでもあえてツイッターに書かれた文章が、削除されたという。現在ではネット上での情報だけのようなので、真偽のほどはわからないとしても、その内週刊誌が取り上げるようになるに違いない。本当だとしたら、そこまでやるかと驚かざるをえない。また、筑付生や親がだまっているとも思えない。理由は、当然、悠仁親王に対する否定的な情報が、国民に拡散しないようにと、紀子妃が圧力をかけたということになっている。親王に関しては、作文コンクールの件は、弁護のしようがないことだろう。当人だけではなく、宮内庁、両親、そしてコンクール主催者すべてが、社会的な規範、道徳を蹂躙したことを意味している。また、予想されたことではあるが、授業内容がまったく理解できなくて、頭を机に伏せた姿勢をとっていた親王に、教師が注意をすると、汚い言葉で教師にくってかかったという情報も出ている。
ところで、SNSを生徒に対して禁止するという校則は、可能なのか。これもネットで既に議論されている。小学校や中学校では、校内への携帯持ち込み禁止という校則はめずらしくないが、それでも、家庭での使用を禁止している学校は、ごく少数だろう。しかし、コロナ禍で進んだオンライン授業が普及した段階では、むしろ、適切な使い方の指導という方向に向かっているように思われる。学校で校則を制定することは、ごく当たり前のことだから、SNS禁止を校則、あるいはそこまで正規ではなくとも、生徒指導で行うことは可能だろう。しかし、生徒がそれを守るかどうか、また、訴訟になったときに認められるかどうかという問題は残る。
また一生徒のことを、ネットで情報提供していくことが、適切な行為であるかという問題も検討する必要である。
実際に有効に機能するかどうかは、筑付生やその保護者たちが、どういう対応をとるかどうかにかかっているといえる。
おそらく、学校側としては一個人のプライバシーをネットで拡散する行為は、許されないことだ、だから、そういう行為は禁止するという指導をしているのだろう。SNS全般を禁止しているのか、あるいは、SNSで悠仁親王のことを書くことを禁止しているのかは、ネット情報では不明なので、とりあえず後者であるという前提で考えてみる。SNS全般を禁止するなどということは、高校生のいる家庭に受け入れられるはずはないのだし、まさかそこまではやらないだろうという筑付の良識を一応信じておきたい。
そこで問題になるのは、一生徒である個人をSNS上で状況を伝えることか許されるのかということだ。一般人であり、かつ当人が不快に思う書き込みをすることは、許されないのは当然だろう。しかし、悠仁親王は一般人ではない。将来天皇になる可能性のある人であり、天皇は国民の象徴、国民の総意に基づく存在であるから、できるだけその姿が国民に開かれたものでなければならない。つまり、プライバシーは、一般国民と同じレベルで尊重されるものではない。事実、愛子内親王の場合、学習院小学部のときの不登校が、かなり赤裸々にメディアによって報道されている。そして、その点での報道規制などはなかったような印象がある。
しかし、悠仁親王については、幼少のころから報道規制がなされ、メディアに現れるときには、入学式や誕生日などの特別な日に、非常に改まった形式の家族と一緒の写真が公開されるという程度だった。さすがに小学生がSNSで発信することはなかったろうし、中学はほぼ持ち上がりだから、生徒が発信することへの制限が徹底していたのだろう。だが、高校生になると、SNS発信は日常的な行為になっているし、早速軋轢が生じたわけだ。
もうひとつの重大な情報がある。ネットでは大分話題になっているが、悠仁親王は、授業がわからないためだろう、ほとんど聞いている様子もなく、ほとんどの教師や生徒たちは、無視しているようだが、あるとき、教師が、理解しているのかどうか確認したくて、質問をしたところ、「お前の教え方が悪いから理解できないんだ、わかるように教えろ」と叫んだというのである。そして、この話を聞いた紀子妃が、悠仁がわかるレベルの授業をするようにという要求をだし、学校側は困っているという情報だ。
もちろん、これも真偽のほどはわからないが、少なくとも、授業を理解できなくて、ほとんど聞いていないというのは、本当だろう。そういうことは、多くの人が事前に予期していたことだ。筑付の偏差値からすれば、授業内容は、進路が速いというよりは、深く掘り下げるような授業だろうと思う。私は、同じ筑波大付属でも、駒場のほうだったが、生徒が理解しているか確認しながら丁寧に授業するなどということはない。わからなければ、生徒が勉強してわかるようにするというのが、当たり前の雰囲気になっていた。筑付も同様だろうと思う。基礎の復習をしてから、新しい分野に入るなどということはないから、おそらくきちんと学力入試で合格したわけではない生徒にとっては、授業についていくことはかなり困難だろう。特別に難しいことをやるわけではなくても、公立中学のような丁寧な教え方とは無縁である。そして、定期試験の内容は、ものすごく難しい。私の時代でも、授業で教えたようなことは、ほとんど出なかった。というのは、授業で教えた程度の問題だと、みんながほとんどできるので、試験にならないのだ。だから、授業で教えたことを応用して解くような問題ばかりがでる。筑付も似たようなものだと思うので、悠仁親王は、ほとんど点がとれないに違いない。
筑付として、親王や紀子妃の要求を受け入れて、悠仁親王にもわかるような授業に切り換えたら、今度は他の生徒たちから、猛反発が起きるに違いない。むしろ授業ボイコットが起きる可能性がある。
妙な提携校制度などを使って、授業についていける学力がないのに、特別視して受け入れれば、こうなることは予め分かりきったことだった。多くの人が指摘していたことで、想定外のことが起きたわけではない。想定外は、将来の天皇になる可能性のある人が、教師にむかって「お前」などという言葉を発したことだろう。もちろん、事実かどうかはわからないのだが、ありうることだとは思う。
もう一度、憲法の「天皇は国民の総意に基づく」という言葉を思い出す必要がある。天皇は、国民の象徴であり、総意に基づく人であることが、求められる。しかし、悠仁親王に対する「教育」「しつけ」をみると、まったく違う人間に育てているとしか思えない。親の責任が大きいが、宮内庁、そして受け入れた学校の責任も重い。